「浅草橋の線路沿いに、神田のまつやで修業した人が、『そば屋は安くなくちゃいけない』という信念の元に開いた立ち食いそば屋がある」とのことを、耳にする。
左馬が。。舞う・・・。明日の桜花賞が当たりますように!! 縁起が良い更科に来たものだ!!
4/12 土曜日 pm 13:30 今書いているのは・・・。4/13日 日曜日 現にゲットした。
そば屋の系譜 -更科系
寛政元年(1789)信濃布の行商人をしていた初代布屋太兵衛が麻布永坂に”信州更科蕎麦処 更科布屋”と言う看板を掲げた。
盃には・・・夢が書かれていた。一献は・・・¥400-。
これは太兵衛が領主保科家の江戸屋敷に出入りしている内に、そば打ちの腕を評価され、信州蕎麦粉の集散地更級郡の”更”と保科家から使用を許された”科”を付け名乗ったものである。以来直系は”布屋なにがし”の屋号を名乗っている。更科本家は明治八年名字必称の令により五代目から”堀井”を名乗り、八代目が麻布十番に総本家更科堀井を復活させた。”
茹で加減は・・・少し硬めだったが喉越し良く。汁は出汁も効き甘くなく辛くなく!!
更科布屋会”構成する一族は、本家の他には、芝大門更科布屋、有楽町更科、築地さらし奈の里、銀座更科、大井布恒更科、神田錦町麻布永坂更科分店の七軒である。
粋な蕎麦猪口・・気にいる。。 江戸の僅番武士だろう・・・。今で言う・・・単身赴任武士だ。
お店の中に入ると、窓に沿ったテーブルと調理場の前のカウンターに椅子が5,6個だったか、ここも「立ち食い」と書いてあるけれど、椅子があって、ほっとする。
券売機は・・・故障らしかったが!! 大将が一人でやっている・・・2階に製麺粉場があるようだった。
手打ちである。
更科蕎麦が。。。¥700-。
着座で食べた。。。千円以上の価値あり・・・・盛もなかなかである。
粋な柳橋・浅草橋・・・・隅田川の河口。。。思う存分江戸蕎麦を堪能した。
・・・更科粉は・・・徳川幕府に献上出来た・・ゆいつの蕎麦粉である。
住所:台東区柳橋1-19-3
営業:11:00~21:00 休:日
2014/04/012 土曜日 am 13:30 食