こないだ取り上げた仁井田小学校ネタ。
これは仁井田小学校の校舎の全景である。
北校舎・南校舎はどれにも該当してない建築ではないか?
赤=南北校舎(1968年)
実は、調べてみたら驚愕の建築であることがわかった。
これは仁井田小学校の校舎の全景である。
微妙に塗装などに変化はあるかも。
左から東校舎、真ん中は南校舎、奥は管理・特別教室棟、右は北校舎である。
ここで、参考研究の「広く浅く」が秋田市立小学校の建築スタイルを分析してくれたのをまとめる。
・昭和40〜50年代、木造校舎を更新するために鉄筋、鉄骨製に更新
・昭和50年代中期 箱型の校舎全盛
・昭和50年代後期 耐震基準をあげ、ベランダ付きな高級堅牢な校舎
・昭和60年代〜平成初期 塔時計、壁画など遊び心ある建築
んで、上の写真を見て欲しい。
さらに、これ。
北校舎・南校舎はどれにも該当してない建築ではないか?
切妻の三角お屋根でベランダ無し、まるでアパートのような、木造校舎のテイストを残した建築。
秋田市のトレンドから外れたファサード(外観)である。
記録によれば1968年に現在地に移転しているから、そのままの作りなのか?と思ってしまう。
んで、この地図。
赤=南北校舎(1968年)
紫=管理特別教室(1980年)
水=東校舎(1996年)
緑=体育館
管理特別教室、東校舎ははまさに当時の建築に該当する。
東は壁画や時計が無いが増築で、部分的なファサードには大差が無い。
赤い点線は1990年代まで校舎が存在した場所。
東校舎増築で解体されたのだが、こちらだけはやけに古かった。
前にスイッチの話をしたが、さらに古いスイッチだし、雰囲気も怖かった。
理科室や給食室があった。
航空写真では青い切妻屋根で、煙突が4本ぐらいローソクみたいに立っていたのが違い。
じつはここに疑問がある。
なぜここだけ古くして早く壊したのか?
である。
最初は中学校のときのなごり?とおもったがどうやら違う。
南北校舎の現存部分は1980年の管理棟工事でリノベーションしたが、そこだけ謎に残したと推理する。
管理棟はストリートビューで見るとつなぎ目があり、物運ぶ時に段差があったのを思い出した。
また、階段が異なっていたり2階以上の部屋には転落防止バーや避難器具が備え付け。
屋上もあったが、塞がれていたため七不思議のネタにされていた。
そうなると、更にまた疑問が湧く。
なぜにこんな回りくどい工事をしたのか?である。
仮説として、1980年は大住小学校が出来て仁井田からかなり児童が減った年。
だから大住の方に予算がまわったのではないか?
ただ、御野場の造成次第では更に人数が変わるから見込をつけられず、仮の存在として北校舎の部分を残したのでは?と。
あと、給食室の問題。
秋田市は兄弟でメニューがかぶらないように小学校中学校でメニューを統一する傾向があり、給食室が無いとこは中学校やセンターから融通される。
しかし、ここに当時の事情があった。
当時は御野場中学校が開校前で城南中学校だったが、この学校は1992年まで給食がなかった。
しかもいまでは考えられないが城南が南部最南端中学校であり、合併前で河辺雄和から頼めない。
道路事情も悪くてセンターにも頼めない。
そのため給食室を工事できなかったのでは?
