コロナがなければいまは修学旅行のシーズン。

YouTubeより切り出し。
主に高校だけど、シリーズとして記す。
小学校編。
小学校は6月に宮城・岩手を回る。
では、仙台まで行くには?
昔ならバス、いまなら新幹線だが我々だけは特別な使い方をしていた。
小学校→盛岡駅 市営観光バス
盛岡駅→仙台駅 やまびこ(市営観光バスは回送)
仙台駅→仙台科学館 市営観光バス
仙台科学館→ベニーランド→松島宿舎 市営観光バス
松島宿舎→五大堂 市営観光バス
五大堂→平泉→小学校 市営観光バス
なんでこんな不思議なことをしたかといえば、この年に理由ある。
この97年は春に秋田新幹線が開業。
しかも5両時代で珍しい需要、トラブル多発なため、秋田市内の学校は積み残しや遅延を避けるため乗車をさけていたのだ。
もちろん、200系。
翌年からは秋田新幹線に変わった。
やまびこは新幹線に乗る穴埋め要素。
ちなみに秋田新幹線は大学入試で初めて使った。
もう一つ面白いのが市営観光。
なんぞやと思うかもしれないが、秋田市交通局はかつて大規模観光事業を実施していて大きな観光バスを何台も持っていた。
その車を使い回ることに。ガイド付き。
この年度で市営バスの観光事業は廃止になり、バスは別用途に回されガイドは市の別な職員に転出した。
昔はバスに名前がついていたがもう当時は名前が無かった。
仁井田は中央のフィールドなのに、よく最後の観光事業に来てくれたと。
その後記録会や中学校の行事で秋田八丈に乗ったりはしたが。
実は200系や市営観光はこまちだけよりもありがたい思い出に?
本編だが、雨がすごい日。
5年間遠足で雨ばかりだったから、とうとうオール雨に。
仙台地下鉄で科学館はたのしかった。
ベニーランドは乗り物酔い。
宿舎は汚くて食事がまずかった。
自由行動はケンカになりマリンピア観光ができなくなったのが悔やまれる。
平泉はなぜか藤原秀衡の棺だけが印象に。
(平泉は後に別な思い出がありましたが、これはまたの話)
さて、秋田の修学旅行といえば。

YouTubeより切り出し。
この修学旅行安否CM。
なぜかわれわれのときだけ不思議なフォーマットを小学校では採用していた。
普通なら短時間にアナがさらりと読み上げるんだが、この年は…
「ぼくたち○○小学校修学旅行団は、松島の旅館に全員つきました。お父さんお母さん、心配しないでください」
という子供声のバージョンがあった。
卒業式の呼びかけで脳内再生したらいい。
子供だから尺がダダ長く、さらに子供声が嫌いな視聴者もいたし、見てる同世代もこっ恥ずかしくて悪評すぎたのか、この版は翌年から消えた。
(一時期まで正月になるとやっていた中央不動産事務所のあれみたいなもん?)
一体だれが吹き込んだのか。
確か協和町と平鹿町だかで見た。
ちなみに我が校はやってない。
いろいろ実験的な修学旅行だが、中学校もまたまた試されたんです。
小学校の修学旅行はまだ「こまち」開業のはるか前(計画も具体化する前)だったので、往復「たざわ」+「やまびこ」の乗継。事前に体育館で、「盛岡での乗り換えの練習」なんてのもしました。
1日目は仙台駅から観光バスで宿泊先の松島まで巡りましたが、2日目は遊覧船、仙石線、徒歩ですべて巡りました。
中学校も、飛行機で移動もあるとか。
こども版はこの年のみかと。
高学年とは思えないガキ声で、正直違和感ばかりでした。
乗り換え練習、本当にあったんですね。
ただ、田沢湖線から東北新幹線ホームまでは大変では。
>unknownさん
飛行機はすでにあったらしいです。
北海道は583系を複数学校割り振りでした。
仙台駅で岩手県交通の貸切バスに乗り、宿泊地の松島、翌日の盛岡駅までお世話になりました。帰りの鉄道は「たざわ」のみ。
自由行動はベニーランドの中だけでした。
「たざわ」は2両単位で増結ができたので、団体に対応しやすかったのでしょう。
奥羽北線(東能代方面)へ直通するたざわの中には、土崎駅に停車するものがあり、土崎の小学校では土崎駅で乗降したと聞きました。
しかも往復鉄路とは。
ここまでうらやましく見えますが、最後の市営観光という付加価値の凄さよ。
これだけで自慢になります。
ダブルデッカー車のみはらし号以外はよく分からないです。
中央交通では、能代行の高速路線にダブルデッカー車を入れていたことがありました。
共通運用なのか無駄な使い方なのかがよく分からない状況でしたね。
中央だと能代のそれはわかりませんが、五城目の特急に「かもしか号」がありました。
ただ、沿線の銀行が急激に減少しているのが気になるところではありますが。
八木山も近いとなれば。