1か月前からかそれとも先週からか記憶は定かではないが、市場の同じ場所で彼は眠りに就く。この状況は是か非かと自問してみるも所詮他人事だし、いらぬおせっかいなど無用であり、むしろ路上生活者になれる、この国の自由を(皮肉を込めて)評価するべきかもしれない。
およそ、福祉とは縁の無いやさぐれバンドマンではあるが、若い頃の友人のベースの東純博(在宮古島市)の父親もバンドマンであって、社会奉仕で「ともし火の会」なる福祉団体に参加しており、親父の立場から若い能天気な連中(わしらの事)に社会性を教えようと言う事で東父に無理やりボランティアに参加させられた時期が有った。(ボランティアって志願と言う意味らしいが・・・・。)
ともし火の会の主な活動は歌と手品での福祉施設の慰門であり、対象は精薄者、老人施設、肢体不自由者、生活保護者などで、詳しいハプニングは前に書いたので省略しますが、(笑えます)一番たちの悪い収容者は生活保護者で、彼らは年寄りでもなく精神薄弱者でもなく肢体不自由でもなく健全なる肉体を所有するも、酒に溺れたり家庭をぶち壊したり放浪したりだの、人の迷惑顧見ずのアウトサイダー要素を色濃くした勝手気ままな人生を送る、我儘野郎と言わざるを得ない連中だとわしは思います。批判ではなく事実としてね。
従って、福祉をする側は「保護」を目的に収容するが、彼らは「運悪く施設に押し込められた」が本音。隙あらば脱走するぞ~が見え見え。
そういう状況で尉門の音楽、芝居など行うと大抵後ろの席で嘲笑っていたりする。
「けっ、この2流芸人が、年寄りや知恵遅れに受けても俺には通用せんぞ、おめえらの自己満足芸など聞いて居られるかい、だがこの場から逃げる訳にもいかんから、どうせやるなら、もっとパンチの利いたド演歌、か、ドロドロした女が歌うえげつない歌でもやらんかい、この、あたりさわりのない曲など耳が腐るわ。ついでにド下手な手品もヤメテケロ」
あの時ヘビメタでお返ししていればとつくづく思います。
社会的弱者、福祉などテーマは深いし、中途半端な同情、健常者の上から目線、逆に身体障害者の「俺は障害者なのだから我儘を正当化できる」開き直りOR居直り思考など考えさせられる事は沢山ありますね。単純に「あなたとわたしは対等です」の心でいればなんとなく解決したりして。
カリータイムの「今月のサラダは紅芋ドレッシング」
桃紫色?味は至って普通でした。
ポークカレー700円。
明日はLIVEです。ノーミスでお願いします。自分。けろけろ。