良く晴れているのにうっすらとモヤがかかり、何となく鬱陶しい
29日の午後、ご町内の桜はどうか、とコンデジ持ってぶらり出
かけた。
杖をつきながらだから、半径700メートルほどの限られた範囲
で「こんな黄砂に覆われた日には、普通でさえ不鮮明なコンデジ
ではろくな写真は撮れないだろう」ぼやきながら出る。
すぐ近くに先年亡くなった落語の大御所、桂米朝さん宅の桜があ
り、「米朝さくら」(私の勝手な勝手な命名)は、今年も元気で
満開だ。
「外面はええけど、家から見たらさっぱりや」と米朝さんをボヤ
かせたという桜は、バス道路沿いにいっぱい花をつけ、道行く人
を楽しませている。
少し南下すると、お屋敷の“見越しの桜”、カソリック幼稚園や文
化会(自治会)会館の公園の桜も、満開に咲き誇っている。
足を少し伸ばして阪急神戸線の武庫之荘駅東の踏切付近は、桜と
電車のコラボが見られてちょっとした撮影スポット。
例年ならカメラマンが集まっているのだけど、コロナの関係かな、
今日は2,3人カメラを構えているだけ。
マルーンの阪急電車に桜はよく似合うが、今年は枝が払われたのか
少し寂しくなっている
「日本人は古来、桜は人生のはかなさを重ねて考えてきたが、私
はそう思わない。桜はむしろ強靭でしたたかな樹だ」
厳寒の北海道で、風雪を耐えて咲く桜を見てきた主婦作家宇江佐
真理さんは、エッセー「笑顔千両」(文春文庫)で書いている。
咲いたその日からはらはらと散らしながら新芽を覗かせる桜に、
生命力のたくましさを強く感じたのだろうか。