催眠教室で自己催眠テープなるものを購入した。シュルツの自己暗示法に則った守部先生による暗示を録音してあるものだった。内容には楽園で憩うようなイメージがあったと思う。毎晩それを聞きながら寝ていた。そんなあるととき、深い深い墜落感に陥った。心地よい、魂が抜け落ちていくような無限の墜落感だった。しかし急に恐怖感が起こって目が覚めた。僕の心の奥に隠された暗黒が現れることへの恐怖であったかもしれない。自己催眠テープはけっきょく先生の声に身を任すことであり、そこに自分の声、自分の意志はないのである。僕は人に支配されるのは大嫌いで、世の中の権威や名声に対しても不信感を持つ人間だった。それゆえどんなに守部という人が人格者との評判があっても、自分の魂の底にあることをさらけ出す気はなかった。催眠の最も深い状態では、記憶支配といって、心の中をのぞくことが出来るという。育ちのよい先生たちには理解できないものを僕は持っている。そういう思いもあった。そして催眠教室を去った。
しかし催眠現象は僕に大きな感動を与え、無意識の心への興味をかき立てた。その後僕は人間の心についての本を読むようになった。まず催眠現象を検証することにして、心理学的な解説書を読むことにして、藤本正雄著「催眠術入門」と平井富雄著「自己催眠術」を購入した。
「催眠術入門」によると、深い催眠状態では「暗い静かなところで、自分だけが座っているような感じで、頭の中がまったく空になって、何の考えも浮かんでこない。そばの音も何も聞こえてこないが、しかし自分の存在だけは、はっきり分かっている。」という。外部の音を聞いていても、物を見ていてもそれは意識されないし、自分で考えてものごとを判断することの出来ない状態のようである。催眠者の暗示を待っているだけの、自分の意志の喪失だといえるだろう。催眠者に意志を渡してしまっているのである。
催眠の深さは運動支配から知覚支配、そして記憶支配へと3段階に考えられていて、知覚支配の段階に入れる人は、催眠者や文化の違いなどによって差が出るのだろうが、15%から25%くらいのようだ。どうしてもかからない人は5%から15%くらいいるという。ちなみに運動支配や知覚支配の段階にしか行かない人はそれぞれ35%くらいと考えられている。まったく人任せになるほどの人はあまりいないのではないかと思う。守部先生は、宇宙人に会ったという人に催眠をかけて記憶を覗いたことがあるが、最後は頭が割れるように痛いという状態になって、それ以上深くは入れなかったという。宇宙人の拒否暗示という説もあるが、無意識の拒否にあったのであろう。その人にとって、それがたとえ幻視体験だとしても、真実の体験であったのかもしれない。どんな深い催眠状態にあっても、その人の人格など、魂の根幹に関わる暗示は拒否されるのであろう。催眠で犯罪に導かれるとしたら、その人自身の倫理観に問題があるのである。
催眠深度のパーセントは人類の精神構造を表しているようでおもしろい。全く催眠にかからないのはよほど雑念の強い無気力な人だからだろう。集中力の高い人ほど自己催眠力も大きいだろう。しかし、記憶支配の深い段階は、無意識の世界に入り暗示する自己意志も消えてしまうので、自己催眠では不可能なようである。