中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る日光街道二十一宿(第1回目)(1)

2009年05月05日 16時27分26秒 | 日光街道二十一宿

                     <日本橋が近い>

        歩いて巡る日光街道二十一宿(第1回目)(1)
            JR東京駅→東武日光線竹ノ塚駅
              (小田急トラベル)
            2009年5月2日(土)

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 いろいろと迷った末に,小田急トラベル主催の「歩いて巡る日光街道二十一宿」の旅に参加することにした.今日は,その第1日目である.
 何時もの山歩きと違って,舗装道路を歩き続ける旅なので,履き物には十分注意することにする.履き慣れたスニーカーに,プロトレック製の衝撃吸収敷物を入れて万全を期した.
 集合場所の東京駅日本橋口へ,集合時間少し前,9時45分に到着する.今回の参加者は合計26名,過半数が東海道五十三次でご一緒した仲間である.
 私達は,例の「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,日本橋から,第1回目の行程を歩き始めた.
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<地図>



<出発点の日本橋へ>

■ややこしい東京駅八重洲口
 今年の連休は好天気に恵まれている.今日も,早朝から好天気である.どうやら気温が上がりそうなので,少々多めの飲料水をリュックに収める.
 大船から横須賀線の電車に乗って,今日の集合場所である東京駅日本橋口を目指す.
 田舎者の私には,東京駅日本橋口というのが良く分からない.これでも,サラリーマン時代には,かなり長い間,東京駅近くの会社まで通勤していたことがあるが,あの頃,日本橋口(?)なんて,有ったかなと,曖昧な気分のまま,東京駅に到着する.駅構内の案内板を見ても,北口,中央口,南口の表示はあるが,日本橋口は書いてない.日本橋口というから,日本橋に近い方にあるに違いないと多寡を括って,八重洲側の北口へ向かう.
 北口近くで,ウロウロと辺りを見回すが,相変わらず日本橋口という表示はない.仕方なく,改札口で駅員に尋ねる.すると,北口から外へ出てから,北へ向かって歩けという.
 「なぁ~んだ! そんなら,日本橋口なんていう言い方はおかしいじゃないか! やっぱり北口から外へ出るんだろう・・・日本橋口なんて言うから,てっきり別の改札口があるんだと勘違いするじゃないか・・・」
 私は自分のそそっかしさを棚に上げて,1人で憤慨する.
 それにしても,大船から東京駅に出てきただけで,随分と疲れてしまったような気がする.サラリー案時代に,よくまあ,毎日,こんな遠くまで通っていたものだと,つくづく感心する.

                      <東京駅日本橋口>

■日本橋口から歩き出す
 9時45分,ようやく,東京駅八重洲口に到着する.集合時間の15分前である.それにしても,先ほど,東京駅の横須賀線ホームに到着してから,10分近く時間が経っている.多少迷ったにしても,東京駅って,とてつもなくでかい駅だなと再認識させられる.
 日本橋口のコンコースには,沢山のツアー会社が,旗を立ててツアー客の到着を待っている.連休のためか,沢山のツアー客で一杯である.例の旅行会社大手クラブツーリズムの旗の廻りには,中高年のおばさま達が群がっている.
 「わが小田急トラベルは,一体何処だ・・!」
 私は,最近,だんだんと視力が落ちてきたガチャ眼をキョロキョロさせながら探し回る.小田急トラベルは旗を立てていないので,なかなか見付からない.
 その内に,入口近くの片隅で,私の方を見ながら手を振っている集団がいることに気が付く.眼をシバシバさせながら,そちらを見ると,東海道五十三次で一緒だった仲間達がニコニコしながら,私にお出でお出でをしている.
 「ああ,あそこか・・・」
と私は一安心する.
 早速,受付を済ませる.そのとき,少し離れた所で,年輩のお二人連れが,私に向かって,頻りに手を振っている.白くて大きなマスクで顔一杯になるほど覆っているので,誰だか全く見当がつかないが,まあ,いいか,誰でも良いや・・・で,大げさに手を振って応える.
 小田急トラベルの添乗員は2人.お1人は新顔だが,もう一方は,東海道五十三次でお馴染みの方である.でも,完全に名前を忘れている.思い出すのも面倒なので,
 「暫く振りです,お世話になります・・・」
と挨拶しただけで,名前を思い出す努力はしないことにする.名前を思い出した所で,また,直ぐ忘れるんだから無駄なことはしないと心の中で思っている.
 10時03分,日本橋口出口で5人ずつ縦列に整列する.そして,名前が思い出せないリーダが大声で音頭を取って,一同,
 「エイ,エイ,オー・・」
と蛮声を出す.私は心の中で,
 「なんて馬鹿馬鹿しいことをするんだろう・・・」
とすっかり冷めている.でも,気弱な私は,表だってこんな馬鹿馬鹿しいことやっていれないよとは言わない.拳の振り上げ方をグッと小さくして,蚊の鳴くような小声で「ei,ei,o~」というのが,せめてもの私の抵抗である.
 一同,まずは日光街道出発点である日本橋を目指して歩き出す.

