中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第4回):(7)深谷宿

2013年02月09日 05時02分26秒 | 中山道六十九宿

                    <三高院>

[修正版]  歩いて巡る中山道六十九宿(第4回):(7)深谷宿
           (五十三次洛遊会:単独歩行)
         2010年1月27日(水
) (つづき)

※本稿の初出は2010年2月8日である.
 初稿に地図を追加し,本文の加除修正を行った.

■ルート地図


※再掲

<深谷宿>

■深谷宿の概要
 資料3(p.67)によれば,深谷宿の人口は1,928人.内,男,895人,女1,033人.宿内
惣家数524軒.内,本陣1軒,脇本陣4軒,旅籠80軒.
 資料1(p.26)によれば,深谷宿は中山道六十九宿の中で旅籠の数が最も多い宿であった.特に飯盛旅館が多かったのが特徴である.明治時代になり煉瓦造りが盛んになり,東京の赤煉瓦街を作る源となったという.

■旧深谷宿常夜灯と立派な洋館
 見返りの松を通り過ぎてからすぐに,斜めに道路が交差する交差点を通過する.そして,16時31分,旧深谷宿常夜灯に到着する.
 冬至を過ぎて1カ月ほど過ぎたとはいえ,まだ日が短い.大分日が西に傾いている.大きな常夜灯が逆光の中に聳えている.
ユックリと常夜灯を見ていたかったが,日暮れも近いので,先を急ぐ.
 16時33分,進行方向右手に,何か由緒のありそうな立派な洋館の前を通り過ぎる.この洋館の由来は全く分からないが,とにかく写真に収める.
 
<常夜灯>                         <素晴らしい洋館>

■行人橋
 時間が押しているために,どうしても先を急ぎたくなる.そうなると,ついつい周囲の観察が疎かになる.途中から右折して裏道にある寺を参観してから,行人橋に戻ろうと思っていたが,16時38分,いきなり行人橋に到着してしまう.
 「・・さて,行人橋の石碑は何処にあるのだろう・・・」
 私は,目をきょろきょろさせながら,行人橋を渡るが,石碑らしいものは見当たらない.左右の橋桁に刻まれている文字を見回す.ここが唐沢川に架かる行人橋であることを確認する.もう一度,橋を渡り返す.左右を見回して,進行方向左手,金網の柵に接するように石碑が立っているのを見付ける.
 石碑全体の写真を撮りたいが,どうしても金網が画面に入ってしまう.「何と無粋な・・」と私は一人で思っている.
 資料5によると,「
行人橋の碑は明治31年に北爪義勝(きたずめよしかつ)が書いた.江戸時代、唐沢川がたびたび氾濫して橋が流された.行人というお坊さんが托鉢をしてこ­の橋を作った」とのことである.   
  
<行人橋石碑>                   <行人橋>              

■長福寺
 時間は大分押しているが,折角,ここまで来たのだから,裏道にある社寺も全部見てしまいたい.そこで,行人橋から右折して,川沿いの道を100メートルほど北に進んで,旧中山道の裏道に入る.まずは右折して.駐車場のような空地を横切って長福寺を詣でる(写真は上).
 立派な本殿だけを,一寸見させていただいただけで,長福寺を後にする.
 資料6によると,この寺は浄土宗,
本然山寿記院と号する.「長福寺の創建年代は不詳だが,新編武蔵風土記稿に「浄土宗、下総国岡田郡飯沼村弘経寺末,本然山寿記院という.本尊弥陀」とあり,飯沼弘経寺末として新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代末期には起立していた」とのことである.

<長福寺>

■東源寺

 長福寺の前を道なりに辿って,16時42分,東源寺に到着する.浄土宗のお寺のようである.ここもそそくさと本堂を遠目で拝見しただけで,すぐに今来た道を戻る.
 資料7によると,この寺は浄土宗,山号は稲荷山.「東源寺は,空蓮社真誉善公(明応7年1498年寂)が開山となり,文明18年(1486年)創建した」寺だという.

<東源寺>

■福寿院金胎寺
 再び唐沢川に突き当る.そのまま橋を渡って,住宅地の中の狭い路地に入る.
 適当に見当をつけて,最初の狭い十字路を右折して北に向かう.すると予想通りに,16時50分,福寿院金胎寺に到着する.
 ここも写真を1枚撮っただけで,先へ進む.
 インターネットを調べても,この寺の情報は少ないが,資料8では,「新義真言宗の寺院で,山号は延楽山.深谷成田山とも呼ばれ,家康の甥である松平康直が開基.また上杉公の祈願所でもあった」と紹介されている.

<福寿院金胎寺>

■三高院
 再び元の十字路に戻る.右折して狭い路地を西へ進む.
 16時54分,三高院に到着する.焦りながら,山門から本堂の写真を撮る.本堂の外観は,しもた屋風の現代建築でがっかりする.
 資料9によると,「浄土宗寺院の三高院は大翁山浄安寺と号している.三高院は,廣蓮社天誉立光(文禄4年1595年寂)が開山,徳川家康関東入国後に深谷城主となった松平源七郎康直(文禄2年1593年寂)が開基となり創建したといわれる.三高院境内には,松平源七郎康直の墓がある」という.


<三高院>


[加除修正]

2013/2/8  ルート地図の追加と本文の加除修正を行った.

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.youtube.com/watch?v=MJNzlutZ754
資料6;http://www.tesshow.jp/saitama/fukaya/temple_inari_chofuku.html
資料7;http://www.tesshow.jp/saitama/fukaya/temple_inari_togen.html
資料8;http://blogs.yahoo.co.jp/imoimochan1911co/25720672.html
資料9;http://www.tesshow.jp/saitama/fukaya/temple_motosumi_sanko.html
                                   (つづく)


「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f1068bbb1aded3935fb85a2b89902e27
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/958627e436c1aa21432728332e649ce1

「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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