今、読みかけの本「首里城への坂道・鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像・与那原 恵」に感動してます。読み終えてからまとめるべきですが、フライング気味で書きます。大著なので読む端から子細は忘れますが、(特に私)それでも読んで下さい。新しい視点が開けます。歴史から今を学べです。
では簡単なおさらい。1429年には琉球王国が存在・1850年代にはアメリカ、フランス、オランダと修好条約締結し当時の国際社会では主権国家とみなされる・1871年廃藩置県が行われ明治政府は琉球王国は鹿児島県の管轄とし清国との朝貢を止めるよう命令するが琉球は無視・1879年警察官など600人を派遣して強制的に沖縄県を設置(琉球処分)・台湾併合のわずか16年前に日本となる。1903年人類館事件・1945年第2次世界大戦、敗戦、沖縄アメリカの支配下にそして、
「独立王国だったが日本に征服されて2等国民として差別され続け(現在も)利用され(基地の負担)ている。これが大方の歴史認識だと思いますが、鎌倉芳太郎を追いかけると、思いがけない当時の沖縄の先輩方(私から言うとお爺ちゃん世代か2代上ぐらいですかね)の凄さが浮き彫りになり、わし等土人じゃけん、内地ゃ~にか勝てません(被差別者の視点)なんて情けない事言えませんよ。ホントに。
漢那憲和 皇太子(のちの昭和天皇)の外遊(ヨーロッパ等)の御召軍艦「香取」の艦長(平民出身で後には国の政治家)として沖縄に上陸
尚昌 学習院、オックスフォード入学・宮内省式部官
川平喜久子 東京音楽学校作曲科などで学び先駆的女性作曲家 後何百名かいるはずです。
キリが有りませんね(本音は多すぎて書きたくないぐらい)偉い先輩方、差別などものともせず、むしろ活躍し国(日本)のお役にたったのです。ここで疑問に思ったのは私が受けた教育に「近代沖縄の偉大なる先輩方について」はほとんどなく(え、授業をさぼっただけじゃんてか?図星ですが)、琉球王朝時代を中心に教わったような記憶が有ります。これって、戦後沖縄の教育が「我々は本土に征服されて・・・」な被害者意識を植え付けるための教育でなかったのかと疑問なのです。他県では地元のヒーロー(全国的にはほとんど無名な武将とか、乃木大将(栃木ね)これ神様クラスの扱いですね)誇りを持って教えるので子供たち地元愛を持ってすくすく育つのです。
結論 戦後の教育、日本の自虐史観、沖縄の被害者意識、など犯人はアメリカか日教組でしょうが、それからの脱却(目覚め)の時ではないでしょうか。そう思った私は子供たちに中立な歴史を教えていたら「右翼?」とか言われたらしく壁の厚さを感じています。
よんでくれてありがとうございます。
お礼に旨いのもシリーズをお楽しみください。(え、嫌がらせって?ちがいますよ~)