※ストーリーに関するネタバレは含みませんのでご安心の程を。
ダーウィンとウォーレスが共同で1859年に自然淘汰という概念を「種の起源」という論文にまとめてから私達はその概念を間違いのない常識として扱って来ました。
そして私は昨今になりようやく自然淘汰から即進化に結びつける事に異を唱える最もな話を幾つか知りました。進化などという長いスパンの話がそんなに単純な訳がないとは私も考えるのですが、それはさて置いて。
今回のシンゴジラは「息をしていないゴジラ」だとお見受けしました。
遍く生命にとって普遍的な必要性がある呼吸を必要としないところまで進化論的な進化を遂げ、究極を突破した「生き物」というイメージが今回のゴジラに持つ私のイメージです。
生物の進化の果てとは如何なる生物なのか?。
まあ単純に考えるなら生物の枠を越える生物という矛盾を抱えた生物になります。
作中でゴジラのアップ画が何度かスクリーンに広がりますが、アップになったゴジラには律動や鼓動と言った生物が本来必ず持つ小さな動きが全く描写されていませんでした。
その画によってこのゴジラが本当に生きているのか死んでいるのか全く分からなくなり、恐ろしい超越者としてのゴジラが私の瞳には映りました。
そして容赦ないリアリティで描かれる東京の破壊は、明らかに震災を意識していて、それを成している超越者に対して私の理解が全く及ばない理不尽な恐怖を味わいました。
恐らく意図されたこの演出は、生物の進化の果てに生物では無くなった生物という矛盾した現象をホロニックに表現したかったのではないかと愚考します。
( ˆ ˆ )いやもうホントマジで面白かったでありますよ。
昨日は仕事中に来店する馴染みの常連さん達を相手に散々シンゴジラの面白さを布教して、結構皆さんの食いつきもよく楽しい一日になりました。
それにしても既存の常識的価値観における生死を超越するイメージとは、ちょっとだけゾンビに通じる所もあり、拙作「生ける屍達についての日記帖:Data of the living dead 」においても多大なる影響を受けてしまい、もう少し先の登場予定だった政治家キャラが前倒しの登場になってしまいました。
おかげさまで日曜日に書貯めた約六千文字のデータが、今回のゴジラによって軽々と踏み潰されてしまいました、が。
一切悔いは無い!(笑)。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
230 拝