〇概要
シルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone, 1946年7月6日 - 75歳)は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
身長177cm。1970年代から2010年代のアクション映画を代表するスター。アカデミー賞には、俳優として2度(1976年『ロッキー』、2015年『クリード チャンプを継ぐ男』)、脚本家として1度(1976年『ロッキー』)ノミネートされている。70歳を超えてなお、鍛え上げた肉体で激しいアクションをこなす映画俳優である。左利き。代表作は『ロッキー』シリーズと『ランボー』シリーズ[1]。
〇生い立ち
ニューヨーク・マンハッタン区のヘルズ・キッチン地区出身。
父はシチリアにルーツを持つイタリア系アメリカ人の美容師フランク・スタローンSr(1919年 - 2011年)、
母はロシア系ユダヤ人およびフランス系アメリカ人で、元ダンサー・占星術師として著名なジャッキー・スタローン(1921年 - 2020年)[2][3][4]。
弟のフランク・スタローンは歌手兼俳優として、兄の主演、監督映画数作に端役で出演、または主題歌、挿入歌を提供している。
1人目の妻とのあいだに生まれた長男のセイジ・スタローンも映画監督、脚本家、俳優として父と同じ道を歩むが、2012年、心臓発作により急逝した。
出産時に産科医が鉗子の扱いを誤り、顔面の左側(とくに唇、顎、舌)の神経が傷つけられたため、言語障害で舌足らずな発音と下唇の下垂という症状が残った。このことは少年期のスタローンを内向的にさせ、空想や漫画、とくに映画へ興味を向けさせた[5]。崩れた容姿と脆弱な性格から、つねにいじめの対象となっていた。このトラウマは現在も残る[要出典]。
9歳[5](もしくは12歳)のときに両親が離婚したことをきっかけに、しだいに素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。当初はボクシングジムに見向きもしなかったが、このころに観賞した映画『ヘラクレス』(1958年)の主演スティーヴ・リーヴスの影響により、みずから体を鍛え始めるようになったという[6]。
高校卒業後は美容師学校へ進んだが中退し、レザンにある American School of Switzerland に体育奨学金を得て入学し、演劇を学んだ(このころから演劇に興味を持ち始めたとも)。
アメリカに戻りマイアミ大学の演劇学部に3年間在籍したが、脚本家を志すため中退した[5][注 1](もしくは2年間在籍したが、授業料の支払いが困難となり中退した)。
23歳でニューヨークに戻り本格的に俳優を志した。最終的に『ロッキー』の脚本を卒業論文として、マイアミ大学で学士を取得卒業[7]。