<堀山からの富士山>
春霞の登山道を楽しむ丹沢:塔ノ岳(今年11回目)
(単独山行)
2011年2月23日(水)
■今日の天気予報
季節が一段と進んで,三寒四温の毎日が続くようになる.昨日(2月22日)の夜の天気予報に依れば.今日の予報は終日で温かいようである.週末に山仲間達と南郷山・幕山周遊の計画がある私は,今の内に1回でも多く丹沢へ行きたいと思っている.そくで,今日は迷わずに丹沢へ出掛けることにする.
月額315円の天気予報の画面は次の通りである(少々,写りが悪いが・・).
日中は暖かくなるが,その割りには明け方の冷え込みはやや厳しい.相模湾の面している鎌倉の予想最低気温が4℃なのに,内陸の秦野市堀川の最低気温は0℃.鎌倉より4℃も低い.ところが最高気温は秦野と鎌倉は同じである.日によっては秦野市の最高気温の方が鎌倉より1~2℃高いこともある.鎌倉市が海に面しているのに,秦野市が内陸に位置しているためにこんな現象が起こるのだろう.
■がら空きのバス
乗換駅の小田原で,たった3分しかない乗換時間を猛ダッシュして,渋沢発大倉行のバスに乗車する.車内は,こんなに天気が良いのにガラガラ.数名の乗客の内お一人を除いて,全員顔見知りのご常連である.韋駄天のTさん,T田女史,カメラマンのMさんなど.車内での雑談が始まる.
私は韋駄天のTさんと,大倉に到着するまで雑談.
Tさんは私より3~4才年下ながら大台のウン十才を越えている.そのTさんが慨嘆する.
「(私が毎日のように丹沢へ出掛けると),お前は『化け物だよ』と周りの人に言われますよ・・」
この点は私も同感.続いて,
「FHさんの同級生なら,もう半分ぐらいは寝たきりでしょう・・?」
と私に質問する.
どの程度寝たきりになっているかは分からないが,私の高校(旧制中学から新制高校になった)の同学年の生徒は卒業時約300人.毎年,少しずつ少なくなっていくのはやむを得ないが,昨年は1年間に,遂に8人もあの世行きになってしまった.昔に較べて,同級生の数も随分と少なくなったなという実感がある.言われてみると,この年になって山登りを楽しんでいる同級生は全くといって良いほど居ない.まあ,そんなところから,お前は化け物だよと言われてしまうのも分からないわけではない.
「自分が酒だタバコだと不摂生でメタボになっている人間に『体力を過信して山へ登るな』なんて言われたくないですよね・・」
私がTさんに同調する.
「・・90才になって,大倉尾根を4時間で登れたら最高ですよね.お互いに身体に気をつけて,元気で登り続けましょう」
で大倉に到着する.
■ご常連が次々に出発
バスが大倉に到着すると,すぐに韋駄天のTさん,T田女史,そして,暫く置いてカメラマンのMさんが次々に歩き出す.私はヤッケやフリースを脱いでリュックに仕舞ったり,記録帳やカメラの準備をしたりで,瞬く間に10分近くの時間がかかってしまう.そして,同じバスに載っていた方々の一番最後,7時09分に,漸く,大倉から歩き出す.
登山口付近の杉林は,花粉を一杯ため込んだ胞子で真っ茶色になっている.今日辺りから杉の花粉が多く飛散するようになるとのこと.今のところ私は花粉アレルギーはないが,何時発症するか分からない.とても不気味.早くマスクで対策を立てなければと思っているが,ついついマスクの購入を忘れてしまう.
夜中に凍結した路面が,少しずつ溶け始めている.無数の足跡を残したまま凸凹に凍結した路面は,極めて歩きにくい.朝日を浴びているところは,少し溶け始めて黒く変色し始めている.
登山口を過ぎる頃,一見の登山客を追い越す.その後,暫くの間,一人旅が続く.そして,雑事場ノ平の手前で,大きなリュックを背負ったカメラマンのMさんに追いつく.どうせ花立山荘辺りで再びMさんい追い抜かれるだろうなと思いながらも,とりあえず,平らなところでは先に行かせて貰うことにする.
■富士山が良く見える
少し身体が重い感じがするので,途中からペースを少し落として歩き続ける.8時13分に駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間04分.この頃,1時間を切ったことがない.2~3年前に比較すると確かに体力が落ちていることを実感している.
