昨日は元町、三宮という名の通った繁華街を華麗にスルーして、新開地という下町(なのかな?)を二時間ほどぶらぶらしていました。
時節柄、いつ何時発砲音や衝突音や爆発音が怒声と共に響くかとドキドキしていましたが…至って平穏無事でありました(笑)。
それにしてもアレですね。
真っ昼間の街中でネクタイを締めたオッチャン達の片手には…ワンカップが装備されている比率がとても高い土地柄なのですね(笑)。
そんな街並みを眺めながらぶらついていると、ちょっと派手なオネーチャンがアーケードの入り口に差し掛かりました。
その背後に忍び寄る…見た目はなかなかチャラいオニーチャンが、人混みの中をスルスルと滑るような足運びでオネーチャンに追ついてスカウトをはじめています。
まあスカウトとかはどうでもいいのですが、このオニーチャンの足運びや体捌きにはちょっと刮目しました。
相手から事前に接近を察知されて逃げられないことを主眼に置きつつ、後のフレンドリーなコミュニケーションの為にあえて気配を悟ってもらえるようにゆっくりと歩く。
こういう歩き方は私も毎朝鳥たちを相手に川っぺりでやっていることです(笑)。
そしてゆっくりと意識的に歩き始めてからしばらく経つと、いろいろな発見が多く私の世界がかなり変わって来ました。
ゆっくり歩くこと。
とは言っても普通にただゆっくり歩くだけでは何に対しても大して役に立ちません。
ただ単にゆっくり歩くのではなくて、自分が今出来る精一杯のレベルで極限にまでゆっくりと歩くのであります。
私たちは子供の頃から早く、速く動くことはそれなりに学ぶ機会がありました。
しかし意図的にゆっくり動くことを学ぶ機会があったことが有る人はかなり少ない筈です。
これはひとえに大多数の人々が「ゆっくり」動くことに価値を認めていない…いや、価値があるなどとは夢にも思っていないからです。
確かに動きを早くすることでお金を儲ける機会がいろいろ増えることはあるでしょう。
動きをゆっくりとすることで直接的にお金が儲かることなどは、確かにあまりありません。
それはその通りですね。
私たちが欲にまみれて欲を満たす為には「遅い」ことなど害悪にしかなりません。
しかし
「欲を満たすことでは、いくら頑張っても幸せにはなれない」
と、そういうところまで骨身に染みて理解している人々ならば…意図的に、そして理性的に極限にまでゆっくり動くことに途轍もない価値を見つけられます。
という訳で、ゆっくりと歩くことですが。
一度だけでも極限までゆっくり歩く事を試してみればすぐに分かる事があります。
最初はたった5mの距離であってもまともに歩ききることは難しいでしょう。
とにかくバランスがとれない筈です。
自転車の運転などに例えると分かり易いのですが、物質が移動をする時には慣性の法則と摩擦が必ず発生します。
自分の肉体の力以外の力…それ即ち自然法則の力が私たちの動きに作用します。
簡単にいうと「勢い」がつきます。
自転車に乗ってある程度のスピードを維持していると進むのがとても楽です。
逆に自転車のスピードを歩く速度にまで落として維持すると今度はめちゃくちゃに疲れます。
実際にある程度速く動くことは、ゆっくり動くことよりもかなり楽なのです。
何故ならそれは自分の肉体の力だけで動くのではなく、自然法則の力が補助をしてくれる分だけとても楽になるのです。
……ちょっと話が脇道に逸れますけれど…
法則と言えばいわゆる「引き寄せの法則」とかってありますけれど、あれは単なる営利目的の商売です。
いわゆる「マイナスイオン商法」と同じようなもんです。
イオン化というただの自然現象を知らない人々の無知につけ込んだバカ丸出しの真っ赤な嘘を塗り重ねた売り文句と同レベルのしょーもない詐欺まがいの(御立派な!)御商売ですから(笑)。
まあまた気が向いた時にでも詳しく解説するかもしれませんけれど…ね。
…で、は、ゆ、っ、く、り、と、話、に、戻、り、ま、す(笑)。
だからと言って自然法則は私たちを意図的に補助することを目的にして存在している訳ではありません。
それまで追い風で楽ちんに進んでいた時に、いきなり風向きが変わってものすごい逆風に晒されて一歩も動けなくなることなど、人生ではありふれた出来事です。
まずはこうした自然の力を極力排し、自力というものがどれだけのものかを確認することが「ゆっくり歩く」ことで見つかる最初の発見になります。
端的に言うと自分のバランスの悪さがどれほどのものなのかという、客観的な事実を身を持って体験し確認することが出来ます。
と………ずいぶん中途半端なところですが、ここでブログを書く時間が一旦なくなりました。
相変わらず自分でも何が言いたいのかよく分からん作文ですが(笑)。
よい一日を。
230 拝
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