(ただ、東校舎の時は休止が無く綺麗に移行した)
そんな事情がかさなり奇妙な建築の校舎が出来たのではないだろうか。
ちなみに、仁井田の南北校舎型は弘前にもあったらしいがこちらも解体されたとか。
珍奇な学び舎の話でした。
【追記】高校の母校、秋田中央高校も1968年に建築されたが、こちらは箱型であり2010年代前半に解体されている。
ちなみに御野場中はあまり充実してないみたいです。
なので、言い方は良くないですが、本人や家族に困り感がなければ放り出されてもおかしくない時代ではある。
明らかに周囲がおかしいと思っても、本人がなんとも思っていなければ基本は障害がないという扱いとなります。
閑話休題。
仁井田小学校は、特学の障害種が多い学校でもあるので、そういったことも影響していると思います(小学校を出た時点で支援学校に行くので、御野場中が特学が充実していることには繋がらない点に注意が必要。もちろん、中学校を出てから支援学校に行くのを希望する場合は、当然御野場中でも特学の体制づくりはしなければいけませんが)。もちろん、そういう受け皿があることで、他学区からの越境入学も有り得ることになります。
仁井田はお祭りが潰れてしまいましたし、竿燈やらに参入する人も居ません。
自分は北部で高校や職場などでしたが、置いていかなさがかなりありました。
ニュータウンや新興住宅地があることも影響しているかもしれません。
その意味で、中央部や北部はあながち間違ってはいないかも。
土崎は7月20日の絆で地域みんなで育てるイメージがありましたが。
広範囲ではあるけども、恵まれているとは思います。
こうまでやるなら福祉団地を誘致したら良かったのにとも思いますが、あれは事情が事情でしたからね。
子どもをターゲットとした場合、特支の概念も広いので、定期的な外来通院がメインかもしれません。
県医師会の会長の医院も児童精神科なので、現在はこのようなニーズも多いのがいえるかと。
児童センター併設の児童クラブは、築山を除いては保護者会運営だったと記憶していますが、下北手児童センター併設の児童クラブが将来どうなるかが気になります(下北手小学校は、令和7年3月で閉校予定)。
新築の広面児童館には、児童クラブの併設はないですし。
就労支援施設も、最近は放デイ同様住宅地に作る傾向にありますし、近年では若竹学園が横森の奥まったところから御所野地蔵田の幹線道路沿いに移転したケースもありますし。
精神科も昔は東病院や笠松病院、緑が丘病院みたいにまちはずれが今はだいぶ町医者が増えてきてます。
仁井田の統合もバス冷遇次第では失敗しそうな予感。
看板をつけていない所も中にはあるので、わかりにくいところもあるかもしれません。
社用車(送迎車を含む)にも社名や施設名をつけないケースもあるので、パッと見分かりにくい場合もあります。
小中学校のの統合については、立地の面で明らかに優劣がない場合は、児童センター・児童館やコミセンの状況などの周辺環境も考慮されるようです。
また、スクールバスのりばが確保できる立地かどうかも考慮されるようです。
西部の小学校は、日新が確保できる環境がないと3校統合が現実的になるのでしょうね。
バスの研究で思いましたが仁井田方面は障害者手帳を見せる人が結構いたような気がしました。
A型B型の作業所自体は他に突出してるわけでもなく、障害者雇用なら市内、療育施設なら秋商奥→上北手の福祉団地がありますし。
もしかして単価安いから乗る割に冷遇されてるとか。
水や食文化の違いがあるとは思えませんが、市内から隔絶されたような街が自閉症とか生み出してるとしたら…
放課後等デイサービスは、障害のある子どもが対象(別称、障害児の放課後児童クラブ)なので、箱物というよりは、一般家庭の建物を使う場合と住宅地から離れた障害者施設に併設されているケースなどに分類されます。
放課後等デイサービスも、保育士や三福祉士、児童指導員任用資格(教員免許や補助員としての職務経験など)を要しますので、こちらも誰でもできる仕事ではない。
こちらも、運営会社によってはハローワークの常連になります。
保育園以上に待遇が悪いところもありますし、子どもの人数(1日の収容人数に上限がある)の割に職員が少ないなど、儲け主義の会社の場合は更に待遇が悪くなる傾向にあります。
仁井田方面は、放課後児童クラブも放課後等デイサービスも比較的多い方なので、身近に感じるかもしれませんね。
放課後デイサービスは中学校近くにありますが、まるごとな大改革になりそうです。
ちなみに仁井田はスポ少がサッカー以外はかなりお寒そうです。
サッカーだけは仁井田スポーツ少年団がクラブチーム化しましたがバスケ、バレー、野球はあまり名前を聞かなくなりました。
我々の代はサッカー魁星旗と野球ナイスで優勝したはずでしたが。
バスケバレー野球が厳しいならバドミントンや陸上などに挑むにも良さそうですが。
だから、全国津々浦々ハローワーク案件になります。
もしくは放課後児童クラブに転換するか。
天下りになるような定年だとおじいさんおばあさんだし。
みなおしが必要では。
児童の遊びを指導する者任用資格は、社会福祉士や保育士資格を有すること、教育職員免許状を有することなどです。
これに、職務経験を踏まえて、民間資格にはなるものの、児童厚生二級指導員の取得が推奨されます。
コミセンの指定管理者は、各サービスセンターから指定されたもの勝ちで、監査に引っかかるようなことがなければ、一旦指定を受ければ、しばらくは継続できると思います。
