中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第10回目);第2日目(1);贄川宿

2011年11月16日 16時43分17秒 | 中山道六十九宿

                        <木曽路は鬱蒼とした木立の間>

     中山道六十九宿巡り(第10回目);第2日目(1);贄川宿
             (五十三次洛遊会)
          2011年9月16日(金)~18日(日)

第2日目;2011年9月17日(土)

 <第2日目の行程>



■プロフィールマップ


<JR塩尻駅から贄川駅へ>

■ホテルの朝
 昨夜は塩尻のホテルルートインに宿泊した.
 4時に目が覚める.テレビを見ながら6時頃までグズグズとしている.窓外を眺めると,多少雲が出ているが,天気はまあまあのようである.
 朝食は7時からなので,少し早めに1階の食堂に向かう.すでに食事の用意ができている.バイキング方式である.適当に和食系統の食材を選ぶ. 

 20分ほどで朝食を終える.

<バイキング形式の朝食>

■JR贄川駅へ
 7時35分,ホテルルートインを出発する.
 ホテルから塩尻駅までは少々距離がある.足の速い人,遅い人で,どうしても列がばらける.7時56分,JR塩尻駅に到着する.
 塩尻8時16分発中央本線(西線)の電車に乗車する.短い編成の電車だが,通学の生徒さんで結構混雑している.
 8時32分,JR贄川駅に到着する.
 私たちが乗車した電車はワンマンカー.少々勝手が違うところが旅情を誘う.

<JR贄川駅に到着>

■贄川駅
 贄川駅はこぢんまりした無人駅である.駅まで歩き出す準備をする.各自,適当に準備運動をしている.やり方がバラバラ.登山学校で習ったウオーミングアップの方法を皆さんに披露した方が良いかなと思い始める.

<贄川駅>


<適当にウオーミングアップ>

<贄川宿>

■贄川宿の地図

■贄川宿の概要
 贄川宿は宿内人口592人(男297人,女295人),祝杯惣家数117軒(内,本陣1,脇本陣1,旅籠34)であった(資料1,p178).

<JR贄川駅から歩き出す>

■紛らわしい食堂
 駅前は閑散としている.
 駅前広場の駅から見て左手に立派な門がある.その門長に「贄川関所入口」と書いた立派な看板が掛かっている.一瞬,ここは関所跡かなと勘違いする.良く見るとどうやら食堂「関所亭」である.
 「ありゃ~っ・・・だまされた」
と思ったが,何となく趣があるのでデジカメに収める.
 8時40分,私たちは贄川駅前から歩き出す.



■贄川宿の看板
 駅前から南南西に向けて,歩道のある自動車道路を歩く.ほんの2~3分歩いたところに「贄川宿」と大きな時で書いた看板の前を通過する.


<贄川宿の看板>

■贄川関所と木曽考古館
 8時46分,中央本線の跨線橋を渡って,線路の反対側に出る.
 跨線橋を渡ってすぐ左手の低いところに,贄川関所跡の建物がある.木曽考古館になっているようである.まだ,時間が早いので,中には入れない.
 そのまま通過する.

<贄川関所(復元したもの)>

■関所の入口
 説明文によると,贄川関所は,1869年(明治2年)に,福島関所とともに閉止され,原型は残っていないが,1876年(明治9年)の贄川村誌の「古関図」や,1665年頃(寛文年間)の「関所番所配置図」を参考にして,現在の位置に復元したものだという.



■津島・秋葉社
 やがて閑静な宿場内の集落に入る.人影は殆どない.
 8時55分,津島・秋葉社のの鳥居の前を通過する.この神社の由来は良く分からない.



■深沢家住宅(重文)
 8時56分,国重要文化財深沢家住宅に到着する.
 家の前の案内板の記事によると,「深沢家の屋号は加納屋.行商を中心とする商家であった.1810年代(文化年間),京大阪などにも販路を伸ばし,幕末には苗字を許されるなど贄川屈指の商人になった」という.
 





<深沢家住宅>

■ひのきや
 贄川は漆器の街である.沢山の漆器店が軒を並べている.
 8時58分,漆器店のひとつ「ひのきや」を覗く.女性店主が,愛想良く声を掛けてくるが,残念ながら時間に余裕がないので,素通りする.

<「ひのきや」の店先>

■水神
 資料2(P.84)によれば,贄川は火事が多かったという.そのためか水場が大切に保存されている.路傍に小さな水神が安置されている.
 資料2(p.114)によれば,贄川宿水場は4ヶ所あるという.

<水神>

■贄川のトチ
 8時59分,再び,中央本線(西線)の跨線橋を渡って反対側に出る.長閑で,心地よい田舎道になる.
 9時03分,「贄川のトチ」と呼ばれるトチの大木に到着する.大木の下には祠と歌碑がある.資料2(p.114)によれば,このトチの大木は,幹囲約10メートルで,長野県天然記念物に指定されている.
 この辺りの標高は892メートル.

<贄川のトチ>

<諏訪坂へ>

■草むらの中の石塔
 トチの大木を過ぎると,次第に登り坂になる.路傍には,夏草に覆われた石塔が見える.石塔に彫られている字を読むことは困難だが,昔の人の想いが伝わってくるような気がする.

<草むらの中の石塔>

■路傍の地蔵
 9時12分,路傍に鎮座する地蔵の前を通過する.この地蔵の由来は全く分からない.
 この辺りから,行く手はますます山深い道になり始める.


<路傍の地蔵>

■草道に入る
 国道19号線の切通しの上に歩道が設けられている.高いところを通る未舗装に草道が歩道である.この草道はやがて林の中の道路となる.この辺りの下り坂が諏訪坂である.

<草道の歩道に入る>

■押込一里塚跡
 9時30分,押込一里塚跡を通過する.江戸から63番目の一里塚である.

<押込の一里塚跡>


[参考資料]

資料1;今井金吾,2005,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社

                                       (つづく)

「中仙道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7fd6864769fa0aee7c3b9e381b989872
「中仙道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d48db551b3f7361165979b935b695e98
「中仙道六十九宿」(第11回)の概要
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5f1386bd0aa02e6ed553276e3426cc5a

   *************************

[編集後記]

2011年11月16日(水)

 秋晴れの素晴らしい天気である.
 一昨日(11月14日),3泊4日の第11回の中山道の旅を終えて帰宅した.旅の3日目の夜中に,のどが痛くなり,風邪を引いてしまった.3日目は朝から声がまともに出なくて往生した.
 この風邪,案外質(タチ)が悪くて,昨日,丸一日,自宅で安政にしていたが,未だに完治せず,「ゴホン,ゴホン,・・」と咳と痰が出る.滅多に風邪など引いたことがない私は,身体が本調子でないのが焦れったくて仕方がない.
 とは言っても寝込んでしまうほどの風邪でもないので,適当にブラブラしているが,早く本調子に戻りたいものである.
                                    (愚痴おわり)
 



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