リュウ庵

尼崎市住む猫大好き人間。
駄文を書くのも好きです。

平成から令和へ

2019-04-30 11:35:53 | 日記
*天皇陛下のお言葉 
 すでに80歳を越え幸いに健康であるとは申せ、次第に身体の
 衰えを考慮するとき、これまでのように全身全霊をもって象徴の
 務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じられます。
    (中略)
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでに
 も見られたように、社会は停滞し、国民の暮らしに様々な影響が
 及ぶことが懸念されます。
  (以下略)
 
  「お言葉」を述べられる天皇陛下
     
 
天皇陛下が「退位」に関して「お言葉」を述べられた平成30年8月8
日を機に、世の中は新しい元号へうねりとなって動き始めました。
天皇陛下ご自身、身を引くことで新しい時代の扉をお開けになったの
です。
 
お言葉にあるように「社会は停滞」することなく、国民は新元号を歓迎
し受け入れた。
「開かれた皇室」を目指された天皇だからこそ、の英断でしょう。
 
明日5月1日から、新しい元号「令和」の幕開けです。
新元号がこれほど希望をもって歓迎されることは、初めてではないでしょ
うか。
 
昭和から平成に変わった時を見てもわかるように、これまでは天皇の
崩御で新しい元号に替わった。
明治以前には生前退位は数例しかなく、他には疫病など不吉な出来事
から「験直し(げんなおし)」で改元したこともあったが…
 
平成の場合は昭和天皇が崩御され、国民は喪に服した中での改元だった。
当時、新聞社の編集局で紙面製作の最前線(整理部)にいて、天皇崩御と
改元の、二つの未曽有の事態に直面したことを鮮明に覚えている。
 
未明の緊急連絡で昭和天皇が崩御されたことを知らされ、暗いうち
に自宅を出て編集局へ駆け込んだ。
 
崩御の号外と新元号の夕刊報道…編集局内はピリピリ緊張した。
 
  夕刊に「どうしても新元号を叩き込みたい」。
  発表はどんな形か…かたずを飲んで待つ。
  夕刊締め切り時間が刻々と過ぎて行く。
  配達を待つ販売店にも無理を言って待ってもらう。
  局の全員、TV画面を食い入るように見つめる。
  午後1時過ぎたころ、小渕官房長官が白いボードを持って現れた。
  さっと掲げた」ボードには「平成」と大きく書かれていた!
  新元号は「へいせい」だ。
  局内はどよめいた・・・
 
 「天皇陛下 崩御」
 「新元号は平成」
大急ぎで夕刊1面に叩き込む。
通常より大幅に遅れて輪転機が唸りを挙げて回る。
2つの大見出しが踊った紙面が、次々と吐き出された。
 
「歴史の1ページを刻む瞬間に立ち会っている」と、身を震わせたものだ。
天皇崩御と言う重い事実の前に祝賀気分はなかったが、新しい時代が拓け
た感慨を、深く味わった。
新聞社生活の中で、最も印象に残る瞬間だった。
 
今回の「令和」誕生は、天皇の「退位」によるも。
平成の時は「崩御」の重い事実の前に、祝福の声を上げる雰囲気ではなかっ
ただけに、清々しい令和時代のスタートだ。
 
  初春令月、気淑風和・・・
「美しく心を寄せ合い、文化が生まれ育つ」
 
美しい5月に幕開けた「令和」に、幸あれ!
 
  
 <今日の1枚>
  アラスカ上空で
  

席を譲られて…

2019-04-29 11:34:27 | 日記
先日、大阪舞洲のネモフィラを見に行った時、JRの電車内で若い
女性から席を譲っていただいた。
女性は男性と40代の女性の3人連れで、残りの2人は立っていた。
男性が座っている女性を立たせ、私の方を見て「どうぞ」と身振りで
勧めてくれた。
3人は日本語を話さなかったことや服装などから、どうやら中国人の
家族のようだった。
私は素直に「ありがとう」と礼を述べて、座らせていただいた。
 
同じような経験をスイス旅行中にもあった。
バスに乗ったとき、先に乗り込んで座っていた若い男女グルーのひと
りは私を見るなり、さっと席を立って譲ってくれた。
Tシャツの背中には「KOREA」と書いていたから、韓国の若者だろう。
若者たちは屈託なく談笑、途中のバス停で降りて行った。
降りる際、私は彼らに頭を下げて感謝の気持を送った。
 
