<紅葉の中山道>
中山道六十九宿巡り(第11回);第3日目(2):大妻籠
(五十三次洛遊会)
2011年11月11日(金)~14日(月)
第3日目;2011年11月14日(月)
<第3日目のルート>
<野趣豊かな街道を行く>
■妻籠宿の大看板
9時05分,妻籠宿町並入口の立て看板の前を通過する.私たちは,いよいよ,妻籠宿から大妻籠へ向けて,野趣豊かな街道歩きをはじめる.
まだ,妻籠宿の中心部からいくらも離れていないのに,辺りには観光客の姿は全くない.
9時6分,原っぱの片隅に造られている「妻籠宿」の大看板の前を通過する.近くに「妻籠宿0.8km」と書いてある案内標識が立っている.
<大看板近くの道標>
■紅葉と野趣豊かな街道を行く
辺りは実にノンビリとした野趣豊かな田園路になる.歩いていても実に気分がよい.私たちは,辺りの風景を楽しみながら,道幅の狭い路を1列になって歩き続ける.
折から紅葉の季節である.紅葉を長めながらのサンサンは実に良いなと思いながら歩いている.
■石柱道標
9時12分,石柱道標に到着する.
近くに設置されている案内板の記事によると,1892年(明治25年)に「賤母(しずも)新道が開通するまで,馬籠,妻籠,三留野を通る中山道は,古くから幹線道路として重要な役割を果たしていた.ことに,妻籠の橋場は「追分」とも呼ばれ,中山道と飯田街道の分岐点として栄えたところである.
この道標は,飯田の皆川半四郎が発起人になって,1881年(明治14年)に建てられたも」だという.
■弘法大師縁の石柱
9時22分,軒下に大きな石柱がある家の前に到着する.
軒下の案内板によると,この家の初代磯村定心居士は,この家の2階に弘法大師を祭司し,この石塔建立した.
<弘法大師縁の石柱>
<大妻籠の集落に入る>
■大妻籠の案内石碑
9時23分,大妻籠の案内石碑が立っているところに到着する.いよいよ待望の大妻籠である.
傍らの案内標識に従って右折,大妻籠の集落に向かう.
<大妻籠の石碑と案内標識>
■風格のある家屋
大妻籠の看板を見ながら,男垂川に架かる橋を左岸に渡る.そして,間もなく,大妻籠の集落に入る.卯建の見事な民家が建ち並んでいる.資料1(p.232)によると,この辺りは「一里塚村」呼ばれていたようである.
集落の入口近くの民家には,深い軒下に籠が1台吊り下げてある.
<軒下に籠が吊ってある民家>
■藤原家住宅
大妻籠の集落の入口近くに「県宝藤原家住宅」の案内板が建っている.
この案内板のところから,約350メートルほど登ったところに県宝藤原住宅があるとのことである.1978年,県宝に指定され,1985から1986年にかけて解体修理され,往時の姿が蘇ったという.
残念ながら,時間の関係で見学は省略する.
■大妻籠の集落を登る
9時30分,大妻籠集落の中を歩き続ける.山間の閑静な場所である.
とにかく静かである.集落の両側から山が迫っている.いかにも木曽路という雰囲気の道が続く.歩いていても,実に気持ちがよい.
<大妻籠の集落を行く>
■とうがめ沢道標
9時35分,どうがめ沢道標に到着する.大きな石柱の道標である.
この辺りに,江戸日本橋から81番目の大妻籠の一里塚があるはずだが,何となく見落として通り過ぎてしまう.この一里塚は庚申塔が代用されているようである(資料3,p.42).
■石畳の路
この辺りは石畳の道である.なかなか味な風合いのある路が続く.林の中を通るつづら折りの坂道が続く.
<石畳の路>
■忠犬
9時36分,「至ル妻籠宿」の案内板の前を通る.すぐ側に,「忠犬」と書いた案内板がある.何だろうと思って近付いてみる.
そこには,「この付近で,犬を使った有害鳥獣の追い払いをしている・・・犬は良く訓練してあるので,人間を襲うことはないが,出会っても無視してくれ・・」という趣旨の説明が書いてある.ということは,熊も追い払ってくれているのかな.
<男滝・女滝>
■倉科祖霊社
9時45分,男埵川の架かる小さな木橋を渡る.間もなく,下り谷という小さな集落を抜ける.
9時50分,倉科祖霊社に到着する.
近くに建つ案内文によると,ここには松本城主小笠原貞慶の重心倉科七郎左衞門朝軌の霊が祀られている.
七郎左右衞門は,主人貞慶の命を受けて大阪の豊臣秀吉のもとに使いに行き,帰途,この地の豪族たちの襲撃を受けて,従者30余人とともに討ち死にしたという.
<小さな木橋を渡る>
<倉科祖霊社>
■滝の案内板と滝見橋
9時53分,男滝女滝の案内標識に到着する.周囲は鬱蒼とした森林である.古中山道である.
案内板の前の道路を暫く進む.そして,9時57分,滝見橋を渡る.橋から見下ろすと,鬱蒼とした紅葉の中に滝が見え隠れしている.
<滝見橋>
■滝壺に下る
9時58分,川の畔に下る.前方にザワザワと音を立てて流れ落ちる男滝が見えている.さらにその右手に女滝がある.
<滝壺に下る>
<男滝> <女滝>
<急な階段を登って,元の路に戻る>
■女滝男滝の伝説
滝近くの案内板によると,滝壺に金の鶏が舞い込んだという倉科様伝説があるという.また,吉川英治の『宮本武蔵』の舞台としても登場するとのこと.浅学の私は『宮本武蔵』を読んでいないので,良く分からない.
さらに案内板では,幕末の頃までの中山道は滝の下を通っていたものと思われるが,現在滝の上を通っているのが歴史の路だと説明している.
暫く急坂を登ると県道に合流する.ここで左折.間のなく滝上橋を渡る.
さて,いよいよ馬籠峠も間近である.
(つづく)
[参考文献]
資料1;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料3;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
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