<ウィーン国際空港でトランシットする東京グループ>
ツールドモンブラン(4):東京(成田)からウィーンへ
(アルパインツアー)
2011年7月16日(土)~24日(日)
第1日目;2011年7月16日(土)(つづき)
■東京(成田)国際空港を離陸
今回のツアー参加者は,東京から10人,大阪から3人.合計12人と聞いていたが,一番最後に申し込んだ私を除いた人数のようである.
ツアーリーダーのS村さんから頂戴した参加者名簿を見ると,参加者は以下の通りである.
Y辺さん 横浜市
Y川さん 埼玉県
S山さん 東京都
O田さん 〃
H沢さん 兵庫県
H本さん 大阪
S石さん 横浜市
I田さん 埼玉県
F田氏 千葉県
FHこと私 神奈川県
H野さん 滋賀県
M瀬さん 東京都
Hリさん 新潟県
S村さん ツアーリーダー
(合計) 14人(ツアーリーダーを含む)
ツアー会社から渡された資料や,あらかじめ送られてきた資料などを眺めながら,搭乗待合室で暇な時間を過ごす.
10時30分,私たちが搭乗する東京(成田)11時10分発オーストリア航空ウィーン行OS52便の搭乗が始まる.私の席は,30E.真通路から内側へ2番目,最低の席である.私の通路側の席に座ったのは若い男性.反対側の隣の席には若い女性が座る.何だかヤケに狭い客席である.どちらかと言えば小柄の私でも膝が使えるほどの狭さである.いくらエコノミークラスとはいえ,随分詰め込むなと一人で憤慨する.
とはいえ,飛行機の内装はなかなかユニークである.座席は黄緑色で統一されている.機内は,これまで体験したことのない明るい雰囲気である.機内は満席.過半数が日本人旅行者である.
なかなか出発しない.その内に眠くなる.
「眠くなって丁度良いな・・怖い離陸の瞬間を寝ていればラッキー・・」
私は躊躇せずに居眠りを始める.
暫くして,ふと目覚める.飛行機がガタガタと揺れている.随分長い間眠っていたな・・その間に無事離陸したかと一瞬思う.しかし,飛行機は,まだ,滑走路をノロノロと移動中である. 一旦,停止した飛行機は,突然,爆走を始める.身体に加速度の重圧.嫌な瞬間!
そして,11時29分,私たちを乗せた飛行機は,無事,東京(成田)国際空港を離陸する.ホッとする.
■機内サービス
11時29分,機内アナウンス.ドイツ語,訛りの強い英語,日本語で,食事と軽食の案内がある.
飛行機が上空に達すると,機内の温度が次第に下がって,28.3℃.少し寒くなる.お遊びで腕時計の高度計で標高を諮ってみると1200メートル.丹沢の花立山荘ぐらいの標高に相当する気圧である.
12時15分,飲み物のサービスが始まる.たまたま私たちの側の通路を担当するキャビンアテンダントは殆ど日本語が話せない.いろいろ注文するのも面倒なので,トマトジュースを所望する.コップ一杯のトマトジュースと小さな袋菓子を頂戴する.
■機内食(昼食)
12時43分,昼食のサービスが始まる.
“Beef or chicken?”
一寸無愛想な感じの男性キャビンアテンダントが聞く.私は,どっちでも良かったが,隣の席の男性がビーフを選んだので,反射的にチキンを選ぶ.
小さなランチトレーをキャビンアテンダントから貰いながら,
「・・オレは,何で何時も人と反対なことを,何時も選んじゃうんだろう・・」
と自分の無意味な反骨・・というか,あまのじゃくな性格を反省する.
小さなトレーには三角形を記帳にした食器が並んでいる.中央の大きな三角形の器には,三角形の頂点にソバ,その下に,ジャガイモをすりつぶしたベタベタ(ポテトスマッシュって言うのかな?),チキン1片,ニンジン,ブロッコリーが載っている.乗客に日本人が多いためかお箸が付いている.
昨今の航空業界の激しい価格競争の影響もあるのだろうか,これは私見に過ぎないが,年ごとに機内食が貧相になってきたような気がする.こんなことを言ったら航空会社に申し訳ないが,これまで賞味したことのある機内食の中では,今回の機内食が最低.チキンはパサパサ,ポテトはベタベタ,ニンジンは全く歯ごたえがないほど茹ですぎている.
とはいえ,退屈な機内での時間を過ごす間で,食事は最大の楽しみである.美味しく頂戴する.
■退屈な機内
食事が終わる.お茶のサービスを受ける.頂戴した日本茶を味わいながら退屈な時間を過ごす.
お茶を片手に,昔,昔のことを思い出す.戦後間もない昭和20年代後半,1ドル=360円時代.私はまだ学生だった.その頃,東京在住の叔父から,洒落た旅行鞄を貰ったことがある.多分,エールフランスの鞄だったかと思う.当時,洋行帰りの人は特別な存在.私など一生の間に海外へ行くなどあり得ないと思っていた.その頃,海外旅行で旅客機に乗ると,乗客は立派な旅行鞄が貰えたようである.その鞄が闇市に流れる.その流れた鞄が,流れに,流れて,叔父から私の手許に到着した.
防水を施した空色の肩掛け鞄で,しっかりした布製だった.布の裏には多分ゴムで防水してあったと思う.
そんな鞄のことや,私が初めて羽田から伊丹まで飛行機に乗ったときのことなどを思い出しながら,退屈な時を過ごす.
あのとき,多分,昭和30年代中頃だったと思う.当時,大阪は遠かった.
