久々にスーパーマーケット思い出シリーズ。
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コレは土崎の穀保町という港まつりの曳山があつまる場所にできる予定だったまぼろしの土崎店。【追記】場所は御蔵町。
今回は「ジェイ・マルエー」ネタをかける。
略称は「マルエー」や「ジェイマル」などさまざまだが、今回は基本ジェイマル(秋田弁でズエイマル)とよばせて欲しい。
1976年に出来たジェイマルの発足地は雄和町新波。
どんな店だったかといえば、町の個人商店という感じの小さなスーパーで、現在研究中の秋田県道9号の旧道に位置。
めずらしくてみたことがあるが、たしかにコンビニクラスのかわいいスーパーで、玄関に昭和50年代の食品衛生施設のシールが残るのがまたポイントが高いというまさに昭和の店。
企業名・商号は「マルエーうちや」、店名商号は「マルエー」。つまり、マルエー呼びは昔の名前。商号もマルエーうちやだった。
そのマルエーが土崎に進出した1985年、本部を土崎に移転させている。
さまざまな資料や証言から場所は港中央1丁目の白帆付近にあったようだ。
そのマルエーが自分に身近になったのは1995年。
仁井田に本部ごと「ジェイ・マルエー」として国道13号沿いのト一屋の隣の石材屋跡地にやってきた。
当時のジェイマルは生鮮品や日配(惣菜など)がなく、日用品、保存加工食品、医薬品というドラッグストア的な感じ。
とにかくカップ麺と文具が安かったイメージ。
このタイプはマルエーから切り替えた土崎店(土崎駅近く)、泉馬場店(如斯亭近く)にも展開していた。
余談だが、自分は仁井田店の駐車場で高校のとき頭から自転車で転び、顔を怪我したことがり、クラスで話題にされてしまった。
土崎店は高校文化祭の買い出しで行ったことがある。
雄和に個人商店型マルエー、秋田市内にドラッグストア型ジェイマルで並列展開していたが2000年代からは本格的なスーパー進出をする。
広面、泉、旭南、御所野とどんどん増やしていく。
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このファサードですぐわかるように!
ちなみにドラッグストア型は黒い看板だった。
2000年代前半はこんな感じ。
・マルエー大正寺店
・ジェイマルエー仁井田店
・ジェイマルエー土崎店
・ジェイマルエー泉馬場店
・ジェイマルエー広面店(明田通り)
・ジェイマルエー旭南店(新国道旭南交差点、旧マルダイ→キノシタ)
さらに広げまくり、秋田市内のスーパー、なかよしが潰れたあとのうち長崎屋と広面をうけいれたり、大曲に進出するが…
だんだん壁にぶち当たってきて経営のやばさを痛感したのか、今度は閉店ラッシュに。
時期がリーマンショックだったから、それもあったのかも。
ドラッグストアタイプの店はすでに仁井田以外閉めていたが仁井田店も本部ごと撤退。
このあたりでト一屋いとくも閉店して仁井田は短期に3つスーパーを失う。
なかよしから受け入れた店も閉店。
長崎屋のある中央交通ビルに関してはドン・キホーテになったので、1986年のビル完成以来皮肉にもはじめて核店展開に。
そして極めつけがコレ。
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コレは土崎の穀保町という港まつりの曳山があつまる場所にできる予定だったまぼろしの土崎店。【追記】場所は御蔵町。
土崎はマルエータイプ、ドラッグストアタイプ
につぎスーパータイプもやる予定で建てているが断念。
令和のいままで廃墟になっており、秋田市商業史の黒歴史のひとつかも。
旧北前船の御蔵をぶっつぶしてまで建設した新築廃墟はそうとう批判されたし、当時はいろいろ悪いはなしもでていたようだ。
【追記】コメントによれば、いまは物流倉庫らしい。
そっからしばらくは堅実な路線に戻り、再びリベンジが始まっている。
2015年には庄内に参入。
ト一屋とはぎゃくのパターン。
その後は由利本荘市にも参入し、ついに2021年、秋田市に10数年ぶりに新店舗の話がでた。
茨島6丁目である。
一方で、創業地のマルエー大正寺店は河川開発の都合で閉店、解体された。
こう調べると時代に応じて本部や店や業態をうまく合わせていたのかもしれないが、失敗も多かったんだなと。
ドラッグストアタイプの店は市内に他県資本のが増えたが、もし残っていたらどうだったのかと思ったりもする。
事実潰れた3店の近くにはツルハや薬王堂が建っていたりするから、悪い話ではなかったかもしれない。
マルエーは趣き深いがこの業態ではたぶん令和まで来れなかった。
今後どんな動きするのか、みていきたい。
だけど土崎の廃墟、あれはなんとかならないかなあ。
最悪はドラックストアに戻っても。
今度は、遊技店の居抜きのようです。
なので、食料品スーパーとしてはやはり不自然な趣。
酒田ト一屋を大谷記念でドジャースにしましょう。
