中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第2日目(1);小田井宿

2013年07月04日 16時59分43秒 | 中山道六十九宿

                           <宝珠院の馬頭観音>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第2日目(1);小田井宿
          (五十三次洛遊会)
    2010年6月12日(土)~14日(月)

※本稿の初出は2010年6月23日である.
 初稿の地図の差替え,本文の誤字当て字転換ミスを訂正し,内容の見直
 しを行った

第2日目:6月13日(土)

<ルート地図>

■第2日目ルート全体図

  水平歩行距離    18.7km
  累積登攀高度    207m
  累積下降高度     348m

ルート地図(小田井宿)


<ホテルの朝>

■バイキング形式の朝食
 私たちが宿泊したホテルは,狭いながらも設備は完備している.
 ベッドの寝心地も良かった.何時ものように,4時頃,自然と目が覚める.暫くの間はベッドに横たわったまま,ボンヤリとテレビを過ごす.
 5時頃,私が泊まっている部屋の近くにある大風呂で,朝湯を楽しむ.早朝なので,まだ誰も居ない.大きな風呂に一人で入っているのも大変気分が良い.のんびりと湯に浸かりながら,今日の行程を頭の中で予習する.
 新聞を読みたいので,朝食の時間より少し早く,6時45分に,ロビーへ向かう.私が一番早いと思っていたが,すでに大半の同行者がロビーに集まっている.
 7時から朝食.バイキング形式である.頭の中でザッとカロリーを計算しながら,適当にネーベンを選ぶ.和洋折衷で適当な朝食を楽しむ.

<ホテルの朝食>

■中山道に戻る
 8時23分,ホテルを出発する.朝の内は暑くも寒くもなく快適である.
 まずは,昨日,迷いながら北上してきた往路を辿る.だらだらとしたなだらかな下り道である.およそ10分歩いて,8時32分に旧中山道に合流する.迷いながら歩いた昨日に較べると,同じ道でも,あっけないほど短く感じる.

<中山道の出発点>

<風情が残る小田井宿>

■小田井宿の概要
 資料7によれば,「
小田井宿(おたいしゅく)とは,中山道六十九次のうち江戸から数えて21番目の宿場.現在の長野県北佐久郡御代田町中心部にあたる.参勤交代などで大名が北国街道との分岐点でもあった追分宿をとる際,小田井宿は姫君や側女たちの宿にあてられることが多く「姫の宿」とも呼ばれた.
 天保
14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、小田井宿の宿内家数は107軒,うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠5軒で宿内人口は319人であった.」

■小田井宿入口
 8時40分,小田井宿入口と書いてある大きな案内杭の前に到着する.前方には閑静な道路が真っ直ぐに伸びている.
 道路の両側にはゆったりとした造りの街並みが続いている.


<小田井宿に入る>

■御嶽地蔵
 やがて高圧線鉄塔の下を潜る.いよいよ小田井宿に入る.
 8時38分,御嶽権現と書いてある大きな石碑に到着する.石碑は広々とした空き地の片隅に立っている.

<御嶽地蔵>

■おはる地蔵
 御嶽権現を過ぎると,道幅が広い自動車道と交差する.
 8時41分,この交差点をほんの少し過ぎたところで,進行方向左手の「おはる地蔵」に到着する.お地蔵は,民家の庭先に,ぽつねんと安置されている.お地蔵の近くに掲げられている案内板の記事によると.このお地蔵さんは,“安川ハル”という女傑を顕彰して建てられたもののようである.
 同記事を要約すると,「・・・安川ハルは,明治36年,御代田村に生まれた.岩村田農学校卒.1年ほど小学校に奉職.その後上京して,ゴミや人糞を焼却して肥料作りの研究に没頭する.その結果,安川式肥料燻炭炉を完成する.そして,東京市からゴミと人糞を無料で受け,高価な試料が買えない農民に燻炭肥料を安価で提供した・・・燻炭肥料製造過程の副産物として,メチルアルコール,アンモニアなど7種類の高価な薬品が生成さることが帝国大学で証明される.
 しかし,ゴミの中の雑菌のためにハルは難病を抱えて,やむなく肥料燻炭炉の事業化は中断する.
 戦争が激しくなると,ハルは部下を大勢引き連れて寺沢へ疎開する.
 平成3年3月,89歳で永眠.」
 墓石の裏下記によると,「故安川ハルは近隣の暖かい愛情に包まれて天寿を全うする,没後,隣人,知己,交友が相寄って葬儀を行った」ようである.

