■Solnze(英題:The Sun):太陽
●Directer&Screenwriter:Aleksandr Sokurov アレクサンドル・ソクーロフ
●Cast:Issei Ogata イッセイ尾形 Shiro Sano 佐野史郎 Kaori Momoi 桃井かおり Robert Dawson ロバート・ドーソン
●第13回サンクトペテルブルク映画祭グランプリ受賞(6月29日)
【掲載されたサイトより抜粋記事】
●第55回ベルリン国際映画祭コンペ部門に出品されたロシア映画「太陽」(アレクサンドル・ソクーロフ監督)で昭和天皇を演じたイッセー尾形(53)がスポーツ報知のインタビューに応じた。
映画「太陽」は、僅かな情報と小さなカットのみで、その後何度かアップしようと思いつつも時期を見計らって慎重にと、とどまっていたのだが、記事になった事を踏まえて、簡単な紹介参ります。
●ベルリン映画祭が終った。映画「太陽」はどこに行くのだろうか。
アレクサンドル・ソクーロフは、ヒットラー、レーニンを描いた後に、歴史上の人物として、日本の天皇Hirohitoを描く構想を約10年程まえから、周囲の者に洩らしていた、という。
映画は静かに、しかし着々と準備が進められ、ロシアにおいて撮影、さらにCG処理等を施し編集、完成し、ベルリン映画祭のコンペ部門へ出品という情報が告知された。
映画祭は終わり、各マスコミは無冠だった事をさも残念そうに伝えたが、この映画が何故、国内公開が危ぶまれる、いや、できないだろう、という状況におかれているのかは明確にしない。
物語は、1945年の夏、場所は日本。8月15日、いったいどれだけの日本人が初めて天皇の声を聞いたのだろうか。昭和天皇は、この日、日本が無条件降伏により大戦を終えることを全国民に向けて発した。国民へのラジオによる放送、あらかじめ録音された音盤による玉音放送により、日本国民は、自国が敗戦国として連合国に対し無条件降伏を受け入れる事を知る。
結果、その放送によって、決死の覚悟を決めていた多くの国民、死ぬまで戦い抜く、と自ら言い聞かせていた国民、欲しがりません勝つまでは、と連呼していた国民の命を救うことになった。無論、早くこんな戦争は終われと祈っていた国民にしてもそうだ。同時に、それは相手国であるアメリカ、中国、英国、ロシア人の命をも救うことにはなった、というソクーロフの解釈の元にこの物語は進行している模様だ。
玉音放送後、日本は戦勝国の筆頭としてアメリカ指令の元に戦後復興の作業が開始されるわけだが、天皇が軍事法廷の前に現れ、裁かれねばならない、と主張する戦勝国内の議論沸騰。この時、アメリカ占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、天皇と直接会合を持った。その後、昭和天皇を戦争犯罪者として扱う事を避けるべく、マッカーサーは、大統領に進言する。
この映画「太陽」は、この時の天皇とマッカーサーとの会合を中心に描いたものであるという。マッカーサーの伝記、当時の事細かな記録等を長期に渡り、収集分析したシナリオを元に、ソクーロフは映画化にこぎつけた、のだという。マッカーサーの伝によれば、天皇という人物を、その精神において、それまで会った日本の誰よりも紳士であった、というような記述が残っているとか。当方は未見なので詳細は知らず。
マッカーサーの回顧録では、天皇はこの戦争に対する責任を自ら受け入れる準備があったと、明確に記されているのだろうか。死を覚悟しての、戦争終結であったのか、その辺りもこの映画の中では触れられているらしい。さらに昭和天皇の人間宣言以降の姿を描き続けるのだという。