大阪行きは,普通,東海道本線の夜行列車を利用して往復する.とにかく遠かった.ところがある日,急用で飛行機を利用して大阪へ行くことになった.私は飛行機など怖くて乗りたくなかった.仕方なく飛行機に乗った.そして,無事に伊丹空港に到着したとき,思わず自宅に,
「ブジ トウチャクシタ」
と電報を打った.後になって,
「そんなことで電報を打つなんて・・」
と散々冷やかされた.
あれから幾星霜.茫洋とした長い歳月が過ぎ去った.あの頃,大志を抱いていた青年,つまり私だが,結局は平々凡々とした人生を過ごしてしまった・・そして,あの世への旅立ちも間近になった今,当たり前のように飛行機に乗っている.あの世へは何に乗っていくのだろうか・・・
14時12分,機内の気温は26.7℃.少し寒い.
前の座席の背に付いているテレビを見る.画面にはシベリアの地図が表示されている.表記はドイツ語である.私たちが乗っている飛行機は,ハバロフスクの北西を飛んでいる.トランシットするウィーン国際空港まで,後,8時間18分という表示が出ている.まだまだ,先が長い.今,ウィーン時間で7時17分.到着予定時間は15時33分.退屈,退屈.
テレビのスクリーンには,
”We fly for your smile.”
という歯の浮きそうな表示が,繰り返し,繰り返し現れる.
チャンネルをひねり回して,飛行機に取り付けられているカメラの映像を眺める.飛行機の前方も,真下も雲ばかり.見ていてもつまらない.
16時13分,ウィーンまで後 6時間24分.ウランバートルの北方を飛んでいるようである.
とにかく退屈.隣の席の男性がヒューレットパッカード製のパソコンを取り出して何か作業を始める.Windows XPの機械,随分反応が遅そうである.なにやら沢山のメールの処理をしている.どんな商売をしている人だろうか.
反対側に座った女性は,音楽関係の本やウィーンの案内書をを熱心に見ている.何かのツアーらしく,ときどき添乗員がご機嫌伺いに来ている.
■コーラとオレンジジュース
16時51分,ドリンクサービスが始まる.
私はコーラを所望する.コーラ1缶頂けるかと思ったら,プラスティックコップ1杯分だけ.冷たいコーラで,口の中がサッパリする.眠気が少しとれる.
ウィーンまで後5時間45分.飛行機はノリリスという町の南方を飛行中である.前方のスクリーンの左側にようやくウラル山脈が表示されるようになる.
17時10分,ウィーンまで,後5時間25分.う~ん・・退屈.
18時頃,トイレに立つ.スッキリする.
飛行機はウラル山脈にさしかかる.エカデベィベルグという町の北方を西南西の方向へ飛んでいる.
18時56分,キャビンアテンダントから,オレンジジュースを頂戴する.
■時間をJSTからウィーン時間に変える
19時13分,後,ウィーンまで3時間22分.ウィーンが大分近付いた感じがする.ここで,時計をウィーン時間に変える.東京(JST)との時差はマイナス7時間(今,ウィーンはサンマ-タイム).したがって,今,ウィーン時間では12時13分である.
これからは,ウィーン時間で表示する.
座席が狭いので,身動きができないまま,暫くの間,ウトウトする.
13時29分,キャビンアテンダントから熱々のウエット紙タオルが配られる.顔,手を拭くとサッパリする.ウィーンまで後2時間05分.ヤレ,ヤレ.
■再び機内食(夕食それとも朝食?)
14時10分,二度目の機内食が配られる.昼食なのか夕食,それとも朝食? 良く分からない.日本時間では21時10分なので,夜食と言うことにしておこう.
相変わらず三角形基調の容器のスポンジケーキ,菓子,スライストマト,レタス,マカロニの和え物などが盛りつけてある.それにパン.パンはバサバサしていて余り美味しくない.
■ウィーン空港に到着
14時42分,ポーランドのクラコフ上空を飛行中.今から約10年前に訪れたことのある街である.当時のことを思い出す.懐かしい.ウィーンまで,後,40分である.あと少し.元気が出る.
15時01分,機内アナウンス.ドイツ語,訛りのきつい英語,それに日本語で,飛行機が着陸態勢に入ったと伝える.ベルト着用.
15時35分,飛行機はウィーン空港に無事着陸する.
15時46分,ディッセンバーグ.つづいてイミグレーション.窓口は2ヶ所.長い列ができている.どうせ長いトランシット時間があるので,ノンビリと構える.
やがて,私の番.女性の係員はニコリともせず無愛想.パスポートに印鑑を押して,パスポートを放り返す.
ついで,セキュリティチェック.
16時18分,すべての手続きを終えて,トランシットするジュネーブ行のゲートB36へ向かう. 私たちはウィーン発17時40分オーストリア航空OS575便に搭乗する予定である.まだ時間が早いので,待合室には誰も居ない.あちこちのお店があるが,とくに買いたいものもないので,待合室で漫然と過ごすつもりである.
トイレに立つ.朝顔の位置が,日本のトイレより大分高い.「大」の方は日本と同じ.どちらも掃除が行き届いていてクリーンである.
どうやら物価は高そうである.飲み物が4.5ユーロもする.
私は,漫然と待合室で,搭乗時間が来るのを待っている.
(つづく)
「ツールドモンブラン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/76de4a674fc21c3131607f2703b267e1
「ツールドモンブラン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2147523eb4a2b5993866cb19a8bfbbc1
「ツールドモンブラン」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c
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