魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

帰郷

2014-05-24 11:01:54 | Weblog

 「とくダネ!」で50代の女性教師がのど自慢へ出場するため保護者会を欠席したことを取り上げていた。現代ではそれを許容する意見も少なくない。春に起こった、子供の入学式に出席するために担任の入学式を出席した女性教師の問題でもいえることだが、現代日本の特徴として職業倫理をどう考えるかということが根本にあるようだ。教師であろうと医者であろうと、昔は聖職といわれたが、現代では職業は職業であってそこに倫理などないと考える人は許容する。社会的倫理は存在するが職業倫理は存在しないのである。僕は教師も医者も信じていないし、聖職など精神主義時代の遺物に過ぎないと思っているからどっちでもいいのである。個人的には子供の入学式に親が出るなどくだらないと思う。しかし、それほど好きでない仕事だったら、医者や教師でも、さぼるくらいはやりかねないと思う。ただし好きでもないのに医者や教師になるかは疑問だ。僕ならならないだろう。人間の心や命に関わることを無責任に出来ないのである。自分には出来ないが、それが出来る無責任な人間の方が多いのではないかと思っている。

 遠隔操作ウイルス事件の片山にだまされた弁護士が精神鑑定に持ち込もうと考えているようだ。人権派弁護士にはお人好しが多い。人格障害は完全に人格が入れ替わることであるが、片山にはそれがない。精神の発達段階は小学生くらいだろう。甘やかされた子供の、偏狭な歪んだ自我によるものであり、単に嘘つき、人の裏をかくのが好きなのである。

 今朝、NHKの「ニュース深読み」で少子化問題をやっていた。人類はその成長期を終え、いまや老化に向かい初めているのではないだろうか。少子化は、生命の老化現象が必然であるように、ある意味で自然現象だと思う。しかし、東京一極集中のような、頭でっかちでゆがんだ少子化は正していいかなければならない。地方の特長を生かした人口分散は、心身をバランスよく使うことが健全な老いを迎える道であるように、社会の健全な成熟の道であろう。

 僕は28才の4月、昭和44年に故郷に帰った。心身ともボロボロあった。その頃のタクシーはエアコンがなく、夏は窓を開けていたので鼻毛は真っ白になっていた。東京はまさしく排気ガス・スモッグの町であった。故郷の空は青く水は清く、緑豊か、道ばたのオオイヌノフグリの美しさにも感動したことを覚えている。
 帰郷してすぐ、B型肝炎で3ヶ月ほど入院したのではなかっただろうか。水ぶくれのように太って黄疸症状が出たのであった。退院後しばらくぶらぶらしていたが、10月、私鉄系のMタクシー会社に就職した。入社したとき、この地のタクシーは時間給が大部分で歩合はきわめて少なかった。お客もハイヤー感覚で使っていて、冠婚葬祭の御祝儀やチップなどをよくもらったものである。T自動車の発展途上で、人口も急激に増え始め仕事も忙しくなっていった。しかし、そのために会社はオール歩合給を目指し始め労働組合ともめた。この地の組合はご用組合のようなものであったから、残業時間無しの歩合給になった。
 入社した手の頃はトップクラスの売り上げを誇っていた僕であったが、歩合給化とともに不良社員化した。タクシーにエアコンが装備されるようになったこともあり、体調を崩し休むことが多くなった。よく休み、よく遊んで10年ほどMタクシーにつとめた。自堕落不摂生の果て38才ころ金縛りに遭った。何かの夢を見ていたという記憶はない。ただ寝床で完全に動けなくなったのである。その状態がどれだけ続いたは覚えていない。夢から覚めるように動けるようになったのではあったか?翌年退職した。



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