遂に、出口が見えてきました。
やっと人様に、口に出して、言えるようになりました。
(╹◡╹)♡
(T . T)
もちろん、まだまだ、油断は禁物。
最終調整中です。
僕は、脊柱管狭窄症でした。
五十代に入ると、どーんと、この症状が、増えるようです。
医者からは、手っ取り早く、これ以上痛みが続く場合は、手術を勧められるのが、狭窄症です。
しかし、手術は、激痛ポイント除去が目的だから、別の箇所に負担がかかり、加齢と共に、結果的な致命傷になると知りました。
根本から治癒するためには、腰を据え、自力と忍耐しかないことを、偶然あることから知り、それを、実行してきました。
狭窄症では、治すためとの覚悟が必要です。
本人に、治す覚悟がないと、無理です。
僕は、最初は、軽く考えていたので、覚悟が遅すぎたことが、仕事に、大きな支障をきたしてしまい、
当然、トータル的な、商売上の損失額は、かなり大きなものとなりました。
今は、それで、苦労しております。
(=^ェ^=)!
どうしても、いろんなことが、片手間になるし、周りに迷惑もかけてしまいます。
やがて、自分の、全体的なモチベーションが下がります。
どうか、誤解しないでくださいね。
♪( ´θ`)ノ
もちろん、これは、僕の個人的な、狭窄症の、症状のレベルの問題です。
僕の症状レベルは、手術に値せず、自力で治せるといわれました。
そう言ってくれたのは、それを、自分で実証された人が、たまたま、身近にいたからです。
ただ、その結果です。
時間はかかります。
思えば、足掛け7年の、闘いでした。
今だから言えることですが、僕が、気づかなかっただけで、7年前に、すでに、兆候はあったのです。
後悔しても、無意味ですが、ここで気づいていれば、狭窄症などとは、無縁の人生だったと思います。
それほど、初期症状では、町医者も、ましてや、素人の自分も、全く気が付きませんでした。
町医者が、いいかげんとか、そんなことでは、ではないのです。
患者が、痛みに耐えきれず、悶え苦しんでいない限り、町医者は、町医者 診療しか、しないのです。
ただの腰痛と言われ、それを信じて、何も疑問も持たず、ずっとリハビリ通院してました。
ある時から、激痛やシビレが、症状として具体化してきて、はじめて、病状を知ることとなります。
ここから三年と半年。
僕の闘いが始まりました。
そして、ようやく、出口が見えてきたのでした。
もちろん、症状には、個人差がありますから、一言では、この症状は、くくれません。
脊柱管狭窄症なんて、なんだか、エイリアンが脊髄に入り込み悪さしてるような、イメージですよね。
続く…(╹◡╹)♡