最近、webb相方小池雄治のアルバム録音を手伝っているのだけれど、終盤に来て彼が奮闘している「歌録り」の難しさについてよく話す。ライヴとは又違ったデリケートさが要求される作業だ。
僕はフルアルバムの録音の度、最後に残された楽曲の主役である「歌録り」前はピリピリしたし、終わってからの安堵感は相当なものだった。僕は割りと早い方だったけれど、それでも一日2曲が限界~もっとやろうとしても「声の艶が削れるから」という理由でそれ以上はディレクターストップがかかった。
話は戻り、ある日の作業を終えた後、小池とウォッカを飲みながら、1950年代のフランク・シナトラの名盤を久しぶりに聴いた。ジャズの細かい事はよくわからないし、ロック以外のレコードの場合買ってもそのままろくに聴きもしないことがよくあったけれど、シナトラは違った。数枚しか持っていなかったけれど、それを20代の頃本当によく聴いた。
よく言われているのが、シナトラの「歌詞の解釈力」は天下一品で、歌を目指すなら聴いた方が良いという話。ネイティヴ英語スピーカーではないのでさすがに「凄さ」を具体的に理解することは出来ないけれど、歌い出し一行でその先を聴きたくなる歌だというのは体でわかる。本能で感じる歌だ。本人の深い解釈力の賜物なのかもしれないし、天然でそれが出来る「いい声」の持ち主だからかもしれない(それを言っちゃそれまでの話だけど)。
繊細且つイタリア系の不良っぽさが同居した歌いっぷりは、マーヴィン・ゲイのようなR&B歌手を聴くのと同じ意味で「なんてソウルフル」と思ったこともある。などと凄過ぎる人の歌を聴くと、自分はちゃんと歌詞を深く解釈して歌っているのだろうか?・・・と自問自答したくなる。
僕はフルアルバムの録音の度、最後に残された楽曲の主役である「歌録り」前はピリピリしたし、終わってからの安堵感は相当なものだった。僕は割りと早い方だったけれど、それでも一日2曲が限界~もっとやろうとしても「声の艶が削れるから」という理由でそれ以上はディレクターストップがかかった。
話は戻り、ある日の作業を終えた後、小池とウォッカを飲みながら、1950年代のフランク・シナトラの名盤を久しぶりに聴いた。ジャズの細かい事はよくわからないし、ロック以外のレコードの場合買ってもそのままろくに聴きもしないことがよくあったけれど、シナトラは違った。数枚しか持っていなかったけれど、それを20代の頃本当によく聴いた。
よく言われているのが、シナトラの「歌詞の解釈力」は天下一品で、歌を目指すなら聴いた方が良いという話。ネイティヴ英語スピーカーではないのでさすがに「凄さ」を具体的に理解することは出来ないけれど、歌い出し一行でその先を聴きたくなる歌だというのは体でわかる。本能で感じる歌だ。本人の深い解釈力の賜物なのかもしれないし、天然でそれが出来る「いい声」の持ち主だからかもしれない(それを言っちゃそれまでの話だけど)。
繊細且つイタリア系の不良っぽさが同居した歌いっぷりは、マーヴィン・ゲイのようなR&B歌手を聴くのと同じ意味で「なんてソウルフル」と思ったこともある。などと凄過ぎる人の歌を聴くと、自分はちゃんと歌詞を深く解釈して歌っているのだろうか?・・・と自問自答したくなる。
アニキにはシナトラばりの伊達男っ振りは期待しませんので(笑)実直ロック精神で、本能感じさせちゃってください!
歌は一瞬でも気を抜くとアウトだね。表現も音程も。だから終わるどっぷり疲れる。
KJさん
自分で書いた言葉ひとつひとつは、深く考えて歌ってはいないんだよね。
全体として神経集中させて入り込むけれど。
綿内さんは言葉の意味を考えながら歌うのではなく、全体的な曲の世界を表現すること、もしくは歌うという行為そのものに精神を注ぎ込んでいるという感じがします。
やっぱりいい意味で思考型ではなくて情感型なんじゃないでしょうか。
私はそういうボーカリストの歌の方が胸に響きます。
>歌うという行為そのものに精神を注ぎ込んでいるという感じがします。
やや乱暴な僕のコメントのフォローありがとうございます。なりさん仰るとおりです。
栗ごはんさん
50年代のシナトラ、どれも最高ですね。
60年代のポップス時代も良いけれど。
だから歌詞まちがえるんだ(笑)