どちらもごく自然な振る舞いで、私も気持ちよくお受けすることができた。
もう30年以上も昔、ロシア(当時はソ連)の空港で、困っているお年寄り
に手を差し伸べている若者たちを見て、新鮮な驚きを感じたこともある。
「この国ではお年寄りを大切にする習慣があるのです」と、添乗員さん。
 
日本の若者が外国旅行中に、地元のお年寄りに席を譲ることはあるの
だろうか。
国内でも、日本の若者が席を譲っている風景をあまり見ない。
みんなスマホに夢中で、年寄りや妊婦さんが近くにいても一瞥さえしない
のがほとんどだ。
 
中国と韓国・・・正直言ってあまり良い印象を持っていない。
尖閣諸島や竹島問題、従軍慰安婦像問題、元徴用工賠償判決などから
つい気持が引いてしまうのだ。
 
でも二つの出来事に接し、少しずつ両国への印象が変わったのを感じる。
儒教精神を若い世代に受け継がせて、年長者を敬う心を大切にしている
国に対し、日本は大きく後れを取っているのではないか…と思う。
 
 
  <旅のフォト>
  ドイツ・ライン川
  

クルマに優しい?歩道橋

2019-04-27 10:57:28 | 日記
クルマに優しい?歩道橋…
え、ヒトに優しいの間違いじゃないの?
 
道路に架けられた歩道橋は、日本独特の風景のようだ。
外国ではめったにお目にかかれない。
私の貧しい外国旅行経験では、歩道橋を目にしたのは中国の大連だ
けだったように思う。
 
歩道橋は一見、歩行者に優しい施設と思いがちだけど果たしてどうか
な?
 
高度成長期に入ったころ、交通事故もうなぎ上りで年間死亡者は1万
人を超え「交通戦争」と言われた。
そんな時代に歩行者の安全を守るためとして、盛んに造られたのが
歩道橋だ。
完成すると近くの幼稚園児たちが「渡り初め」をして、ニュースにもな
ったものだ。
 
交通安全の切り札として、華々しくもてはやされた歩道橋・・・確かに
車にひかれる心配がないのは事実だけど、急な階段を上って下りる
のは高齢者や小さな子供を連れたお母さんには決して「優しい」施設
ではないことが、やがて指摘され始めた。
この日記を書くために、近くの歩道橋を上ってみたが年寄りにはやは
りつらい。 
  
  <道路をまたぐ歩道橋>
  
 
  <階段の上り下りは辛い>
  
 
普通の人もほとんど利用していないから、階段も汚れ赤さびている。
勿論、新しく造ってもいない。
逆に歩道橋の下に信号と横断歩道を設けるところも出てきた。
歩道橋は無用の建造物になり果てている
 
  <歩道橋の下に横断歩道と信号機>
   
 
尼崎市の何代か前の市長時代に、市長の親族が土建屋さんだった
ので、市内にやたらと歩道橋が作られ、疑惑を招いたことがあった。
今では誰も利用しない「遺構」になり果て、道路をまたいで赤さびた醜
い姿をさらしている。
人を急階段の歩道橋に押しやり、その下を車がスイスイ・・・
「車に優しい?歩道橋」が見えてくる。
 
  <橋上からの眺めはいいが…>
   
 
雨後の竹の子のように作られた歩道橋、いつかは撤去しなけりゃいけ
ない…どうするのだろう。
時代の要請だったと言えばそれまでだが、歩道橋1基作るのに1000
万円から1億円は必要とか。
撤去費用もバカにはならないはずだ。
 

嫌われた?ハナミズキ

2019-04-25 10:59:58 | 日記
ハナミズキが咲く季節になった。
春風に揺らぐ姿は、優美とかわいらしさを兼ね備えて最高です。
 でも、この時期になると残念な思い出がよみがえる。
 
20年前、わが町のメインストリートがコミュニティー道路に整備
された。
一方通行にして路面をブロックレンガで敷き詰め、歩道を広げ車
道を太いガードポールで分離した。
市は住民説明会で、街路樹にはハナミズキを植える計画を示し
たところ、沿道の住民から予想もしなかった反対意見が出た。
 
