真夜中、帰り道。
神田川にかかる小さな橋を通りかかる時、不意に誰かに声をかけれたような気がして、川を背にして夜空を振り返ることがある。
すると、そこには決まって、丸く大きくピカピカしたお月さんがいて、ニコニコしながら僕を見ている。
この二十年、いろんな顔の僕がいたはずだ。
この橋だけがそれを知っていて、そして、ちょうどこの橋の袂が、いつからか僕の唯一の特等席となっていた。
更に運の良い日には、宙にフワフワ浮いるような大きな満月が、そのまま水面に浮かぶこともある。
上手くいかないことばかりが続くと、決まってこの橋の袂に頬杖ついては、お月さんに話しかけている僕がいる。
それは、いつもは天国の母ちゃんであったり、時にはジョンであったり、近ごろではキヨシローであったり‥。
僕は、決まって同じセリフを、照れ笑いしながらつぶやいている。
"俺、今日はいくつ間違えたじゃろか‥。
よかったら教えてくれんね‥。
不思議なことに、必ず宮崎弁になっている。
雨も風も、花にも嵐にも、人生の例えはたくさんあるけれど、
僕は、川面に写る月を誰かに例えながら、たくさん話を聞いてもらった。
月にはどれほど支えられてきたことか。
人生の代償について、このごろよく考える
今日という日は、決して全てが無駄なわけではなかったが、完璧な一日など一度もなかった。
結局今日と言う日の終わりの相づちは、自分の嘘と今日のウソとの辻褄を合わせることだった。
年をとるほど、人は孤独になっていくと誰かが歌っていた。
それを否定したいなら、それを受け入れることだと、歌は結んでいた。
年を重ねていくほどに、人は自分から離れていく。
自分が自分から遠くなっていく悲しみは、どう表せばよいのだろう。
日はもうとっくに沈んだのに
まだ、歩道橋の上から、人の行き交う街を、ただ見つめている‥
ある日の自分を人混みに置き忘れたのか。
それとも、まだ見つけられないのか。
孤独が、いったいどこからやってくるのかなんて、わかりきったことだ。
だから、年を重ねるほど、より分かりやすい歌が好きになっていくんだ。
このグラスを飲み干す頃には
虫のいどころが見つかるはずだ
僕はもっと強くなりたい
幼い子供が、母親におねだりすると
母は優しい笑顔で、我が子のほっぺに両手をあてて、いつまでもなでていた。
僕のお月様だ。
神田川にかかる小さな橋を通りかかる時、不意に誰かに声をかけれたような気がして、川を背にして夜空を振り返ることがある。
すると、そこには決まって、丸く大きくピカピカしたお月さんがいて、ニコニコしながら僕を見ている。
この二十年、いろんな顔の僕がいたはずだ。
この橋だけがそれを知っていて、そして、ちょうどこの橋の袂が、いつからか僕の唯一の特等席となっていた。
更に運の良い日には、宙にフワフワ浮いるような大きな満月が、そのまま水面に浮かぶこともある。
上手くいかないことばかりが続くと、決まってこの橋の袂に頬杖ついては、お月さんに話しかけている僕がいる。
それは、いつもは天国の母ちゃんであったり、時にはジョンであったり、近ごろではキヨシローであったり‥。
僕は、決まって同じセリフを、照れ笑いしながらつぶやいている。
"俺、今日はいくつ間違えたじゃろか‥。
よかったら教えてくれんね‥。
不思議なことに、必ず宮崎弁になっている。
雨も風も、花にも嵐にも、人生の例えはたくさんあるけれど、
僕は、川面に写る月を誰かに例えながら、たくさん話を聞いてもらった。
月にはどれほど支えられてきたことか。
人生の代償について、このごろよく考える
今日という日は、決して全てが無駄なわけではなかったが、完璧な一日など一度もなかった。
結局今日と言う日の終わりの相づちは、自分の嘘と今日のウソとの辻褄を合わせることだった。
年をとるほど、人は孤独になっていくと誰かが歌っていた。
それを否定したいなら、それを受け入れることだと、歌は結んでいた。
年を重ねていくほどに、人は自分から離れていく。
自分が自分から遠くなっていく悲しみは、どう表せばよいのだろう。
日はもうとっくに沈んだのに
まだ、歩道橋の上から、人の行き交う街を、ただ見つめている‥
ある日の自分を人混みに置き忘れたのか。
それとも、まだ見つけられないのか。
孤独が、いったいどこからやってくるのかなんて、わかりきったことだ。
だから、年を重ねるほど、より分かりやすい歌が好きになっていくんだ。
このグラスを飲み干す頃には
虫のいどころが見つかるはずだ
僕はもっと強くなりたい
幼い子供が、母親におねだりすると
母は優しい笑顔で、我が子のほっぺに両手をあてて、いつまでもなでていた。
僕のお月様だ。