
佛暦2561年 9月1日


(・ω・)ノみんなおはよ。


わたしが乗るためには、柔らかい布が象の頸に敷かれていたし、またわたしは、サーリー米の御飯に浄肉のスープをふりかけて食べていたが〔幸せではなかった。〕

しかるに、今日、幸運にも、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

ボロ布でつづった衣を着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
托鉢によって得た食べ物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
三種の衣だけを着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
家の貧富をえらばずに托鉢して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
独りで座して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
一つの鉢に盛られる食物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

食事の時を過ぎては食事しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
森に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
樹の下に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
屋外に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
死骸の棄て場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
指定された場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
座ったまま横臥しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
望むことが少なく、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
満足して、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
人々から遠ざかり離れて、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
人々と交際しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
精進努力して、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたことを楽しみながら、ゴーターの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。

高価な真鍮製の鉢と百両もする黄金製の鉢とを捨てて、わたしは土製の鉢を執った。これは(わたし)の第二の灌頂である。
かつて、わたしは、高く円い城壁をめぐらされ、堅固な見張り塔や門のある城の中で、剣を手にした人々に護られながら、しかもおののいて暮らしていた。
今日、幸運にも、恐れおののくことなく、恐怖・戦慄を断ち切って、ゴーターの子・バッディヤは、森に潜んで、瞑想にふける。
幾多の戒めに安住して、心の落ち着きと智恵とを修めて、わたしは、順次に、あらゆる束縛の消滅を体得した。
(カーリゴーターの子であるバッディヤ長老の詩句/中村元 訳/仏弟子の告白 より)

今も昔も世俗の欲に骨の髄まで犯された人々からは、こうした「残飯を喜ぶ」という修行者の暮らしや生き方などは、狂気の沙汰と思うのでしょうね。
でも、本当の幸せの正体とは、あらゆる束縛の消滅です。
しかし世俗にまみれたわたし達は、幼稚で稚拙な欲望を際限なく満たすことが幸せだと思い込んでいます。
欲は束縛です。
怒りも束縛です。
無智こそが束縛です。
ならば束縛を少しでも減らして、減らして、本当の幸せを目指し頑張りましょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

230 拝

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