都市鳥という言葉を始めて知りました。
私達人間がつくった村、街、都市。
そうした環境に適応し、街で生きることを選択した鳥さん達。
そして急速な都市化が近年自然環境に大きく干渉していることは論を待ちませんが、浅学非才な私の印象では(人間が好き放題やらかしたせいで沢山の生き物が絶賛大ピンチ!)という程度でした。
まあ確かにそれも間違ってはいなかったのでござるが、私達人間が改変した環境の変化を現実的に受け入れて対応している生き物たちも沢山いるということは、私にとって結構な盲点でござった。
そんな訳で少し鳥さんを見る視点が変わったところで、近場の公園に行ってきました。
最初に出会ったのは、背中に黒い紋章を背負った、赤い目の白い鳩殿でござる。
鳩さんを始めカラス、スズメ、ツバメ、トンビなどは昔ながらの都市鳥ですが、決して人間に依存せず警戒を怠らず独立性を守っていたのでござるなー。
人間に対する警戒を怠らない上に、ある程度人間を恐れないということが両立出来ると…鳥さん達の都市部での生活は意外と楽なのかも知れませんね。
まずは公園の中央にある池に向かいます。
頭隠して尻隠さず…って訳でもないのでしょうが
マガモさん御一家です。
この池は広さの割に水深はかなり浅いようです。(公園の池ですもんね)
だからチョチョイと逆立ちするだけで事足りてしまうようですね。
そのマガモ御一家を私以外に、ジッーと見つめていたのは
寒そうに背中を丸め首をすくめた、若いダイサギ殿でした。
後から思ったのですが、カルガモ御一家の様子を観察して池に入って自分の脚で立てるかどうか見極めていたのかも知れませんね。
公園の端にもう一つ池があるのでそちらに移動します。
背の高い木が沢山あり様々な小鳥の鳴き声がこだましてござるよ。
↑この写真は凧ですね。(笑)
枝に止まる鳥さん達、全て逆光によるシルエットでしか撮れませんでしたが、結構いろんな種類の鳥さんがいましたね。
名前を知らない鳥さんが沢山いました。
最初はスズメ?かとも思いましたけれど、こうして望遠で見るとスズメではない事がわかります。
こうした鳥さんも近年、都市鳥化した鳥さん達なのでしょうね。
もう一つの池につくとパンらしきものをカモに投げ与えている人がいました。
その人はすぐに立ち去ります。
いくらかのパンはすぐにマガモ御一家がペロリと平らげました。
餌付けというと普通こうした意識的な人の行為を餌付けといい、一般的によろしくない事だとされています。
私もその程度の認識でした。
しかし無意識的な餌付けというものも有るそうです。
(以下引用~)
売れ残った果実などの大量廃棄、生ゴミの野外放置、もっと進めて魚の養殖や田んぼでの米の作付け、畑での野菜づくり。
こうした行為まで動物への「餌付け」だと言えば、多くの人が抵抗を感じるに違いない。
しかし、両者の違いはただ一つ、餌をやるのが意識的か無意識的か、だけである。
それは単に人間側の区別に過ぎず、動物たちからすればそれらすべてが餌になることに何の違いもない。
いや、むしろ後者の「餌付け」のほうがはるかに大規模に行われており、よほどありがたい「餌付け」という事になる。
現代人は大きな勘違いをしているように思えてならない。
それは、自分の所有する土地は自分だけのもの、という思い込みである。
土地所有はあくまで、人間同士の取り決めに過ぎない。
自然界には様々な生物が生息しているのだから、食べ物があればそれを取りにくるのは当たり前の話である。
(宮崎 学・著 イマドキの野生動物、より)
この考察は目から鱗でした。
ともあれ、何事も自分だけの立場から判断することは間違い無く、最終的には自分の首を絞めることになります。
人間以外の野生動物は常に世界への警戒を怠りません。
それは、相手や周囲をよく観察して状況を理解した上で、自分のするべきことをしている、ということでござる。
私たち人間は人間同士の気持ちさえ分からず、自分勝手にワガママを押し通すことが幸せだと勘違いしているんじゃねーのかと、私は常々思っていました。
やはり自然に素直に生きることとは、私達現代人の近視眼的価値観からは相容れない不自由さに満ちていると思い込んでいるようです。
本当は人の気持ちなど分からない人ほど、(思いやり)を口にし、そう言う人の言う(思いやり)とは、単に自分のワガママを押し通す為の方便だったりします。
しかも無意識的な行いですね。
とりあえず私自身がこのような無意識的な、ワガママを振りかざさないようにせいぜい気をつけたいと思います。
どうやらダイサギ殿も向こうの池は諦めて、こっちにいらっしゃいました。
そして
この池に水を引く狭い用水路で、やっとお魚にありつけたご様子でござるよ~♪。
それでは今日の勘違いはここまでにござるよ。
良い夢を~♪
230 拝