89歳=卒寿 九十歳-1年
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作家で元東京都知事の石原慎太郎さんが亡くなりました。89歳でした。 石原さんは1932年神戸市生まれ。一橋大学在学中に、夏の海辺を舞台に享楽的な生活を送る若者たちの姿を描いた小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞しました。小説が映画化された際には、弟の石原裕次郎さんを俳優としてデビューさせ、大スター誕生のきっかけを作りました。
その後も作家として数々の小説を執筆し、三島由紀夫とも深い親交があったほか、裕次郎さんを題材にした「弟」は、ミリオンセラーになりました。
政治家としては、1968年に参議院議員に初当選。1972年には衆議院議員に転じました。福田赳夫内閣で環境庁長官を務め、竹下内閣では運輸大臣を務め、1995年に議員を辞職しました。
その後の1999年には東京都知事選に出馬。166万票を集めて当選し、記者会見での「都庁で会おうぜ」という発言が話題を呼びました。4期13年あまりの都知事在任中は、東京都の財政健全化や排ガス規制などの環境対策に力を入れたほか東京マラソンを国際的なイベントに育てました。
一方で、自主憲法制定や核武装の持論、中国への批判的な発言などが波紋を呼び、尖閣諸島をめぐっては、都知事在任中に東京都による購入計画を発表。その後の国有化を促す結果になりました。
石原さんは
2012年、都知事を辞職して再び国政に返り咲きましたが、2年ほどで引退し、その後作家として活動を続けていました。 長男の伸晃氏は前衆議院議員、三男の宏高氏は現衆議院議員で、次男の良純氏は、俳優・タレントとして活躍しています。石原さんは近年は脳梗塞や膵臓がんを患うなど体調を崩していましたが、今日までに亡くなっていたことがわかりました。
〇長 寿 の 心 得
還暦 六十歳で お迎えが来た時は、ただいま留守と云え。 古希 七十歳で お迎えが来た時は、まだまだ早いと云え。 喜寿 七十七歳でお迎えが来た時は、せくな老楽これからよと云え。 傘寿 八十歳で お迎えが来た時は、なんのまだまだ役に立つと云え。 米寿 八十八歳でお迎えが来た時は、もう少しお米を食べてからと云え。 卒寿 九十歳で お迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え。 白寿 九十九歳でお迎えが来た時は、頃を見てこちらからボチボチ行くと云え。
http://irumagakuen9ki.sakura.ne.jp/file/hiroba/hiroba-170622-choujyunokokoroe.pdf
◇大河ドラマで封印された、渋沢栄一華麗なる男の生きざま
経営学者ピーター・ドラッカーは渋沢をこう賞している。
「誰よりも早く、企業と国家の目標、企業のニーズと個人の倫理との関係という本質的な問いを提起した」
「20世紀に日本は経済大国として興隆したが、それは渋沢栄一の思想と業績によるところが大きい」栄一曰く、「すべて世の中の事は、もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である」「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ
」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68136?page=10