5月12日は、近代看護を築いたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日ということで、1990年に「看護の日」として制定された。
また国際的にも、1965年から国際看護師協会はこの日を「国際看護師の日」に定めている。
その「看護の日」にちなみ、『歌う看護師』というキャッチフレーズで活動する歌手の入山アキ子に、これまでの経歴や看護の経験が歌手活動にどのように活かされているか話を聞いた。
――入山アキ子さんは現在歌手として活動されていますが、デビューされる前は看護師として勤務されていました。看護師を目指したきっかけは何ですか? 小学生の頃、身体が弱く骨折もしたりしていました。
通院や入院した際に、てきぱきと笑顔で働かれている看護師(当時は看護婦さん)の方がとても心強く憧れました。
自分もあのように働いてお役に立ちたいと思ったことが最初のきっかけです。
――看護師として働かれていた頃は、どのようなお仕事をされていましたか? また、どのようなことを心がけていましたか?
耳鼻咽喉科から始まり、胸部外科(心臓・呼吸器・消化器)で手術を受けられる患者様の入院から退院までの看護を行っていました。
呼吸療法認定士の免許を取得し、術前の呼吸訓練指導や術後の肺合併症予防などに重きを置き、患者様がスムーズに退院されるよう看護計画を立案し実施をしていました。
命をお守りすること、治療処置の安心安全、そして身体のケアのみでなく心のケア、寄り添う看護を心がけていました。
――患者さんとのコミュニケーションの中で、何か印象に残る経験や言葉はありましたか?
患者様からいただく『ありがとう』の一言は魔法の言葉でした。
とても励まされ力をいただきました。
最初は『看護師さん』だったのが『入山さん』と呼ばれるようになることは喜びでした。
夜勤の時、耳元でお好きな歌を歌っていたことで、その頃から『歌う看護師』と呼ばれるようになりました。
――現在は歌手として活動されていますが、デビューをするときに葛藤はありましたか?
命の大切さを歌った曲との出会いがスタートでしたので、看護師を経験した自分の運命、使命だと感じ迷いなく歌の世界に入りました。
人を思いやる心や寄り添う気持ちは同じだと感じています。
――デビュー以来、まさに看護師としての経験を活かし施設や病院への訪問を行っています。
これはどのような活動になりますか?
幸いにも歌いに来て欲しいという声を多く頂きましたので、順番でお待ち頂きながらスケジュールを調整していました。
同僚看護師や上司、医師からの依頼が多く、口コミで広がる中、私が住んでいる関東圏、ふるさとの山口県だけでなく、北海道や沖縄県をはじめ各地で歌いました。
コロナの自粛下では、ライブ配信での生演奏コンサートも行いました。
――コロナ禍となった2年前から「入山アキ子のつれづれ日記」と題した生配信を毎日毎晩YouTubeにて行っています。
これはどういった思いで始められたのですか?毎日続けるということは非常に大変なことだと思いますが、「継続するモチベーション」は何ですか?
私の後援会にいらっしゃるお一人暮らしの方から『外出ができず一人なので淋しい』という電話がきっかけでした。
同じような思いをされている方に『一人じゃないよ』という気持ちで、『おやすみなさいを言おう』との単純な思いから始めました。
未だ落ち着かない世の中ですが、ご覧下さる方が一人でもいらっしゃる限り続けます。
看護の心はまさに『お一人お一人に』が基本信条ですので、やめるという選択肢はまだございません。
――今日5月12日は「看護の日」ですが、コロナ禍で大変な医療従事者の方や看護に携わる方にメッセージはありますか?
コロナ禍の医療現場で奮闘され、命に向き合いご尽力下さっている医療従事者の皆様には感謝しかございません。
想像を超える多くの困難に立ち向かって下さりありがとうございます。
病院外に存在する看護師としてできることとして、感染対策の周知徹底、『健康な方を健康なままに!』を実行致します。
ちなみに月に一度行っている健康講座YouTube ライブは、脳トレ、健康寿命を伸ばすことを目標にしています。
これからも『歌う看護師』として、私のできることを精一杯頑張っていきたいと思います。 (おわり)