「ハナミズキの花びらが路上に散って、掃除するのが大変だから
やめてほしい」
 
ハナミズキは尼崎市の市木(市花はキョウチクトウ)に指定されて
いる。
春には可憐な薄いピンク(白)の花を付け、花が終われば赤い実。
樹形も葉も品良く、街路樹には最適の花木だろう。
「市も粋なことを考えるもんだ。美しいフラワーロードになるだろうな
あ」と喜んでいたら住民の反対で急きょ変更、クロガネモチになった
と聞いて、がっくり。
今では深緑のクロガネモチが育ち、ハナミズキに比べて少々陰気な
街路樹が茂っている。
 
このコミュニティ道路は駅から北へ疎水沿いに約1.5キロ続く。
途中までの街路樹はタイサンボクで、6月ごろ大きな白い花をつける。
残りは優しいハナミズキ通の予定が、住民反対でとん挫した。
反対した住民はどれだけいたかわからないが、一時の清掃の手間ぐ
らい辛抱する寛容さがほしかった。
「住民エゴ」とこぶしを振り上げるつもりはないけど・・・
 
あっさり計画をり引っ込め変更した市のお役人も情けない。
ハナミズキは素晴らしい街路樹だ、と根気よく説得してほしかった。
お隣の伊丹ではハナミズキロードがあって、美観を呈しているのに。
 
20世紀初頭、日米友好を願って日本から桜をアメリカに贈った。
返礼としてアメリカから日本に贈られたのはハナミズキだった。
とても意義ある花なのにねえ。
  
  夕闇の 風に踊れる 花水木   加藤あけみ 
  この辺の 道は迷はず 花水木  稲畑汀子
 
・・・こんな素敵なハナミズキの街を期待したのに、まことに残念。
 
 
クロガネモチの街路樹
  
 
  ハナミズキの名残を示す陶板
  
 

国歌さまざま

2019-04-23 09:49:50 | 日記
新しい元号「令和」は初めて日本の国書(万葉集)から出典された、
として歓迎されている。
日本の国家「君が代」の出典も、もちろん日本国書…この場合は古
今和歌集から。
 
我が君は 千代に八千代にさゞれ石の 巌となりて苔のむすまで
(詠み人知らず)
 
が初出とされている。
 
「我が君」は男の人で、女性から送られたラブレターと考えられている。
国歌では「君が代は」となり、男女一般への呼びかけとされている。
国歌「君が代」は、天皇をたたえる歌であるとして一部の人たちから
反対の声がある。
果たしてそうだろうか。天皇を「君」と軽く呼称するだろうか。
さゞれ石(小さな石)が千代に八千代を経て大きく育ち苔がむすまで、
永遠に国が栄えることを願った「祈りの歌」だと思うのだが…
 
君が代は世界で一番短い国歌として有名だけど、あまり知られていな
実は3番まである。
(2番)
  君が代は 千尋の底のさゞれ石
 鵜のゐる磯とあらはるるまで
(3番)
 君が代は 限りもあらじ 長浜の
 真砂の数は よみつくすとも
美しい和語(日本語)ではないか。
 
ところで静かな祈りの歌としての君が代は、いかにも和を好む日本人の
を謳っているが、海外の国歌は勇壮な雄叫び調で、何とも血なま臭い。
君が代とは真逆だ。
 
★米国国歌(星条旗よ永遠なれ)
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
我等の旗は夜通し翻っていた
ああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に
 
英国国歌(神よ女王(国王) を護り賜え)
おお主よ、我等が神は立ち上がり
敵を蹴散らし、潰走させ、
姑息な罠をも打ち破りたもうた
我等の望みは汝にあり
神よ我らを守りたまえ
 
★フランス国歌(ラ・マルセイエーズ)
祖国の子どもたちよ、栄光の日がやってきた
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗がかかげられた
血塗られた軍旗がかかげられた
どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか
子どもや妻たちの首をかっ切るために
やつらは我々の元へやってきているのだ
(以下略)
 
 
ロシア国歌(祖国は我らのために)
ロシア 我等が聖なる帝国
ロシア 最愛の祖国
強大な意志の力 偉大なる光栄
常しえに誉れ高くあらん
 
★中国国歌(義勇軍行進曲)
いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!
我等の血と肉とをもって
我等の新しき長城を築かん
中華民族に迫りくる最大の危機
皆で危急の雄叫びをなさん
 
どうです、すさまじいでしょう。
それぞれ国の成り立ちや環境によるとは言え、
いかにも「肉食系国家」を思わす国歌だねえ。
 
 
 <今日のフォト>
 
  4月のアレンジ
  
  
  カリフォルニアジャスミンの投げ入れ