そもそもどんな資格試験なのか。
それを、コミセン業界では、〇〇地区コミュニティセンター管理運営委員会と言っています。一応、市のサービスセンターから指定委託をされている形になっています。
児童センターや児童館の職員の場合は、任用資格があるので、町内のおじちゃんやおばちゃんでは難しい部分もあるのです。
ただ、学校行事や式典における来賓の方々は、前者が格上であることを忘れてはいけない。
大学方式を採用とか。
なので、セキュリティの設定をしなくともいいエリアを作るか、利用者が簡易なセキュリティで済むようにするかの工夫は必要だと思います。
あとは、学校教職員とは別に、コミセンのような管理人を別途設定するとかですかね。
ただ、池田小学校の事件でかなり厳しくされたようです。
保安上の問題をクリアした上で、地域に開放するのはありだろうと思います。
郊外部の児童室も空き教室の有効活用策(ただし、独立した児童館を作る代わりの経費削減策とも言いますが)になるので、何らかの使い方はできるのではないかと思います。
財政上の理由でドラスティックな増員が出来ないからでしょうが、他の余った官職をリストラするかわりに…で。
バカとブスは先生になれぐらいでないと改革無理では。
変更は仁井田の大野が仁井田→大住にかわりましたね。
免許更新制自体は廃止不要(研修自体はもっと必要ですから)でしょうが、失効状態でも復帰しやすい制度にはしたほうがいいのは間違いないでしょうね。
非現職の場合、職務経験か講師登録がないと、更新講習が受けられないというのは、やっぱり問題のように思います。
ただ、教師に要求されることが多すぎるという事情もあるようですので、外部の専門家の積極的な導入や、教師ケアの体制も充実させる必要があると思います。
クラス替えのない弊害もあるのは確かですが、少人数の学校も一定はあったほうがいいとは思いますけどね(特区とかで)。
南部は差し当っての再編対象が少ないと思われますが、牛島小学校が児童数が少なめなので、学区の変更などはありうるかも知れませんね。
日教組が要求していた教員免許更新制廃止を政策した自民党で廃止しないとならなかった理由もそれでしょう。
パラ絡みの番組眺めてると、一部教科に障害者を使うのも還元あるのかも。
仁井田に限らず、そのためには、マンパワーも空き教室も必要ということです。
クラスの人数を減らすことで担任の負担を減らすことができるが、その分学級数を増やすケースもある。
また、特別支援教育のリーチが広くなったので、それにも対応が必要。
つまり、マンパワーが圧倒的に足りないのです(だから講師が必要)。
新しい教諭採用にも、教科や校種が偏っているので、倍率の高い区分と低い区分があるので、必ずしも新しい先生を採用できているとは限らないのです。
秋田県に限らず。
仁井田もそういう子とかいたら、自然とそうなるのでしょうか。
ラミちゃんのお子さんはラテンアメリカ気質の家族らしく、明るく楽しく共生なようでしたが。
それが一番良かった企画だと思います。
自治体によっては、特別支援教育支援員など、別の言い方をするところもありますが、特学や支援学校の児童生徒同様、個別の指導計画などを作成する必要があるため、保護者からの承認及び申請を経た上で、ついてもらう形となります。
サポーターは、学校にもよりますが、1クラス1名程度はつくケースが多い(1日つきっきりではなく、いたほうがいいであろう、という授業に絞ってつくため、サポーター1名で何人もの児童生徒を担当する)ので、どの小中学校にも1、2名程度は配置されていると推測されます。
この辺りも、一昔前と違いますね(個別の授業を行う必要がある場合は、通級か特学になると思われる)。
なんだかんだで南部や河辺雄和の教育基幹地なんでしょうか。
NHK東北でいう仙台みたいな。
それが現在の通級(のうち、言語障害対応)。
通級には、言語障害とLDの2種類があって、小学校だと5箇所ぐらい、中学校だと茨島の教育研究所に設置されています。
高校だと、最近になって明徳館高校に相応のものを県で設置する話になったとのこと。
ただ、四ツ小屋ではまかないきれないためそこの学区から特例通学してる人がいるとききました。
市内にはことばの教室というのもある学校がありますが。
ただ、特学は非常に充実しているといいます。
弱視、難聴、知的障害、肢体不自由、身体虚弱、自閉情緒のほとんどが(年度によりますが)あるとされるのも珍しいかと。
通級はないですね。
あと、雰囲気だけなら楢山の国鉄宮田官舎にも。
確かに1996年まで付け焼き刃な工事だったのは否めません。
一気に箱型で丸々改築を1980年にしていればどうなったのか?
ただ保戸野や旭南あたりからは大住、御野場、1984年の四ツ小屋と来たらもう厚遇差が出ると言われそう。
ましてそんな校舎があるとなれば。
ちなみにもう仁井田の教室は空室多数になっているとか。
仁井田の児童数増加や対応工事が、いかに切羽詰まっていたかを物語っているのでしょう。
中央高校旧校舎は、市立高校時代の建築だったわけですが、設計も、その後の運命も、違うもんですね。
昔の保戸野小では、4室程度の「モルタル校舎」と呼ばれる旧校舎もありました。仁井田北校舎を白壁にして汚くしたような。
我々の頃は、新校舎にも空き室が出ていたので、旧校舎はスポ少控室と渡り廊下的扱い。天井に火の玉がかすった跡があるとの噂があり、探したものです。