ベトナム・ホーチミン市で生きる。ふも・ふもまろの足音 buoc chan cua Fumomaro.

ふもまろのひび
Moi ngay cua Fumomaro.
ベトナム・ホーチミンシティの下町から

10周年

2011年02月15日 12時55分39秒 | ベトナム生活
みなさん、こんにちは。
ふもまろです。

帰国の準備がひと段落し、これから近所に挨拶回りに行きます。

ベトナム経歴、そうですね。ちょうど大学入学前のこの時期だったと思います。
大学から家に手紙が届き、副専攻語の希望届けが封筒に入っていました。
そのときは、ベトナム戦争、ベトちゃん・ドクちゃんしか頭に無く、
フォーや雑貨なんて、想像していませんでした。
大学でしか学べないこと、それを選びました。

副専攻でしたが、ベトナム語のクラスは、週2回あるのですが、
毎回テストでしたね。。。先生は授業では優しかったですが、テストになると怖かったです。
そんな先生とも、今でもお付き合いさせて頂いてます。

もうあれから10年。
ここでひとまず、「、」を打って、帰国します。

今まで、目標というのは漠然としていて、とにかく頑張っていた気がします。
でも本当に、人生というのはよく分かりませんね。

初めは印刷業、母が画家だったこともあり、色に対しては誰にも負けない自信がありました。
これも母のおかげでしょうか、幼い頃に、家族で展覧会に行った記憶が今でも甦ります。
次は、物流業。大雑把なようでいて、繊細な作業が要求される。またここでも印刷物を業務で触れられ、
本当に出会いというものを感じます。

次のステージは、まだ分かりませんが、とにかく頑張って生きたいと思います。
また、ベトナムに関わらず、日本そしてベトナム両国に、何か恩返しができることを、
将来やっていきたいと思っています。

最後に、今、家族が集まって昼食をとっています。
昨日は、妻のお母さんに泣かれてしまいました。
今、泣かれてしまうと、私はいつ泣けばいいのでしょうか。

昨晩、娘が体調を崩し、夜通し泣いていました。
本当に、胸が張り裂けそうな気持ちです。

自分である前に、家族を支える父親として、
何ができるのだろうか。

やっぱり一人で生きることは、辛いですね。
それでは、また。
ふもまろでした。