Look at the Dawn Sky (^^)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

5/27 深い霧の五月

2014-05-27 07:25:17 | 日記
雨上がり、今朝はまたかなり深い霧に煙る夜明けです。






ところで、エコロジーとかね‥以前からメディアなどでよく謳われていますけれど、何か…どこかが‥とても胡散臭いのでござる。










大半のメディアが語るエコは、地球全体のことを考えているフリをしながら、結局はどこかで経済活動とやらの隠れ蓑に使われていることとかがねー‥どうにも胡散臭いのでござるよ。





















しかし、地球全体の都合というものを私達にも知り得る範囲の知識を材料にして真面目に考えれば、やはり際限のない資源の無駄遣いはいい加減にもう慎むべきですね。













ここまではいいのですが、こういう真面目な考えを生活の中で実行する時に…胡散臭くなるのか?自然な行いになるのか?、これは人によってずいぶん変わってきます。







人によって‥と書きましたが、別にこれは他人を善人や悪人などと決めつけて、他人を崇めたり、他人を非難するような意味ではありません。私達自分自身のことです。









私達がゴミを造り出すことは(結果)に過ぎません。

では(原因)は何でしょうか?。

それは自然…野の草花や野生の生き物たちと私達は普段からどれくらい付き合いが有って、自分が自然をどれくらい(好き)なのかという、私達自身の心が原因となっているように思います。



好き、嫌い、そして無関心。



自然が大好きな人であれば、ゴミをその辺にポイ捨てするなど考えられません。

しかし、どんなモノでも全ては最終的にゴミになります。

故に、ゴミをどれくらい出すのか、出した後のゴミをどうするのか。そして常に変化する自然という大きな循環を、本気で真面目に考えられるのは、本当に自然が大好きな人々に限られてしまいますね。





好きになると何か買い物をする時でも、値段の高い安い以前に、モノを使い終わった時の事に思いが至ります。





結局、エコということを日々の生活で本気で行うなら、今有るモノを大切に長く使うということになります。本来的に商売にはならない話でござる。









これは自然が嫌いな人や無関心な人には、心底嫌気がさすような、本当にどうでもいい話で御座います。





そしてそれは自然が好きだから良い、自然が嫌いだから悪いという話でもありません。ただ単に心はそのように変化するという話です。





普段、一日の大半を壁の内側で過ごして、目にするものはモニターの光ばかりという生活をしていれば自然に対する関心など育つハズもありません。そうした日常のことを感情的に判断してしまうと大体ロクなことになりません。





毎朝川へ行くのは私個人の趣味ですが、毎日ブログを綴るのは他人が少しでも本当に自然を好きになったらイイノニナー♪という程度の、私のエゴでも御座います。














それでは今朝のイイノニナーはこれまでに御座います。







よい一日を~♪







230 拝