「たまには心の雨宿り」
町内のお寺掲示板に張り出されている言葉だ。
「コロナ疲れをちょっと一服、自分を休ませてあげて下さい」と添え書きしている。
そうだよねえ、世界中がすさまじいコロナウイルスに振り回されてきたこの半年間、
折しも梅雨の時期、少し「雨宿り」して一服しましょうよ。

経済も学校も文化も家庭生活もガタガタにされ、長いトンネルから抜け出せず疲弊し
きっている。
やっと自粛が解除されたけど、南米やアフリカでなお猛威を振るって収まる気配もな
い新型コロナウイルス、いつまた海を越えて、わが身に飛び火するかも分からないか
ら、まだまだ安心はできないだろう。
さて「心の雨宿り」。
フラワーアレンジ、ガーデニング、読書、そしてニャンコ相手・・・
コロナ自粛生活の無聊を慰めてくれる我が家の「心の雨宿り」は、そんなところか。
その読書では、このところ「傾向」(ちょっと大げさかな)が変わってきた。
もっぱら時代小説ばかりだったのが、現代小説や好きな作家のエッセーまで広げて
「雨宿り」を楽しんでいる。
特に宇江佐真理さんのエッセーが心を打つ。
宇江佐さんは中山義秀文学賞などを取っているが、直木賞は6度も候補に挙げられ
ながらついに果たせず、乳がんで2015年(平成27)に66歳で死去した。
江戸に生きる市井の人々の哀歓を優しい筆致でひたすら書き続け、70数冊の作品を残
した。
「書斎は台所」と言ってはばからない、主婦作家だった。
宇江佐さんのエッセー集は「ウエザーリポート」(いずれも文春文庫)のタイトルで、
「笑顔千両」(2010年)と「見上げた空の色」(2015年)の2冊刊行している。
「笑顔千両」は、主婦作家として夕食の支度を気にしながら大工の亭主、育ち盛りの息子
を思い「つつましくもほがらかな心の日記」、第2弾「見上げた空の色」は還暦を過ぎて
罹った乳癌のことを、時には気風よく時にはしんみりと綴る(表紙の短評から)。
文庫化にあたり収録された「私の乳癌リポート」の「あとがき」には、同じ乳がんで亡く
なった歌人河野裕子さん(享年64)の絶筆となる哀切極まりない一首
手をのべてあなたとあなたに触れたきに
息が足りないこの世の息が
に触れて、
「そう、息が足りなくなるのね。この世の息が、と私は呟くばかりで、感想の言葉は浮かば
なかった」
わが身の死を予感したのか、宇江佐さんの言葉が胸を打つ。
そして「私は乳癌んよ」と告げた息子のお母さんに泣かれると
「そうだね、悲しむ人もいるだろうから、私はまだ死にません、死にません。平成27年、
夏、自宅にて」と、「文庫のためのあとがき」に記している。
宇江佐さんが死去したのは、その年の秋11月7日である。
