八重山民謡とアイヌの歌「ウボボ」
適当にスカパー!様のチャンネルを変えていたら、この番組にぶつかった。
アイヌの人々に伝わる歌「ウボボ」
そして、沖縄地方に伝わる八重山民謡。
どちらも、それぞれに過酷な環境や待遇のもとに生活をされていた人々から受け継がれている歌。
八重山民謡は、苦しい生活の中で生まれた歌なのを初めて知った。
そう分かって改めて聴くと、それでも、逞しく強く生きようとしていた当時の人々の気持ちが感じられたりする。
当然そういう歌ばかりではないけど・・
その苦しさを、歌にして後世に残す役割も歌は担っている。
「月ぬ美しゃ」
凄く好きな歌である。
テレビの画面から映し出される石垣島の海、月。
やはりそれを見ていると、押し出されてきそうな気持ちがある。
アイヌの歌の優しさ。
八重山民謡の強さ。
それぞれに、そのルーツを辿り、先祖の存在を敬う人たちがいる。
ルーツ。
自分はどこから来て、どこへ行くのか。
彼らが、誇らしげに、先祖の歌を歌い、踊る。
そして、それを、また子らへと受け継ぐ。
時代は流れ、変わっていっても、変わらずに残るものがある。
彼らを見ていると、この大地に、しっかり足を着けて生きているように思う。
辿ってきたルーツを誇らしげに思っている。
自分に辿り着くまでの歌たちに、追いつくために、闘いながら・・・畏敬の念を払いながら・・・・。
そういう歌を聴いていると、本当に心に染み入る。
しかし・・・もし、石垣島などに行ってしまったら、今は、帰って来れなくなる気がする・・・。
音楽とは一見あまり関係ないこと。
家の前のカラスの巣が業者によって、壊された。
親烏の声は、まるで悲鳴のようだった。
雛を守るために、果敢に人に向かっていく。
最後の最後まで大きな木の中で戦っていた。
しばらくして、巣から、雛が2羽落ちた。
これは、もしかしたら、親が自分で落としたのかもしれない。
人に見られたりすると、自分で雛を殺す。と言うし・・・
親烏が、異常な鳴き声をあげていると、同じ縄張りの群れの仲間が集まってきた。
10羽以上はいた。
巣の上を旋回し、威嚇する。
激しく攻撃を仕掛けていくのは親だけだが、その様は、子孫を守るための必死の攻防だった。
やがて、落下した雛が業者が用意したダンボールに入れられ、トラックで走り去っていった。
しばらく、巣のなくなった木を、親烏が2羽、並んで見つめていた。
夕方には姿を消し、ここにはもう来ないのかな。と思っていたら、深夜。
カラスが2羽、鳴いていた。
またやってきていたのだ・・・。
こちらの気のせいなのだろうが、その鳴き声はいつもとは違う声に聞こえた。
彼らも生きている。
こうして、すぐ近くで生きている・・・・。
なんで、この話題が自分の中で繋がるのかは良く分からない。
ただ・・・深い山々や森を思うとき、なぜか、カラスが私のイメージには出てくるからなのかな・・・・
ゆっくりと落ちてくる月の光を、木々の間から眺めている絵が私の中にある。
自然の中で森とともに暮らすのが本来の姿であるカラスと、何かがダブっているのかもしれない。
適当にスカパー!様のチャンネルを変えていたら、この番組にぶつかった。
アイヌの人々に伝わる歌「ウボボ」
そして、沖縄地方に伝わる八重山民謡。
どちらも、それぞれに過酷な環境や待遇のもとに生活をされていた人々から受け継がれている歌。
八重山民謡は、苦しい生活の中で生まれた歌なのを初めて知った。
そう分かって改めて聴くと、それでも、逞しく強く生きようとしていた当時の人々の気持ちが感じられたりする。
当然そういう歌ばかりではないけど・・
その苦しさを、歌にして後世に残す役割も歌は担っている。
「月ぬ美しゃ」
凄く好きな歌である。
テレビの画面から映し出される石垣島の海、月。
やはりそれを見ていると、押し出されてきそうな気持ちがある。
アイヌの歌の優しさ。
八重山民謡の強さ。
それぞれに、そのルーツを辿り、先祖の存在を敬う人たちがいる。
ルーツ。
自分はどこから来て、どこへ行くのか。
彼らが、誇らしげに、先祖の歌を歌い、踊る。
そして、それを、また子らへと受け継ぐ。
時代は流れ、変わっていっても、変わらずに残るものがある。
彼らを見ていると、この大地に、しっかり足を着けて生きているように思う。
辿ってきたルーツを誇らしげに思っている。
自分に辿り着くまでの歌たちに、追いつくために、闘いながら・・・畏敬の念を払いながら・・・・。
そういう歌を聴いていると、本当に心に染み入る。
しかし・・・もし、石垣島などに行ってしまったら、今は、帰って来れなくなる気がする・・・。
音楽とは一見あまり関係ないこと。
家の前のカラスの巣が業者によって、壊された。
親烏の声は、まるで悲鳴のようだった。
雛を守るために、果敢に人に向かっていく。
最後の最後まで大きな木の中で戦っていた。
しばらくして、巣から、雛が2羽落ちた。
これは、もしかしたら、親が自分で落としたのかもしれない。
人に見られたりすると、自分で雛を殺す。と言うし・・・
親烏が、異常な鳴き声をあげていると、同じ縄張りの群れの仲間が集まってきた。
10羽以上はいた。
巣の上を旋回し、威嚇する。
激しく攻撃を仕掛けていくのは親だけだが、その様は、子孫を守るための必死の攻防だった。
やがて、落下した雛が業者が用意したダンボールに入れられ、トラックで走り去っていった。
しばらく、巣のなくなった木を、親烏が2羽、並んで見つめていた。
夕方には姿を消し、ここにはもう来ないのかな。と思っていたら、深夜。
カラスが2羽、鳴いていた。
またやってきていたのだ・・・。
こちらの気のせいなのだろうが、その鳴き声はいつもとは違う声に聞こえた。
彼らも生きている。
こうして、すぐ近くで生きている・・・・。
なんで、この話題が自分の中で繋がるのかは良く分からない。
ただ・・・深い山々や森を思うとき、なぜか、カラスが私のイメージには出てくるからなのかな・・・・
ゆっくりと落ちてくる月の光を、木々の間から眺めている絵が私の中にある。
自然の中で森とともに暮らすのが本来の姿であるカラスと、何かがダブっているのかもしれない。