ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

桜巡り帳 6頁目:川口 戸田 蕨

2019-04-08 23:30:33 | ゆるゆる歩き:自然


卯月の三日は、時折強風あれども、青空で陽光温かく、桜は見頃だった。

御成道を北へ、荒川を渡れば川口。

西川口駅から少し西へ行くと、水路に行き当たる。


仙台なら広瀬川が町を貫くが、川口も芝川が町を貫く。

治水のために様々な水路を通して、運輸にも利用した。

そういう風土が、ちょっと似ている町だ。


少し水路に沿って北へ進むと、左手に桜が見えた。

桜の方へ行くと、なんと、見事な並木道であった。



この辺りは、川口と戸田と蕨の三市が接している。


桜並木の道は、戸田と蕨市の遊歩道がつながっていた。

戸田側は「喜沢の桜」、蕨側は「南町桜並木」。



露店も出ており、明るく楽しい。

 

 

 

戦後、急速に町は変わっていく。

昔の風景、自然が失われゆく事を憂い、有志が環境整備に取り組んだ。

この遊歩道も、かつては水路だったが暗渠とし、桜も植え替えられたという。



市民の思いが、桜花爛漫の並木道を作り上げたのだった。

おかげで、春は花、夏は木陰の道で、人々が喜びや楽しみを分かち合える。

 


 


桜巡り帳5頁目:王子

2019-04-07 18:18:32 | ゆるゆる歩き:自然

狐も花見をしているだろか。

卯月二日は花曇り、桜は満開でひらりひらりと花びらが降りてくる。


王子は若一宮(王子神社)も稲荷社もあり、古来聖地として人々が寄った。

 

王子の飛鳥山が、桜の名所と名高いのは、江戸の頃から。

将軍吉宗が、紀州と繋がりのある王子神社に飛鳥山を寄進し、桜を植えたのが始り。



吉宗公の施策で飛鳥山に桜が植えられ、十数年かけて桜は見事に咲きそろうようになった。

水茶屋も多く建てられ、庶民が花見の宴ができる場として開かれる。

こうして飛鳥山は、桜の名所として今もなお賑わう所となった。

 

 

当地は、すでに平安の頃から聖地であったとされる。


後の鎌倉時代になって、若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)と飛鳥山と呼ばれるようになった。

この辺りを安堵していた豊島氏が、熊野から勧請したのが由来とされる。


(熊野の阿須賀神社は、裏山の蓬莱山が御神体。神社と山が隣接したあたり、熊野と王子の神社が似ている。王子神社の御祭神は五柱で、総称を王子大神と呼ぶ。)

 

 


飛鳥山を下りて神社へ向かう途中で、音無川の傍に扇屋がある。

時々立ち寄る店で、関東に来て気に入りの店の一つ。

江戸時代には料理屋だったが、今は名物の卵焼きだけを売っている。



これが絶妙の甘さと食感で、卵の香りと旨味が豊かで見事。

花と共に忘れられぬ名物。

 

 

 

参考:北区岸町二丁目町会「王子神社の歴史」/王子神社御由緒/新宮市観光案内「阿須賀神社」/

北区飛鳥山博物館「飛鳥山碑」/北区飛鳥山博物館だより36「コン吉のへえ~そうなんだ飛鳥山」/

国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」/

北区飛鳥山博物館 浮世絵ギャラリー「江戸高名会亭尽えどこうめいかいていづくし)」


桜巡り帳3頁目:千鳥ヶ淵

2019-04-01 00:09:25 | ゆるゆる歩き:自然

言わずと知れた、明治期からの桜の名所。

 

 

千鳥ヶ淵の花見は、1881(明治14)年にアーネスト・サトウが、英国公使館前に植えた桜がきっかけだった。

この桜は、1897(明治30)年に東京府(1868~1943:現在は東京都)へ寄贈された。

 

翌1898年、最初の桜の周りに、さらに植樹がなされて桜並木ができる。

この時から、千鳥ヶ淵沿いは桜の名所として親しまれることとなった。

 

 

大正時代に桜はさらに増え、昭和には千鳥ヶ淵緑道が整備され、一層賑わうようになったのである。

 

参考:環境省「千鳥ヶ淵周辺の景観・サクラの特性、現状」/千鳥ヶ淵周辺案内板

 

 


千鳥ヶ淵を、明るく縁取る桜に見とれつつ、足元を見れば、そこにもまた群れる草花が濠を彩る。



斜面に群がる紫の花は、おそらくオオアラセイトウ。

 


道沿いに群がる蔓のついた草花は、おそらくカラスノエンドウ。 


 

 

ボート場付近では、背の高い菜の花もあった。

淡い紅と黄色と紫と、花々がそろって出迎えてくれて楽しい。

 

 

ちなみに、桜の再生保存のために募金活動も行われていた。

僅かばかり募金箱に入れたら、係の方が笑顔で桜模様の飴を下さり恐縮。

 


千鳥ヶ淵緑道の端っこでは、寒芍薬がお辞儀している。



酒宴でなくとも、のんびり歩いての花見もいいものである。

 


震災とこの8年を思って

2019-03-11 21:07:27 | ゆるゆる歩き:自然

あの日を悼み、良き未来を祈る。

↑2011年4月14日撮影:名取市小塚原。閖上がすぐそこ。

沢山の漂流物が散乱した中に、捜索する人の姿があった。

 

↑2011年4月2日撮影:仙台市若林区深沼方面。

一番奥、震災前は海沿いをびっしりと縁取っていた防潮林がまばらに。

調整区の田んぼの向こう、左奥の防潮林手前には家々が並んでいたが無くなっている。  

 

 

↑2011年10月26日撮影:南三陸町。

志津川病院と高野会館やサンポートが、建造物の破片の山と共に残っていた。

 

↑2011年10月26日撮影:南三陸町の旧防災庁舎。

    

 

↑2012年2月14日撮影:気仙沼市鹿折地区。

大型の船さえも津波は押し流し、しばらく船は陸に乗りあがったままだった。

 

↑2012年2月14日撮影: 気仙沼市鹿折地区。津波後、大規模火災発生。

炎に包まれながら、歩道橋が残っていた。

 

 

 

 

 

↑2014年3月11日撮影:仙台市勾当台公園市民広場。献花のために並ぶ人々。

 

↑2017年7月13日撮影:名取市閖上。日和山の向かいに慰霊碑がある。

 慰霊碑は、2014年8月建立。「種の慰霊碑 芽生えの塔」と名付けられた。

 

↑2017年7月13日撮影:名取市閖上。手前が名取川堤防。

左が港付近で工場、右には数棟の災害公営住宅が見える。災害公営住宅は、共同住宅のそばに戸建てもある。

 


あの日のまちかど 第10景 広瀬川

2019-02-09 18:37:34 | ゆるゆる歩き:自然

九年前の今日、広瀬川沿いを歩いていた。

 

「鳥っこ見っけ隊」と称しての野鳥観察。

それももう、2010年の時点で4~5年になるか

 

この日は、珍しい鳥に遭遇し、びっくり。

ミコアイサだ。

 

 

広瀬川で見るのは初めてだった。

ちょっと寄っただけのようだが、出会えて嬉しい。

 

2009年あたりから、広瀬橋付近に白鳥も飛来。

広瀬川を気に入ったようで、かなり寛いだ様子。