豊岩もこれはどうしたいかわからない街なんですよね。
新屋が10万単位の副都心になるのを予想しての大穴狙いで結果よくわからないことに。
豊岩工業団地も調べると草刈りの入札など、売れてないみたいですし。
ヤマダ跡地を再開発するのでしょうか。
秋田市の話。
新屋及び豊岩側の秋田南大橋の手前の道路沿いに、それこそ店舗展開をすると豊岩側としては利便性が高まるような気もします。
中学校統合の結果、あのへんの開発をしないとストロー現象が起きてもおかしくなさそうな気も。
外旭川はもう田んぼが減ることが目に見えてくるので仁井田みたいに一気に撤退されてしまうパターンも否めません。
支店名は方角名以外に他につけようがあったという気がしますが(追分はそのままだった訳で)。
外旭川地区は、LS社を含めるとそれなりの拠点は残しているように思います。支店窓口とATMが皆無なだけで。以前は、本体で介護の拠点もありました。
ジェイ・マルエー、次の進出があるか撤退が先か気になるところです。
なにより旧神田県道にあった農協施設は他よりも立派な気が。
方角は北はそれより北の飯島、追分、東は広山田あたりに使いたいからでしょう。
県立化したときに方角を使い切った中央高校みたいなもんかと。
未だに、新あきた農協が中央支店を設置した経緯がよくわからない。
彩菜館の位置(現在の東部SC管内)で中央なのも不思議なところですし。
ただ、現在の彩菜館の位置(ATMは、秋田駅東支店管轄)は、秋田東署から秋田中央署管内に変更されています。
西袋は人口とかの割にはかなりインフラよくありません。
南が丘あたりよりはマシでしょうが。
金融機関も至近の秋田なまはげ農業協同組合飯島支店のみ。
ちなみに、農協飯島支店の管轄は、下新城及び金足を除く概ね北部全域なので、一応は外旭川もエリアに入っていることになっている(新あきた時代の中央支店が、北と東に分割統合され、外旭川が北に統合されたため)。
上新城ですが、ここも最速な店はコンビニで横金線のセブンイレブンと対岸のファミリーマート、スーパーは土崎いとくです。
サッカーモールの恩恵をうけるのは厳しいでしょう。
古い文献を読むと四ツ谷に昭和型スーパーがあった時代もあったらしいんですが…
公共交通機関などを考えると、商業的には寒い地域だと思います。
仁井田側はマルダイ、ナイスあります。
南大橋と下浜の中間はど田舎な感がありまして。
大住牛島西側にいくとコープやナイスがありまして。
雄和以外では馬場回帰になりますが濁川とか、なかよしが潰れて久しい松崎〜堺田、サッカーモールからも遠くなりそうな四ツ谷〜飯島西袋、中野あたりとかでも。
勝平は、恐らくは飽和かと。
願わくば、雄和でしょうね。
比較的大きめなのが、コメリしかない。
ただ、ATMが設置されているところがない(事情が明らかに違う御所野は別にしても)のは、EDLPが理由なのか。
ただ、スーパーが良かったです。
中古車販売はありすぎな地域なんで、
前通ったら
中古車ショップに改装中と
看板があった。
はたまたまた手を広げてるのか。
取引行に荘内銀行が入っているのがびっくりしました(秋田支店は、先日酒田市に移転)。
EDLPを理由に、電子マネーやクレジットカードは、頑なにお断りして入とのことです。
なんかミナミの帝王とかに出そうなそういう話とかでなきゃいいんですが。
秋田の会社として消滅させたくなかったのか。
川反商事社長は、旧会社当時の社長のままだったようで、現在のマルエーうちやとは無関係であることは報道で強調されていたようです。
うーむ、謎だ。
これが何を意味するか…謎です。
公開してないので株主がどうなるかわかりませんが、もし川反側に創業の迷走があるならば、一子相伝はダメだったと。
それでも会社分割から12年位は保っていたんですね。
これで、現在のマルエーうちやは、創業家の打矢家から離れるのでしょうか。
そもそも御蔵をこわしてこれ。
もう私のようなスーパー好きに令和の御蔵として開放しても、なんつって。
旭南も茨島も同じ小学区ですが、茨島交差点を通過する心理的な苦痛はかなりでかいのと、あの位置は旭南は川尻、山王、楢山、大町。
茨島は割山、牛島、卸町、新屋と市場がずれてるので、かぶらないのがあります。
旭南と茨島だと、7&i系列みたく、将来的にドミナント戦略でも取るつもりなんでしょうか?
共倒れしないといいのですが…
やはりダメを見たのでしょうか。
居抜きですが、これは安上がりを考えたら仕方がないかもしれません。
現在のマルエーうちやは、川反商事創業者から距離を置いているので、方針はしっかりしてきたのでしょう(現在の両企業の本社は、泉北の同一地(ただし、ジェイ・マルエー泉店とは至近だが別位置)に所在するので、関係が完全に切れたわけではないと思いますが)。
ただし、鶴岡と酒田のヤマダ跡地居抜き感の強さは違和感がありますけど。
せっかくの建物なのに営業もできずもったいなさが。