「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語:Seidenstraßen;「絹の道」の複数形)として使用したのが最初であるが、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼んだ。
先週、土曜日。
大家さんの、お兄様が、旅から戻られ、成田より。GLASSONIONに、お立ち寄りくださいました。
もうまもなく、70才になられるはず。
いたって元気!(^o^)/
学生時代から、蝶々とアンモナイトの収集家。
医者で、写真家で、坊主でもあります。
そして、弟の大家さんも、ほぼ同じ生き方をされています。
だから、親しくなるのに、時間はかかりませんでした。
僕が親しくなる人は、みんな群れるのが苦手なタイプです。
でもまさか、店のあるビルの大家さんまでが、そんなタイプとは…(^_^;)
偶然とは言え、そんな人と、出会ってしまう、ご縁の不思議とは…。
それが、僕の定めなのでしょうね…きっと。
^_^;
先日、このお兄様から、コレクションの、特大アンモナイトを見せてもらいましたが、圧巻でした。
僕は化石の知識がありません。
ですが、そのアンモナイトの、あまりのリアルさに、そのことに、感動しました。
医者で収集家で写真家で坊主で…
どれが、本業なのでしょう⁇
稼業を放っぽり出し^_^;、10日間もの間、ウイグルの4000Mの高地にしか現れない蝶々を、撮影するためだけに、そこに滞在されていたそうです。
当然ながら、数えきれないほど、訪れた場所だから、その界隈のことには、自宅の庭のごとく詳しいのでした。
開高健や手塚治虫みたいな風貌を、想像してください。
恐らく、開高健や手塚治虫も、こんなタイプだったのでは?
ともかく、エネルギッシュな人柄です。
モンゴルやウイグルと言えば、本来ならば、遥かな悠久の時を告げるシルクロードなのですが、今時は、ネットで調べても、中国の自治区として、政治的な抑圧と弾圧ばかりが、でてきます。
何とも悲しい現実です。
ところが、ところが…。
このお兄様は、そんなことには、全くおかまいなしです。
蝶々のことしか頭にないようです。
国家も体制も政治も弾圧も、ポーンと飛び叶えて、何千年もの間、この地を生息地とする蝶々のことだけを、信じておられます。
そこですよ、医者で坊主で写真家が、見つめるこの世の真実とは…。
そこなんですね、きっと。
ちなみに、僕の姉もそんなタイプかもしれません。
姉は、50才の後半から、シルクロード1万2千キロを、区切りながら、人生最後の旅として、旅を始めました。
ダンナと子供を放っぽり出し、今こそ、自分との最後の約束を果たす時と、その実行を決めたのでしょう。
女性のオバさんには、半端じゃできない過酷な旅です。
6000キロあたりで、膝を痛め、現在、治療のため療養中です。
かなり重症なのですが、治療のかたわら、母校の社会人枠クラスで、考古学を学びながら、膝が回復すれば、すぐまた、その後半の旅を狙っています。
このタイプには、老後と言う単語がありません。
^_^;
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