■道の原点,日本橋
 サラリーマン現役時代には,この辺りは良く歩いていた積もりだが,当時とは街並みがすっかり変わってしまった.どこを通っているのか,あまり良く分からない.途中で,焦れったい思いをしている内に,10時12分,日本橋に到着する.
 今更言っても仕方がないことだが,この優雅な橋の上を,高速道路が無粋にのたうっているのは,なんとも情けない・・・が,今更,仕方がないか.「そういえば,あの「マチコ巻き」の橋も,同じ高速道路の下になってしまったな」なんて,カビが生えそうな昔のことを連想する.
 日本橋で10分余り休憩となる.これまで,シゲシゲと日本橋を見学したことがなかったので,この橋に凄く立派な欄干が付いているのにも気が付かなかった.橋の袂に里程標が立っている.これを見ると「横浜市二九キロ,甲府市一三一キロ,名古屋市三七〇キロ・・・」などと書かれている.
   
                       <日本橋>

<日本橋から歩き出す>

■問屋街を歩く

 10時25分,日本橋の袂に5列縦隊に並ぶ.人数確認の後,再び,
 「エイ,エイ,オー,・・・」
の掛け声とともに,日本橋から歩き出す.まずは,日本橋から,暫くの間,北へ向かう.途中で三越を発見して,ああ,ここかと,やっと自分の居る場所が分かる.
 日銀のある金座辺りで,右折.いわゆる倒産通りに入る.連休の最中なので,道路の両側のビルには殆ど人気がない.ゴジラが来て,ビルをぶっ壊すのに良いタイミングだななどと,また,余計なことを連想する.
 やがて,私達は問屋街に入り込む.衣料を扱う問屋が目を引くが,お店の軒先に「小売りはしません」と書いた案内板をぶら下げているお店が多い.
 「本当に小売りはしないのかしら・・・」
と誰かが独り言を言う.
 私も,この辺りに問屋が多いとは聞いていたが,実際に問屋街を歩くのは初めてである.物珍しさもあって,結構,楽しい.