<おはる地蔵>

■小田井宿の案内板
 地図を見ながら,先へ進む.道すがら,小田井宿の説明板,案内地図などを見て回る.なかなか丁寧な説明文が書かれている.また,地図も南北が逆転して描かれているので,多少見にくいが良くできている.
 この説明文によると,小田井宿は天正年間(1572~92年)に誕生し,慶長(1596年)以降,宿駅としての機能が整えられたようである.
 昭和に入ってから,道の中央に流れていた用水路が南側に移された.昔の宿場の風情を求める私たちにとっては残念なことだが仕方がないこと.ただ,東西の入口に枡形が僅かに昔の面影を残している.
 「文久元年皇女和宮のご昼食休みに代表されるように,多くの姫君の休泊に利用され『姫の宿』とも」言われているという.

<小田井宿の説案内板>

■宝珠院
 途中から進行方向右手(東側)の小径に入る.ほどなく,8時47分,宝珠院に到着する.広い境内である.人の気配が全くない境内を散策する.
 立派な鐘楼がある.鐘楼の背が随分と高い.

 資料5には,以下のような説明がある.
 「真言宗.本尊は聖観世音菩薩.本山は五百仏頂山 智積院 根来寺.開墓は小田井宿大黒屋 小林傳兵衛,開山は法印幸尊で永正(1504~20)年間という.小田井宿造成とともに移転したと伝える.正徳元(1711)年,現在地で本堂建て替える.古くは「飯玉山 寶珠院 慈眼寺」と称した.文化2(1805)年の仏具あり,文政の文書には「慈眼密寺」と記す.」
 宝珠院境内に御代田町指定天然記念物のアカマツが生えている.側にある説明文によると,「2本のアカマツを寄せ植えして,見事な枝振りを持たせた.高さ7.5メートル,東西の幹はともに胴回り1.7メートル,接合部の胴回りは2.7メートル,東枝の張り出しは約8メートルである.」
 一方,資料6によると,「昭和43(1968)年10月21日 御代田町指定 御代田町大字御代田字上の駅 所有者 宝珠院 アカマツ(マツ科)の名木.人手を加えて枝張りを作った見事なものである.地上20mの高さで,太さ2.49m,東側のものは1.60m,西側のものは1.57m.2本のアカマツを寄せ植えしたものである」という説明がある.
 
<宝珠院>                                                                                              <境内にある赤松>

■本陣跡(安川家住宅)
 8時53分に宝珠院を出発する,
 往路をたどって元の街道に出る.そして,再び南下を開始する.
 8時55分,進行方向右手(東側)にある本陣跡(安川家住宅)に到着する.清楚な造りの白壁が目を引く.立派で大きな家である.
 家の前に説明板が立っている.この説明板によると,安川家は江戸時代,小田井宿の本陣を務めていた,現在でも客室部が良好に保存されているとのことである.

<本陣跡>

■上の問屋跡
 本陣の直ぐ南にある上の問屋跡を見学する.現在は,立派な格子戸の2階屋が建っている.
 道路は2車線だがそれほど道幅は広くない.綺麗に舗装されている道路である.ときどき思い出したように自動車が通り過ぎる.
 私たちは,自動車に注意しながら,道路を右左に渡りながら周囲の風情を楽しむ.

<上の問屋跡>

■脇本陣跡
 8時58分,上の問屋跡から少し下って,右手の脇本陣跡を通過する.脇本陣があった場所には,沢山の樹木が植え込まれている.脇本陣跡と書いてある白い小さな杭が一本建っている.

<脇本陣跡>

■下の問屋
 9時丁度に下の問屋跡(尾台屋住宅)を通過する.心壁造り白い壁が見事な長屋門に目を見張る.
 「素晴らしい文化遺産だな~ぁ・・・」
私は,小田井の街並みに感銘を受けながら歩き続ける.
 
<下の問屋跡>


<下の問屋跡の案内杭>

■桝形にある小田井宿碑
 9時01分,進行方向左側に立っている小田井宿碑の前を通過する.
 この辺りで小田井宿は終わりである.私たちは,これから岩村田宿に向けて歩き続ける.

<枡形にある小田井宿碑>

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5:http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/nagano/index.html
資料6:http://uct01.uctec.com/furusato-commonPF/page.cgi?lang=ja;ucode=00001C00000000000002000002000802;area=WEBl
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E4%BA%95%E5%AE%BF
                                       (つづく) 

[加除修正]
2013/7/4  地図の修正.誤字脱字転換ミスの修正,加除訂正, 推敲を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/795dd178591a7098db0d7f6dafb7f765
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2ba6577b1988add63f3cdffceb8404bd   
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


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