昨日はジョージハリソンの命日でした。
そんで、哲学的な、とんでも八分、歩いて十分な話をします。
ジョージの本心は、実は、禅について、系統していたアーティストなのだと、僕は今も思っています。
ジョージの言わんとした、somethingとは、それが禅だった気がします。
長く人生やってると、この世が、不条理
で作られていることが、手に取るようにわかるようになります。
そして、人間は、その不条理の正体の解明を、永遠の研究課題としていることも…
無限の不条理を繋ぎ、ひとかたまりにしたのがこの世なら、そのこの世を、カエルの卵みたいに、ひとかたまりに形成する、謎の物質、そのダークマターこそが、禅、なのではと…
それは、人間が、点を知った時に、分かったことだと思うのです。
僕は、ジョージの曲を何度も何度も聴くうちに、そんなことを、ある日、閃くようになりました。
今は、周知と呼ぶより、もはや常識になりつつありますが、科学と資本主義が主流の現代社会では、神道も仏教も、ただの慣習でしかありません。
特に、今の日本の仏教が、ただの葬式用仏教であることは、坊主も市民も同じ解釈をしています。
だから坊主も、胸を張って、堂々と、派手にベンツを乗り回し、美酒に酔いしれ、風俗に通い、日常の人間関係や、この世の不条理の憂さ晴らしをします。
そして、檀家達は、その不条理を、憎々しく、ただ眺めるだけ。
…
でも一方では、本当をやってる、宗教家もまた、多くいるはずです。
偽物は、肩書きを、大きく前書きし、本物は、肩書きは、小さく後書きされるもの。
…
起きることの全てに、心を委ね、心を重ねることを、禅、と呼ぶのではと、僕の禅への解釈を、そう仮定するようになりました。
答えとは、そもそもが、存在するものではなく、導くものでも、求めるものでも、探すものでもありません。
自分が、点、であることを感じた時の、
そのsomething。
something = 禅
そんなジョージがいたことで、ポールはこんな名曲を残せたのだとも思います。
→下記はネットで拾った訳詩です。
GOLDEN SLUMBERS
Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home
Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby
Golden slumbers fill your eyes
Smiles awake you when you rise
Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby
Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home
Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby
かつて そこには
故郷へと続く道があった
かつて そこには
家へと続く道があった
おやすみ かわいい子 泣かないで
子守唄をうたってあげよう
黄金の眠りがおまえの瞳を満たし
微笑みがおまえの目を覚ます
おやすみ かわいい子 泣かないで
子守唄をうたってあげよう
かつて そこには
故郷へと続く道があった
かつて そこには
家へと続く道があった
おやすみ かわいい子 泣かないで
子守唄をうたってあげよう
トーマス・デッカー(16~17世紀に活躍した英国の劇作家)が書いた詩をもとに、ポールが作った曲ということです。