ベトナム・ホーチミン市で生きる。ふも・ふもまろの足音 buoc chan cua Fumomaro.

ふもまろのひび
Moi ngay cua Fumomaro.
ベトナム・ホーチミンシティの下町から

ローカルで生きるからこそ感じるもの。。。。

2021年12月30日 00時40分07秒 | 人生
あっという間の一年でしたね。

今年はコロナが猛威を振るって、ベトナムの家族の中で、

コロナに倒れてしまって天国に旅立ってしたった親戚もいて、

もちろん日本でも、コロナで亡くなってしまった有名人もいたり、

ずっと心が晴れず、コロナに締め付けられているような一年でした。

来年は、良い年だと良いなあ。

私はベトナム・ホーチミン市の下町に住んでいますので、

周り中、ベトナムの方ばかりです。

外国人もほとんどいません。

そういう環境の中で生きていますので、

あー、ここのお店やめちゃったか。

あー、ここも。

えー、ここも閉店。。。。

と寂しく思っていたら、

え、こんなところにこんなお店できたの。

いつまで続くかな。

と、週ごとに街中が変わっていく感じです。


コロナがいつ終わるか分かりませんし、

感染をなるべく防止するためにも、

最善を尽くすことはいいと思いますが、

ここの場合は、日本と少し違うと思います。

日本はコロナ前は、爆買い旅行客にいっとき支えられ、

日本政府による水際対策によって、爆買い旅行客がこなくなってしまった。

旅行関連の業界は多大な影響を受けましたが、

観光地を少し離れてしまえば、

飲食関連で影響はあったものの、

それ以外の業界ではあまり影響がなかったのではと思います。


2年日本に帰っていないので、正しくないのかもしれませんが、

コロナで仕事がなくなり、田舎に帰らなければならない状況というのは、日本ではないように思います。

日本の場合は、田舎だと仕事がないことが多いですので、仕事を求めるために都会に出てくるのだと思います。

また日本は、他の仕事を探したり、何か補助を受けたり、仕事を選ばなければ、仕事はある環境かと思います。

こちらの場合は、仕事を選ばなくても、仕事がない状況があったこと。

例えば、旅行のガイドをやっていて、日本人観光客がこなくなったので、

ツアーがなくなったから、失業してしまった。

仕事がないので、日本食屋で働いてみる。

最後の希望だったかもしれません。

その希望が、外出禁止令で、希望が打ち砕かれてしまった。

厳しい規制により、多くのお店が閉じてしまいました。

規制は3ヶ月でしたでしょうか。そうなると、都会では生活が難しいので、

田舎へ疎開するように集団で戻ることになり、戻る期間がだいぶ長かったので、

逆に実家周辺の工業団地や中心地で仕事を探す人が増えたと思います。


あくまでも私の感覚ですが、田舎の方が都会よりも発展してきたように思います。

ただ物価は、ホーチミン市内と比べ、さほど上がっていません。

ホーチミン市中心部と車で1時間弱走った郊外の都市の物価、

お昼ご飯でさえ、郊外から市内に出てきた労働者にとっては、厳しい食費。

幸いにも自分は失業することはありませんでしたので、

彼らの何倍も働かないと。。。

規制が緩和されて、そしてクリスマス前後から、

また人の流れが多くなったように思います。

しかしながら、やはりお店に来る人が減ったり、

カフェでランチを中止したり、

オフィス街自体も、在宅勤務を継続する企業が多く、

まだ完全には戻っていないように思います。

やはり経済を立て直すには、

まずは海外旅行客を受け入れること、

ビジネス入国の規制を緩和し、

海外から人の受け入れを進めるのが、一番なのではと思います。

ですが、オミクロンがどうなるか、心配ですね。

うーん、それほど悪い方向にいかなければいいな。


ふもまろ