佛暦2562年 10月24日
みんな
おはよ
そも正義という言葉の意味は、道理に叶っていて正しい事。という意味の名詞です。
しかし私たちは普段、正義という言葉を形容詞として使っています。それは、道理に叶ってという意味を、自分の都合に叶って、という意味に改竄して使っているからです。
だからうかつに正義などと言うと、それぞれの正義があるだとか、正義の敵はまた別の正義である、などという何の益もない水掛け論に至り、出口の無い深き泥沼に陥ります。
本来、ものの道理という事実に沿って考えたり、話し合うならば、本当の意味での正義の実現とは容易いことなのです。
しかし今の世の中では正義の実現など、ほとんど不可能だと思われます。何故ならば。
泥棒が泥棒の正義を語る(騙る)。
詐欺師が詐欺師の正義を語る(騙る)。
臆病者が臆病者の正義を語る(騙る)。
卑怯者が卑怯者の正義を語る(騙る)。
このように個人によって都合よく捏造された正義など、ほんとうに馬鹿馬鹿しい話です。
本来、生きものにとってのものの道理とは「生病老死」です。
ブッダ、お釈迦様は、この世の道理をこのように完全に見事に解き明かしています。
そして私も私なりにお釈迦様の説を検証し、納得しました。
最早、世間的なそれぞれの正義などにつきあうつもりはありません。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
230 拝