64歳=古希 七十歳-6年
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4/27(水) 5:00配信
ミリオンヒットとなった今井美樹「PIECE OF MY WISH」などを作曲したシンガー・ソングライターの上田知華さん(うえだ・ちか、本名植田知華子〈うえだ・ちかこ〉)さんが、昨年9月に膵臓(すいぞう)がんで死去していた。
関係者への取材でわかった。64歳だった。
東京音楽大在学中に、作曲家の樋口康雄プロデュースのもと、ピアノ、ボーカル+弦楽四重奏の編成で上田知華+KARYOBINを結成し、1978年に「メヌエット」でデビュー。
クラシックの要素を取り入れたポップスで異彩を放った。
80年に「パープル・モンスーン」が三洋電機の扇風機のCMとなり、知名度を上げた。
朝日新聞社
〇長 寿 の 心 得
還暦 六十歳で お迎えが来た時は、ただいま留守と云え。 古希 七十歳で お迎えが来た時は、まだまだ早いと云え。 喜寿 七十七歳でお迎えが来た時は、せくな老楽これからよと云え。 傘寿 八十歳で お迎えが来た時は、なんのまだまだ役に立つと云え。 米寿 八十八歳でお迎えが来た時は、もう少しお米を食べてからと云え。 卒寿 九十歳で お迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え。 白寿 九十九歳でお迎えが来た時は、頃を見てこちらからボチボチ行くと云え。
http://irumagakuen9ki.sakura.ne.jp/file/hiroba/hiroba-170622-choujyunokokoroe.pdf
◇大河ドラマで封印された、渋沢栄一華麗なる男の生きざま
経営学者ピーター・ドラッカーは渋沢をこう賞している。
「誰よりも早く、企業と国家の目標、企業のニーズと個人の倫理との関係という本質的な問いを提起した」
「20世紀に日本は経済大国として興隆したが、それは渋沢栄一の思想と業績によるところが大きい」栄一曰く、「すべて世の中の事は、もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である」「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ
」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68136?page=10