                   <問屋街を行く>

■浅草見付跡
 問屋街を抜けて,やたらに道幅の広い道路に出る.通りの名前を調べるのは面倒くさいが,四つ角には総ガラス張りのピカピカビルが建っている.建物のガラスに周囲の風景が反射して見えている.この風景を見ている内に,10年ほど前に中国深せんを旅した時のことを思い出す.
 今,目の前のビルに反射している風景は,普通の鏡に反射しているのと同じように,形が歪んだり,変形したりせずに,実に綺麗に見えている.でも,この何の変哲もないことが,実は素晴らしいんだと思う.
 ・・・・
あのとき,深せんで見掛けたガラス張りのビルは,ガラスの表面に凹凸があるらしくて,反射して見えるビルが歪んだり,傾いたり,あるいは大きな目玉のように楕円形に歪んだりしていた.
 そんなことを思い出しながら,ガラスに反射した風景が当たり前に見える素晴らしさに,やたらに感心してしまう.でも,そんなことを周囲の人に言ったら,何を詰まらないことに感心しているのと言われそうなので黙っている.
 地図を確かめると,どうやら浅草見付跡に近いようである.私は添乗員の方に,
 「そろそろ,赤坂見附が近いんじゃないですか・・・?」
と質問する.私は無意識のうちに,「浅草」を「赤坂」と言い間違えたようである.それを小耳に挟んだ仲間が,
 「赤坂見付なんて通りませんよ・・・赤坂見付はあっちの方ですよ・・」
と顎をしゃくりながら言う.
 浅草見付跡は,交差点の反対側にある.ツツジの茂みの中に,かなり大きな石碑が建っている.その石碑に「浅草・・・」と大きな字が彫り込まれているのが見えている.私はデジカメを望遠にして,何とか写真に残すことができた.

                      <浅草見付跡>

■久月総本店とどせう屋
 10時56分,人形の「久月総本店」の前を通過する.店の前には,店の名前を金文字で彫り込んだ立派で重々しい看板が掲げられている.
 やがて,総武線浅草橋駅近くのガードを潜る.
 道路の反対側には,「どぜう」という縦看板を掲げた格調の高そうな切妻造りの二階建のお店が見えてくる.周囲には何の変哲もないビルが建ち並んでいるので,一見,不釣り合いな感じを受けるが,この不釣り合いさも日本風というのだろう.
 「・・ここは美味しいですよ・・・」
と誰かが言っている.

                      <久明総本店>


                   <しにせの「どぜう」屋>

■浅草寺雷門
 辺りが何となく賑やかになり始める.やがてニューヨークのタイムススクエアと良く似た鋭角の三叉路に到着する.三叉路の右手には東武浅草駅のビルが見えている.私達は左手の道を進む.人混みがますますひどくなる.
 11時25分,私達は浅草寺雷門前に到着する.想像を絶する人出である.雷門付近は立錐の余地もないほどの混雑である.外国人の姿も随分と眼に付く.折角,ここまで来たのだから浅草寺を参拝しようという気も少しはあるが,あまりの人の多さに,ただ,ただ,ビックリ.もう,とても参拝する気になれない.
 ここで,12時25分まで昼休みを取るという.
 私達,顔なじみの連中10名ばかりは,人混みを避けて,隅田川川縁で食事を摂ることにする.

                  <人で一杯の雷門前>
                               (つづく)
[加除訂正]
2009/5/5 地図入替
2009/5/8 転換ミス訂正

「日光街道二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4543adaaf87d2e6f3dc6ad92c8e99942
「日光街道二十一宿」の次回の記事
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2 コメント

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コメントありがとうございました (flower-hill)
2009-05-06 11:53:18
suzuka様
 コメント有り難うございました.
 東京にはいろいろと歴史の襞を想起させるところがあることを,今回の旅で,再認識しました.
 六本木ヒルズは,とても有名ですが,私はまだ自分の眼で見たことがありません.今回の旅で下町の一角を垣間見ましたが,陶器峡は,情緒豊かで,素晴らしい街だと再認識しております.
 また,コメントをお寄せ下さい.
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江戸を歩く (suzuka)
2009-05-06 09:13:35
毎年梅の咲くころになると、祖母は湯島の白梅がみたいと、幼い私を連れ本郷界隈のみならず、六本木、もちろん日本橋まで歩かされた。よくわき道を知っていて、昔はね、とか、話してくれたが、小学校低学年ころまではつきあったが後は逃げ回った。祖母が他界し母と六本木の墓参りの帰り、麻生十番から抜ける近道多々あるはずだが祖母しかわからないと。残念そうに言った。江戸は晩年下町で終えた明治生まれの祖母の青春時代思いそのものだったのだろう。今、六本木ヒルズがそびえ、裏にある墓参りは私一人。祖母、母が生きていたら2度と歩かない街だろう。この都心の様子は私も懐かしい。
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