堀山の尾根に入る.残雪は殆ど消えている.凍結した泥濘道が続く.帰りにはこの辺りも泥んこになっているだろうなと思いながら歩き続ける.尾根道から富士山が良く見えている.視界を遮る雲は全くないが,
■萱場平
8時51分,萱場平を通過する.幾分残雪があるが暖かである.誰も居ない.昨年の今頃完成した立派な木道のお陰で,ここで泥んこになることがなくなった.
■花立山荘
萱場平を通過して,花立山荘へ向けて急な登り坂をユックリと登り始める.
9時05分,階段道を,上の方から,ご常連のYさんが2本ストックを上手に操りながら駆け下りてくる.相変わらず凄い人である.
上からご常連のU村さんが下ってくる.それにしても随分と早いなと不思議に思っていると,
「昨夜,尊仏に泊まりました・・」
とのこと.そういえば,昨日は,尊仏山荘からダイヤモンド富士が望めた筈である.
9時12分,花立山荘を通過する.大倉からの所要時間は2時間03分.できれば1時間57~58分で登りたいところである.かなり遅い.山荘前のベンチには誰も居ない.相変わらず富士山が良く見えている.
私が疲れた顔をして山荘前を通過しようとすると,近くで休憩を取っていたかなり年配と思われる方が話しかけてくる.
「・・直ぐ先(の道は)は凍結していますよ.大変ですよ・・」
と私に注意する.そんなことは先刻承知の助だが,有り難く注意を伺う.
「昨夜,尊仏山荘に泊まりましたが大混雑でしたよ・・」
とご年配が言う.
■花立山
花立山荘から10分掛けて花立山山頂に到着する.富士山や南アルプスが良く見えている.ここで暫く写真タイム.
花立山を過ぎると,突然残雪が増え出す.踏み固められた雪が日中融け出して,また夜になって凍結するので,アイゼンを装着するほどではないにしても,路面はかなり滑りやすくなっている.とくに馬の背にある2カ所の下り坂には,踏み固められてすっかり滑りやすくなった雪がベッタリ残っている.
金冷シを過ぎると,さらに残雪が増える.ただ,日当たりの良いところでは,殆ど残雪は見当たらない.
山頂直下の階段には,凍結と融雪を繰り返した氷がベッタリと残っていて,ツルツルに凍っている所がある.極めて歩きにくい.山頂直下の階段を下ったところで,下ってくる韋駄天のTさんとすれ違う.
■塔ノ岳山頂
9時47分,急坂を登り切って塔ノ岳山頂に到着する.山頂には誰も居ない.
少し雲が沸いてきているが,相変わらず富士山,南アルプス,それに近場の丹沢山塊が良く見えている.山頂から360度の展望を楽しみながらデジカメに収める.
山頂の気温は0.00℃.温かい.
■尊仏山荘
山頂を一回りしてから尊仏山荘に入る.先客は1人.私と同じバスに乗っていたT田さん.
小屋番は,ネコのOさんとWさんの2人.暫くの間,客もなく静かな時間が続く.私は例により300円也のお茶を所望する.そして,ノンビリと水を飲んだり,床を歩き回ったりのミー君と暫くの間戯れる.
ミー君を抱き上げてみる.柔らかい毛並みだが,見かけより大分軽くなっている.それに右目が少しおかしい.
「ミーよ・・お前を年取ったな・・」
今から10数年前,IT化が喧伝された頃,ドッグイヤー(dog year)という言葉が喧伝されていた.犬の1年は人間の7年に相当するという俗説である.キャットイヤー(cat year)という言葉は寡聞にして聞いたことはないが,犬もネコもかなり近い動物なので,ネコの1年は人間の7年に相当すると考えても良さそうである.
たまたま,私は,昨日,古い写真を整理していて,5年前のミー君の写真を見ていた.5年前のミー君はやっぱり若い.人間換算40才ぐらいのミー君である.Oさんと雑談,
「5年前のミー君の写真を見るとやっぱり若いですね・・」 「10年前は子猫でしたよ・・」
「なるほど! そりゃそうだ!」
そうこうしていると,カメラマンのMさんが到着する.私のブログに,ご常連の後ろ姿が写っていることが話題になる.どうやら私が無意識に風景を撮った写真の中に,ご常連が写っているらしい.一般の方が見ても分からないが,ご常連同士の間では,写っている後ろ姿を見ただけで誰だか分かるようである.風景写真に人影が映ってしまうのは致し方がないことだが・・・でも,一寸は気を遣わないといけないな.
<5年前のミー君>
<今日のミー君>
■アイゼンを装着して下山開始
余り遅くならないうちに下山しようと思う.10時15分頃,下山の支度を始める.丁度そのとき,2番バスで登ってきたご常連Hさん(このブログではしばしばX氏で登場)が到着する.久々のご対面である.何となく皆さんの話が弾むので,さらに5分ほど立ち話をして,10時28分に下山を開始する.