何故、題名が「太陽」なのか。天照大神(あまてらすおおみかみ)、つまり日本における天照大神より124代目の子孫として、神として奉られた存在であった天皇を描いた作品であるから「太陽」なのだ。
戦争という苛酷な状況を終えた自国他国の人々の前にさらされた1人の象徴的な人間の心の動揺、葛藤、左右されるその狭き道を、私たちは映画に見るのだろうか。
昭和天皇は、イッセー尾形。侍従には佐野史郎。皇后役として桃井かおり。映画の中の原語は日本語が主で、後は米軍関係者の英語であり、ベルリンでは字幕付で上映されている。
また、「太陽」は、天皇を描きながらも、当時の時代性や背景をソクーロフ流のヴィジュアルで構成しているという。ある種、ドキュメンタリー映像などに感じられる古さを念頭においたのか、フィルムの色調や画像などに手が加えられた物であるという。撮影はロシアのサンプトペテルグ。アカデミー賞に今年ノミネートされたヒトラーを描いた「ダウンフォール」も撮影場所は同じだった。
とはいえ、戦後処理に明け暮れる日本。天皇の居場所である皇居、また、焼夷弾攻撃で荒廃した焼け跡の模様なども再現されている、というが、時折りこの映画の中には幻想的な場面も挿入されているという。
イッセイ尾形は、数年前に天皇の姿に扮したポラロイドをロシアのソクーロフに送っていたという。それが2年前にソクロフ自身から返事を貰い、その後に出来上がった日本語と英語による台本を目にした時の興奮を記者に語っている。役者であれば、まずはそうだろう。(2005年/製作国ロシア・イタリア・フランス/日本公開未定)
注意:既にご覧の方も多いかと思いますが、敢えてスポーツ報知インタビュー記事の一部抜粋を以下に記します。
―役の影響を考えたのは?
「ロシアに渡り、マッカーサーとの対面シーンのリハーサルをやりました。天皇陛下が『原爆を落としたのはお前たちだろう?』と英語で問う場面があり、天皇の映画を撮るというのはこういうことなんだ、と実感が出てきました。帰国後、いろんな人から“妨害がある”とか“消されちゃうよ”とか言われ、初めて恐怖を感じました」
―役を降りようとは?
「事務所のスタッフと相談しましたが、起こるかどうか分からないことを悩むのはどうかと考えました。僕個人のことと、仕事のことは分けて考え、むしろ、この仕事に誇りを持って、全力で臨もうと考えました。実際、脅迫はありませんでした」
―役作りは?
「本や写真集は読みましたが、あまり役立たなかった。衣装を着て、防空壕(ごう)のセット内に入り、息苦しさを感じた。人間としての当たり前の反応を感じながら、演じていきました」
―防空壕のセットは監督の想像なのですか?
「いえ、実際に資料が残っているそうで、監督は写真も見せてくれました。御前会議も事実に基づいています。監督は相当、下調べをしていました」
―一方、史実と違うという指摘もあります。
「ええ、(終戦間際の御前会議で)昭和天皇が明治天皇の歌を朗読する場面がありますが、実際は開戦のときに読まれました。この映画はこれまで誰も知らなかったこと、記録になかったことを、監督が芸術家として想像をはせて描いたもの。僕自身も天皇陛下をチャーミングな方に見せたいと思い、演じました」
―口を動かしたり、「あ、そう」との口ぐせをまねていますが。
「口については監督からは開けていてほしい、という指示だけはありました。天皇陛下は常に周囲からは見られている存在です。まゆを上げたり、下げたりすれば、意味が出てしまう。なるべく、表情に感情を出さないように過ごされていたと思います。それが口に出たのではないか、と指摘された外国のプレスの方もいました。まねというつもりはありません」
―演じきり、昭和天皇という方をどう思いましたか?
