暫くぶりに東京へ行ってきました。
同じ職場で一緒に働いたことがあるB女史が手術を終え退院したのは知っていたけれど、先週I君から快気祝いで皆で飲むので来ないかとお誘いがあったので高速バスの
チケットを取り東京へ。名古屋インターから乗って6時間少々、ビールを飲みながらボーッと流れていく景色を眺めみながら乗っている時間は苦痛ではなくむしろ好きな
時間の過ごし方といっても良い。
年に1度くらいは車で娘や息子の住む埼玉浦和までいくのですがバスを使うのは5,6年ぶり。八重洲口で降り駅構内へ入ると以前とガラリと変わって綺麗になっていま
す。
どこへ向かえばいいのか案内板を見ながらウロウロ、完全にお上りさん状態です。丸の内側に出て周りを見てみると高層ビルだらけ。こんなにあったのか、更に見え
るだけでも10棟以上の高層ビルらしき再開発があるようだ。オリンピックに向けて?そう言えば何処に行ったのかまやかしの”復興オリンピック”という言葉もあった。
それは兎も角、普段田舎暮らしをしているとたまに名古屋市内に行く位なので、東京ってやっぱり大都会だと改めて実感。
着いた時は3時過ぎとやや中途半端な時間。飲み会迄3時間余りしかないので何処に行こうかと迷った末、神田から銀座線で浅草へ向かいました。
大提灯の雷門から外人さんが目立つ仲見世を通り本堂でお参りした後、若かりし頃営業でお世話になった浅草公会堂の近くにあるMレコードへ。当然今は知っている人も
いる筈がないので懐かしく前を通り過ぎて、公会堂の前に行ってみると東京大空襲の資料展が開かれていたので中に入ってみました。
代用服や疎開している子供が親に送った手紙等、当時の資料が沢山展示されていました。
1945年3月9日から10日にかけての大空襲ではB52が300機余りが来襲し民間人を対象とした無差別攻撃で下町を中心に焼き払われ、この日だけで10万人が亡くなった
という。1日の犠牲者の数としては人類史上最大だったとのこと。
*東京大空襲-wikipediaに詳細記述あり
当時の写真も沢山展示されていましたが目を背けたくなる写真も多くその悲惨さが目に飛び込んできます。
会場出口に原水爆禁止の署名受け付けがあったので心ばかりを寄進すると9を模ったストラップをもらいましたがこれは世界に誇れる憲法9条を守ろうということなので
すね。平和憲法制定時の原点に戻り、そして謙虚に戦争を反省し、平和を維持していかねばならないと改めて思いました。しかし会場内には若い人の姿は皆無。公会堂
の周りに若い人はいっぱい歩いているのですが・・・。
会場を出た後伝法院通りからロック方面へ、ついついホッピーやもつ焼きが目に入ってきますが飲み会の時間が迫っていたので我慢。
上野まで戻って日比谷線に乗り換え入谷で降りて懐かしい居酒屋へ。
座敷に入って聞くと総勢10人余りの懐かしい顔ぶれが一斉にこちらを向き驚いた顔。自分が参加するのを知っていたのは誘ってくれたI君のみだから無理もない。
あれから随分時間が経つが皆さん変わっていなかった。
ここの新鮮な刺身や棒たらの味は以前のまま。I君が東北の美味しい酒を手配してくれていたのでついついグラスを重ねてしまいます。
愉しい時間を過ごした後は歩いて鶯谷から東京駅へ。丸の内側へ出て駅舎をバックに星景写真を撮ろうと。。。所が時間は23時前ですでにライトアップは終了していま
した。折角来たからと三脚をおろして準備開始。西南方向にオリオン座があるはずだが高層ビルに隠れてしまっている。インターバル撮影をセットし開始。
うまく撮れているだろうか。