山頂直下の氷漬けの急な下り坂が気になるので4本爪アイゼンを装着する.案の定,急傾斜の下り坂で,屁っ放り腰で恐る恐る下山している数名の登山客がいる.私は,これらの方々を脇目に,サッサと追い越す.
金冷シ手前で,顔馴染みのご夫婦に追いつく.奥さんが,
「おやまあ・・暫く振りですね,2年ぶりぐらいかしら? お元気でしたか・・」
と私に話しかける.そういえば,2年ぐらいお会いしていないかも知れない.お話を伺うと,どちらも応分に塔ノ岳へ登っていたようだが,偶然,長いことお会いしていなかった.
数分,雑談しながらご一緒した後,先に行かせて貰う.
■途中でノートを置き忘れる
10時55分,花立山でアイゼンを外す.柔らかな春の日差しを一杯に受けて,なんとも心地よい.アイゼンを外し後,暫く,日差しを浴びながら深呼吸をする.そうこうしている内に,先ほどのご夫婦が私に追いつく.また,ここで立ち話.
また,私が先に下山を開始する.11時04分,花立山荘に到着する.山荘前のベンチには数名の登山客が休憩を取っている.私は花立山荘に到着した時間をノートに記録しようとしたときに,肝心のノートを,先ほどアイゼンを外したところに置いてきたことに気がつく.してやったり!!
取りに戻るのも面倒だなと思ったが,意を決して,今下っただったばかりの坂道を10分ほど登り返す.その間に,先ほどのご夫婦だけでなく,後から下り始めたM田さん他ともすれ違う.その都度,なぜ登っているかの言い訳をする.
11時13分,置き忘れた場所に戻る.ノートは無事.ヤレヤレ.
再び,同じ道を下り始める.脱力感が甚だしい.14時21分,ふたたび花立山荘に戻る.26分のロス.
花立山荘前のベンチで,先ほどのご夫婦が休憩を取っている.私は,ノートを拾ったことを報告する.そして,また数分の間,立ち話を続ける.もう,帰りのバスが何時になっても構わないとやけくそである.
■ご常連と雑談しながら下山
ご夫婦とお別れして,後7分坂を下り始める.どうせ遅れ序でに,時々立ち止まっては,春霞の眺望を楽しむ.暑くも寒くもなく風もない.実に心地よい眺めである.いくらか霞んで見える秦野の街の先には春の相模湾が見えている.
後7分坂を,登りの時と同じぐらいの時間を掛けて下ってから,ガレ道に入る.ふと振り向くと見覚えのあるメザシ帽が見える.Xさんである.私はXさんが追いつくのを待つ.X氏は私に追いついたときに少々ビックリしたようである.
「おや,どうしたんですか?」
私はノートを置き忘れた経緯をお話する.
その後は,X氏とご一緒に,雑談をしながら,大倉までノンビリ下山する.
13時18分に大倉に到着する.少し先に下山したらしいM田さんが,私達を見つけて,
「・・ノート,ありましたか?」
と話しかける.
結局,それほど遅くならずに,大倉発13時22分のバスに乗車する.発車直後,バスの乗客は,私達ご常連4人だけ.小田急からJRへの接続が良くて,15時頃,無事帰宅する.
<ラップタイム>
7:09 大倉歩き出し
7:29 観音茶屋
7:45 見晴茶屋
8:31 堀山の家
9:12 花立山荘
9:30 金冷シ
9:47 塔ノ岳山頂 着(+0.2℃)
===========================================
10:28 塔ノ岳山頂 発
10:43 金冷シ
※ノートを置き忘れて,花立山荘・花立場の間を往復
11:21 花立山荘
12:00 堀山の家
12:19 駒止茶屋
12:42 見晴茶屋
12:58 観音茶屋
13:18 大倉 着
[山行記録]
■水平距離 7.0km(片道)
■累積登攀下降高度 1269m
■登攀所要時間(雑談時間を含む)
大倉 発 7:09
塔ノ岳 着 9:47
(所要時間) 2時間38分(2.63h)
登攀速度 1269m/2.63h=482.5m/h
■下降所要時間
塔ノ岳 発 10:28
大倉 着 13:18
(所要時間) 2時間50分(2.83h)
下降速度 1269m/2.83h=448.4m/h
(おわり)
「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7ebc3bfb0b1aaa07968f7bb46764745f
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/bb92243541ede414780c87e3c80dab8f
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