「劇中で陛下は自分を神とあがめることを否定します。一人の人間が『自分は人間である』と宣言する。なんて悲しい、なんてナンセンスなんだ、と思いました。これを世界中で唯一、背負わされた人間が昭和天皇。あの大変な時期に、権力の頂点に立たれた。これは想像を絶することです」
―会見では「見ていない人と同じ土俵に立ちたくない」と話しました。
「言いたかったのは、とにかく見てほしい、ということ。見ていただかないことには、映画の意図することは何も伝わらない。日本公開は難しそうですが、正直、理解できません。今後、海外の映画館や映画祭では上映されるので、日本の方も見てほしいです」(スポーツ報知 聞き手・平辻哲也)
●Directer&Screenwriter:Aleksandr Sokurov アレクサンドル・ソクーロフ
●Cast:Issei Ogata イッセイ尾形 Shiro Sano 佐野史郎 Kaori Momoi 桃井かおり Robert Dawson ロバート・ドーソン
●第13回サンクトペテルブルク映画祭グランプリ受賞(6月29日)
【掲載されたサイトより抜粋記事】
●第55回ベルリン国際映画祭コンペ部門に出品されたロシア映画「太陽」(アレクサンドル・ソクーロフ監督)で昭和天皇を演じたイッセー尾形(53)がスポーツ報知のインタビューに応じた。
映画「太陽」は、僅かな情報と小さなカットのみで、その後何度かアップしようと思いつつも時期を見計らって慎重にと、とどまっていたのだが、記事になった事を踏まえて、簡単な紹介参ります。
●ベルリン映画祭が終った。映画「太陽」はどこに行くのだろうか。
アレクサンドル・ソクーロフは、ヒットラー、レーニンを描いた後に、歴史上の人物として、日本の天皇Hirohitoを描く構想を約10年程まえから、周囲の者に洩らしていた、という。
映画は静かに、しかし着々と準備が進められ、ロシアにおいて撮影、さらにCG処理等を施し編集、完成し、ベルリン映画祭のコンペ部門へ出品という情報が告知された。
映画祭は終わり、各マスコミは無冠だった事をさも残念そうに伝えたが、この映画が何故、国内公開が危ぶまれる、いや、できないだろう、という状況におかれているのかは明確にしない。
物語は、1945年の夏、場所は日本。8月15日、いったいどれだけの日本人が初めて天皇の声を聞いたのだろうか。昭和天皇は、この日、日本が無条件降伏により大戦を終えることを全国民に向けて発した。国民へのラジオによる放送、あらかじめ録音された音盤による玉音放送により、日本国民は、自国が敗戦国として連合国に対し無条件降伏を受け入れる事を知る。
結果、その放送によって、決死の覚悟を決めていた多くの国民、死ぬまで戦い抜く、と自ら言い聞かせていた国民、欲しがりません勝つまでは、と連呼していた国民の命を救うことになった。無論、早くこんな戦争は終われと祈っていた国民にしてもそうだ。同時に、それは相手国であるアメリカ、中国、英国、ロシア人の命をも救うことにはなった、というソクーロフの解釈の元にこの物語は進行している模様だ。
玉音放送後、日本は戦勝国の筆頭としてアメリカ指令の元に戦後復興の作業が開始されるわけだが、天皇が軍事法廷の前に現れ、裁かれねばならない、と主張する戦勝国内の議論沸騰。この時、アメリカ占領軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、天皇と直接会合を持った。その後、昭和天皇を戦争犯罪者として扱う事を避けるべく、マッカーサーは、大統領に進言する。
この映画「太陽」は、この時の天皇とマッカーサーとの会合を中心に描いたものであるという。マッカーサーの伝記、当時の事細かな記録等を長期に渡り、収集分析したシナリオを元に、ソクーロフは映画化にこぎつけた、のだという。マッカーサーの伝によれば、天皇という人物を、その精神において、それまで会った日本の誰よりも紳士であった、というような記述が残っているとか。当方は未見なので詳細は知らず。
マッカーサーの回顧録では、天皇はこの戦争に対する責任を自ら受け入れる準備があったと、明確に記されているのだろうか。死を覚悟しての、戦争終結であったのか、その辺りもこの映画の中では触れられているらしい。さらに昭和天皇の人間宣言以降の姿を描き続けるのだという。
