佛暦2561年 6月23日
(・ω・)ノみんなおはよ。
なにやらまだ眠そうなアオサギ氏。
ナワシロイチゴが、たわわに実っています。
お目覚め。
「自分と向き合う」
誠に安っぽいセリフではありますが、聞けばそれなりにズシンとくるこのお言葉。
でも果たしてそれは一体、何故なんでしょうね。
それはやっぱり普段の私たちは自分と向き合ってはいないから、多少の差はあれ皆が一様に、ドキリ! となるセリフなのではないのでしょうか。
私たちは普段、ほぼ一日中他人のことばかり気にしています。
従って、他人のことを気にする時間が多過ぎて、自分のことを客観的に気にしている時間を持つ人は、実際、ほぼいません。
これはとりもなおさず普段の私たちは常に「自分のことは棚上げにしている」という状態である。とも言えますね。
だから「自分と向き合う」というセリフには「自分を棚上げ」にしている人に対して、それなりに力があるのだとも考えられます。
自分を棚上げにし、目を背け、つまらない意地や安いプライドや甘えた希望に現を抜かす。
つまらぬ意地を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
安いプライドを捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
甘えた希望など捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
自分と向き合うということは瞑想の一側面でもあり、↑上記したように、みっともなく、情けなく、ダメダメな自分を棚上げして放置したりせず「常に確認」をとる行為でもあります。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
230 拝
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