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少年エナヤットはアフガニスタンの小さな村で母や家族と暮らしていたが、タリバーンが政権についてから村は迫害されるようになる。父親が死んで、学校も閉鎖され、いよいよ身の危険を感じるようになって母は10歳のエナヤットを連れてパキスタンへ脱出した。そしてある夜、母は姿を消してしまう。
エナヤットの過酷な日々をファビオ・ジェーダが聞き取り本にしたものである。
つまりこれは難民のリアルな話なのだ。
たった10歳の少年が異国で独りどうやって生きて行けばいいのか?
彼はより良い暮らしを切実に求めてイラン、イラク、トルコ、と北西へ移動してゆく。
生き延びられたのはひとつは幸運だったこと。もうひとつは彼が賢かったこと。
少年が主人公のファンタジーを読んでいるかのように思えてしまうこともあれば、そうであったらよかったのに、と現実を思い出すこともあった。
昨年 『判決、ふたつの希望』という映画を観たが、あれはレバノンのベイルートでの話だった。難民問題が重要な要因だった。
明日は我が身、と思うには辛すぎる。考えずにすむならそれに越したことはない。
しかし実際には思った以上に身近だ。日本政府は難民認定を渋りまくっているから人数は少ないけれど、色々な理由で日本に住んでいる外国人はもうすごく増えている。日本に憧れて、という人もいると思うけれど、それ以外の理由、止むに止まれぬ理由があるんじゃなかろうかという人も多いのではないか。
エナヤットの1人称で語られるこの話は、集団としての難民ではなく、ある日突然難民になってしまった1個人がどのように感じ考え行動したか、知ることができる。
過酷だがそれだけではない。人を酷い目にあわせるのが人なら思いもかけず助けるのも人だ。わたしはどちら側につくのだろう?
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