毎日、天気や気分で、今日、聴きたい曲や音楽が決まります。
それが、見つからない時があります。
すると、僕は、必ず、The Beatlesに戻ります。
今ちょうど、無性にThe Beatlesが聴きたい週間に入ってます。^^;
The Beatlesは、不思議な魔法です。
スタイリッシュに響く時、そうでない時があります。
スタイリッシュに響く時、The Beatlesは、僕の中に、スーッと納まり、納まり過ぎて、涙することがあります。
僕の中のThe Beatlesを、どう、説明すれば良いのだろう。
それが、僕の永遠の課題なのかもしれません。^^;
人生、噛めば噛むほど、The Beatlesの味がわかってきます。
読書好きの言う、夏目漱石と、同じ感覚だって、僕は、勝手に思ってます。
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時々、もったいないと、思う人と出会うことがあります。
亜流、時流を、認めたがらない人や、素直に、無邪気になれない人です。
例えるならば…^_^;
ジャイアンツファンだと言えずに、カープファンだと言ってしまう人。
野球なんか全く興味もないのに、タイガースファンだと豪語してる人。
神宮球場でビールを飲みたいがためだけの、ヤクルトファンから、いつも罵声を浴びせられてる、内野席の無気力な、エセ.ヤクルトファン。
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その昔、ロンドンに居候してた頃、居候先のイギリス人の友人は、熱く、The Beatlesを語る時の僕を、不思議日本人と、面白がっていました。
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それも、当然です。
1991年を生きる、二十代の若い英国人にしてみれば、The Beatlesとは、もはや、遥かなる過去の文化遺産でしかないわけです
そんなことを口にしてる時の僕は、友人には、明治時代の日本人留学生のように、映ったのかもしれません。
(^_^;)
僕ら、日本人には、そのニュアンスを知るには、時間が、かかりますが、英国は、階級社会です。
皮肉にも、パンクと言う、素晴らしいサブカルが生まれた、その原動力は、階級社会です。
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ロンドンに暮らす、ホワイトの目からする、リバプールは、ただ、ブルーでしかありません。
当時の英国は、不況で、失業者が溢れ、ましてや、今では、地方の寂れた港町でしかない、リバプールなどは、どこもかしこもシャッター通りで、治安も悪くなる一方でした。
寂れた街の一角にあるパブから、虚しくこだまして聞こえてきたのが、僕の、初めてのリバプールでの、The Beatles体験でした。
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そんな街の様子を知っていたのでしょう。
友人は、危険だから行くなと、あきれ顔で、僕に言ってました。
当時、バブリーなのは日本企業と、その駐在員家族と、日本人観光客だけでした。
ユダヤ人と日本人が多く暮らす、ロンドンの高級住宅街などは、JJタウンと、冷ややかに、陰口されてた頃です。
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60年代のThe Beatlesは、確かに偉大ではあっても、英語人にしてみれば、それだけに固執する理由がありません。
なぜなら、英国では、過去も今も、多くの音楽家を次々と輩出し続けているからです。
友人にしてみれば、なんで日本人が、そんな、英国の過去の偉人を崇め立てるの⁇
そんな感じでした。
最近では、60~70年代Rockは、クラッシックRockとして定着し、英国出身アーティストの思い出の地は、観光名所化されてるようです。
でも、恐らく、今でも、そのイギリス人の認識としては、変わらないと思います。
例えば、若いイギリス人が、僕に、森鴎外や、三島由紀夫や川端康成を、得意げに、熱く語り聞かせるようなものです。
そんなイギリス人と出会ったら、僕は不思議そうな目で、ただ、微笑むしかないと思います。
もちろん、The Beatlesの音楽から、今の流行りの音楽とは、比較のしようもありません。
でも、そもそも、芸術とは、客観性です。
外から眺めることで、初めて基準も価値も生まれるわけです。
だから、わかる、価値もあります。
な~んてね‼︎
(^_^;)