中之島美術館の館内の撮影許可
モデルはジャンヌ・エビュテルヌ(妻)
写真はWikiepediaより
モディリアー二はイタリアから芸術の都パリに出てきて
第一次世界大戦前後に活躍した画家で、
画家仲間では特有の画風で知られていましたが、
パリの展覧会には出展していない為、当時の世間には
余り知られていなかったようです。
裸婦像は当時のパリでは受け入れられず、警察による没収
騒ぎもあったそうです。
藤田嗣二のモデルであったジャンヌに恋して、同棲をして
彼女をモデルに多数の絵画を残しています。彼女との間に女の子を
授かりますが、結核性脳脊髄膜炎で35歳で早世してしまいました。
余談ですが、中原中也も同じ病気で亡くなっています。
モディリアー二の死後、10日後、第2子を身ごもっていた
ジャンヌは自殺してしまいます。
下世話の話ですが中之島美術館にあるモディリアー二の作品は
1980年頃19億円で大阪市が購入して問題になったのですが、
現在では200億円になっているそうです。
「もっと知りたいモディリアー二」島本英明 著
この写真凄いですね。左端からモディリアー二、中央がピカソ。
撮影がジャン・コクトーです。
” 耳
私の耳は貝の殻
海の響きをなつかしむ
”
このコクトーの詩は、昔習った国語の
教科書を思い出します。