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ジョージの15回忌

2015-11-30 | 諸行無常…let it be



昨日はジョージハリソンの命日でした。

そんで、哲学的な、とんでも八分、歩いて十分な話をします。

ジョージの本心は、実は、禅について、系統していたアーティストなのだと、僕は今も思っています。

ジョージの言わんとした、somethingとは、それが禅だった気がします。

長く人生やってると、この世が、不条理
で作られていることが、手に取るようにわかるようになります。

そして、人間は、その不条理の正体の解明を、永遠の研究課題としていることも…

無限の不条理を繋ぎ、ひとかたまりにしたのがこの世なら、そのこの世を、カエルの卵みたいに、ひとかたまりに形成する、謎の物質、そのダークマターこそが、禅、なのではと…

それは、人間が、点を知った時に、分かったことだと思うのです。

僕は、ジョージの曲を何度も何度も聴くうちに、そんなことを、ある日、閃くようになりました。

今は、周知と呼ぶより、もはや常識になりつつありますが、科学と資本主義が主流の現代社会では、神道も仏教も、ただの慣習でしかありません。

特に、今の日本の仏教が、ただの葬式用仏教であることは、坊主も市民も同じ解釈をしています。

だから坊主も、胸を張って、堂々と、派手にベンツを乗り回し、美酒に酔いしれ、風俗に通い、日常の人間関係や、この世の不条理の憂さ晴らしをします。

そして、檀家達は、その不条理を、憎々しく、ただ眺めるだけ。



でも一方では、本当をやってる、宗教家もまた、多くいるはずです。

偽物は、肩書きを、大きく前書きし、本物は、肩書きは、小さく後書きされるもの。




起きることの全てに、心を委ね、心を重ねることを、禅、と呼ぶのではと、僕の禅への解釈を、そう仮定するようになりました。

答えとは、そもそもが、存在するものではなく、導くものでも、求めるものでも、探すものでもありません。

自分が、点、であることを感じた時の、
そのsomething。

something = 禅

そんなジョージがいたことで、ポールはこんな名曲を残せたのだとも思います。




→下記はネットで拾った訳詩です。


GOLDEN SLUMBERS

Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home

Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby

Golden slumbers fill your eyes
Smiles awake you when you rise
Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby

Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home

Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby

かつて そこには
故郷へと続く道があった
かつて そこには
家へと続く道があった

おやすみ かわいい子 泣かないで
子守唄をうたってあげよう

黄金の眠りがおまえの瞳を満たし
微笑みがおまえの目を覚ます
おやすみ かわいい子 泣かないで
子守唄をうたってあげよう

かつて そこには
故郷へと続く道があった
かつて そこには
家へと続く道があった

おやすみ かわいい子 泣かないで
子守唄をうたってあげよう


トーマス・デッカー(16~17世紀に活躍した英国の劇作家)が書いた詩をもとに、ポールが作った曲ということです。