連休の始まる頃から体調を悪くし、パソコンから離れていた。
連休中、姉は風邪気味で咳がひどくなったので寝ていた。連休明け、月曜日には咳が鎮まったのでデイサービスの作業所、青い空に行かせた。ところが今度は自分が鼻の粘膜が痛み、気管支がむずむずし、風邪気味になった。翌朝は改元でよくなったと思ったが水曜日にはまた悪くなった。夜酒を飲んだ後改元を飲んだ。それが悪かったのか症状がひどくなった。寝ていれば直るだろうと高をくくっていたが悪くなる一方で、土曜日の夜には痰がつまり38°の熱が出るようになった。何十年ぶりかの発熱である。月曜日の朝医者に行った。喘息になっているといわれた。風邪薬と抗生物質を処方された。一週間苦しんで日曜日には小康を得た。まだときどき咳と痰は出る。自己治癒力も老化したようだ。
東京での、捲土重来モードの生活はすぐ失敗に終わった。肉体労働の後はエネルギー補充のために酒を飲みたくさん食い、その後は寝るだけだった。飲食の快楽のために東大病は消えてしまった。共同生活も解消してアパートを借り、手の指に関節炎という障害のある僕には土建業を続けるのは無理だったので、就職先を探した。しかし、扁桃腺の手術以後、僕は呼吸器に障害を持ってしまったのでまともに仕事を続けることは出来なかった。それなりにがんばったこともあったが転職続きの人生となってしまった。
障害といっても障害といってしまえるほど明確なものではなかった。酒でも飲めば感じない程度のものだった。鼻の奥と喉の粘膜の痛み、気管支、肺の重苦しさが常時ついて回った。細菌やウイルスがとりついているような感じだった。いったん風邪を引くと熱がなくても咳が3週間ほど続いた。咳止め薬は効かなかった。かえって喘息のような咳が出るようになった。吸入器もスチームも効かない。2,3週間すると青痰が出て直ることが多かった。医者は慢性気管支炎と診断することが多かった。喘息性気管支炎というものもいた。ともかく空気の悪いところはだめで、映画館などでは頭が痛くなったり、眠くなったりしてしまった。冷房も駄目ですぐ頭が重くなり眠くなってしまった。
思えばニヒリズムにどっぷり浸かった自堕落な人生であった。腰痛、疣痔と体はがたがたになった。多くのいうにいわれないこともした。とはいえ表面上は頑健に見える僕は、対他的にはあるときは右翼愛国主義者、あるときは左翼共産主義者、そしてあるときはたんなる快楽主義者であった。読書は探偵ものやSFが多かったように思う。読書のうんちくを傾けて気炎を吐いていた。そのように38歳ころまで、アル中と陰口をたたかれながらちまたをさまよう人生だった。本当はアル中ではなかったが、40°の扁桃腺熱の後遺症で、頭をやられているのだろう、麻雀をするとき顕著だったのだが、いまでも手の指が震えるのである。
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