魂の発達

私とは何か。私とは魂であるというところから世界を考えます。

無差別殺人、愛されたい魂の転落

2014-03-10 10:06:44 | Weblog

 子供の代わりに婚活だって。大学受験にも両親が付き添う時代だ。世も末といいたいが死語だろうか。そして、手に負えなくなったら見捨てる、さんざん甘やかしておいてそれはないだろう。

 イギリスのハリー王子が一生懸命にボランティアして賞賛されているらしい。王室廃止論が強まっているのだから一生懸命いい人でなければ未来が危うい。

 いい人であり続けるのは大変、浅田真央はその意識が強すぎたから自分自身になりきれなかった。自意識過剰は、幼少期からスターだったせいもあるだろう。マスコミが持ち上げすぎたせいもあるだろう。ベートーベンのまねものに過ぎない曲を、まるで名曲かのように喧伝してもらった佐村河内(醜悪な記者会見だった)のことでもいえるが、マスコミの嫌悪すべき詐欺的な負の面である。古代ローマ帝国以来、スターを作り出して金や権力を得、維持しようとするのが権力者の常である。

 人面のいい人間にろくなやつはいないというが、スターの転落人生は少なくない。真生は最後にスター性を取り戻してよかった。義足の英雄の妻殺しもある。三重の少女殺害は評判のいい18才の高校生だった。金目的かは疑問だ。彼は挫折していたので花火でのぼせ上がり、鬱憤のはけ口を求めて引きずり込んだのだろう。

  名古屋の暴走車無差別殺人未遂事件についてのその後の報道はない。頭のけがによる人格障害(解離性障害に似ている)が 明らかになったからだろうか。精神の障害だとすれば、この容疑者の家族は無責任にも彼から逃げ、病院にも入れず孤立させていたことになる。甘やかして育て、手に負えなくなると逃げ出す無責任な親たちは少なくない。柏市の通り魔竹井聖寿も人格障害、精神疾患だろう。人のためによくしたいといい、よい人を志した彼が殺人者になったのは挫折が引き金になったと考えられる。幼少期に甘やかされた様子が見える。武器に執着するところに破壊欲が現れている。過保護の親への依存心が、成長に従って自立を促され無意識の殺意となったのだろう。そして異常性の発現とともに見放されたのだ。いや、過保護の囲いを破壊したいという欲望が第一原因かもしれない。奇しくも聖の字を共有する酒鬼薔薇聖人のフアンだという。


 

酒鬼薔薇の筆跡や文章のうまさ、利き腕の違いなどによる冤罪疑惑については二重人格や多重人格のように、この人格の時は優れた能力、違った能力を発揮できたのかもしれないと考えられる。酒鬼薔薇には解離性障害はないと診断されたようだが、診断ミスではないだろうか。特定不能の解離性障害という症例もあるようだ。


  身勝手な事件が多いという、身勝手でない事件とは何だろう。いじめなどの原因があるという意味だろう。甘やかされて育った子が大きくなって他人との関係に、愛されないという怒りから起こす事件であろう。自分を破壊する代わりに他人を破壊しようとすることが多いようだ。僕の場合は幼児期から愛されることに絶望していた。そのために破壊欲が強く、剣や銃に強くあこがれていたように思う。しかし、元から愛されていないので愛されていることの喪失感による殺意ではない。とはいえ殺人者になる可能性は大きかっただろう。
 男の子は皆武器が好きである。男の子はものを分解するのが好きなようだが、探求心も破壊欲の一種ではないかと思う。愛するということは破壊心に似ている。幼児期、僕は自分の糞をいじくる癖があったと誰かに聞いた覚えがある。この探求心が僕を救ったのではないだろうか。 



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