何故、題名が「太陽」なのか。天照大神(あまてらすおおみかみ)、つまり日本における天照大神より124代目の子孫として、神として奉られた存在であった天皇を描いた作品であるから「太陽」なのだ。
戦争という苛酷な状況を終えた自国他国の人々の前にさらされた1人の象徴的な人間の心の動揺、葛藤、左右されるその狭き道を、私たちは映画に見るのだろうか。
昭和天皇は、イッセー尾形。侍従には佐野史郎。皇后役として桃井かおり。映画の中の原語は日本語が主で、後は米軍関係者の英語であり、ベルリンでは字幕付で上映されている。
また、「太陽」は、天皇を描きながらも、当時の時代性や背景をソクーロフ流のヴィジュアルで構成しているという。ある種、ドキュメンタリー映像などに感じられる古さを念頭においたのか、フィルムの色調や画像などに手が加えられた物であるという。撮影はロシアのサンプトペテルグ。アカデミー賞に今年ノミネートされたヒトラーを描いた「ダウンフォール」も撮影場所は同じだった。
とはいえ、戦後処理に明け暮れる日本。天皇の居場所である皇居、また、焼夷弾攻撃で荒廃した焼け跡の模様なども再現されている、というが、時折りこの映画の中には幻想的な場面も挿入されているという。
イッセイ尾形は、数年前に天皇の姿に扮したポラロイドをロシアのソクーロフに送っていたという。それが2年前にソクロフ自身から返事を貰い、その後に出来上がった日本語と英語による台本を目にした時の興奮を記者に語っている。役者であれば、まずはそうだろう。(2005年/製作国ロシア・イタリア・フランス/日本公開未定)
注意:既にご覧の方も多いかと思いますが、敢えてスポーツ報知インタビュー記事の一部抜粋を以下に記します。
―役の影響を考えたのは?
「ロシアに渡り、マッカーサーとの対面シーンのリハーサルをやりました。天皇陛下が『原爆を落としたのはお前たちだろう?』と英語で問う場面があり、天皇の映画を撮るというのはこういうことなんだ、と実感が出てきました。帰国後、いろんな人から“妨害がある”とか“消されちゃうよ”とか言われ、初めて恐怖を感じました」
―役を降りようとは?
「事務所のスタッフと相談しましたが、起こるかどうか分からないことを悩むのはどうかと考えました。僕個人のことと、仕事のことは分けて考え、むしろ、この仕事に誇りを持って、全力で臨もうと考えました。実際、脅迫はありませんでした」
―役作りは?
「本や写真集は読みましたが、あまり役立たなかった。衣装を着て、防空壕(ごう)のセット内に入り、息苦しさを感じた。人間としての当たり前の反応を感じながら、演じていきました」
―防空壕のセットは監督の想像なのですか?
「いえ、実際に資料が残っているそうで、監督は写真も見せてくれました。御前会議も事実に基づいています。監督は相当、下調べをしていました」
―一方、史実と違うという指摘もあります。
「ええ、(終戦間際の御前会議で)昭和天皇が明治天皇の歌を朗読する場面がありますが、実際は開戦のときに読まれました。この映画はこれまで誰も知らなかったこと、記録になかったことを、監督が芸術家として想像をはせて描いたもの。僕自身も天皇陛下をチャーミングな方に見せたいと思い、演じました」
―口を動かしたり、「あ、そう」との口ぐせをまねていますが。
「口については監督からは開けていてほしい、という指示だけはありました。天皇陛下は常に周囲からは見られている存在です。まゆを上げたり、下げたりすれば、意味が出てしまう。なるべく、表情に感情を出さないように過ごされていたと思います。それが口に出たのではないか、と指摘された外国のプレスの方もいました。まねというつもりはありません」
―演じきり、昭和天皇という方をどう思いましたか?
「劇中で陛下は自分を神とあがめることを否定します。一人の人間が『自分は人間である』と宣言する。なんて悲しい、なんてナンセンスなんだ、と思いました。これを世界中で唯一、背負わされた人間が昭和天皇。あの大変な時期に、権力の頂点に立たれた。これは想像を絶することです」
―会見では「見ていない人と同じ土俵に立ちたくない」と話しました。
「言いたかったのは、とにかく見てほしい、ということ。見ていただかないことには、映画の意図することは何も伝わらない。日本公開は難しそうですが、正直、理解できません。今後、海外の映画館や映画祭では上映されるので、日本の方も見てほしいです」(スポーツ報知 聞き手・平辻哲也)