★卒寿 九十歳で お迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え。
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2017.09.26 / 更新日:2018.09.07
14才で実母を、20年前に最愛の父をがんで亡くした名取裕子(60才)。おひとりさまを貫く彼女は、これまで何度も愛する人の死を乗り越えてきた。しかし、2年前に看取った父の後妻だけは意味が違う。「実母の写真を捨てろ」と迫られ、「修学旅行に行きたい」と言えば通帳を投げつけられた。そして迎えた愛憎入り混じる継母の介護。その務めを終えた、今の心境とは──
■裏表のない、親しみやすい性格の名取
「ここ数年、じわじわとテレビ各局で2時間ドラマ枠が減ってきたことで、『2時間ドラマの女王』の名取裕子さんは少なからずショックを受けている様子でした。本人は“おばさん女優はつらいわ”と笑い飛ばしていたようですけどね。でも、すぐに新しいCM契約も決まって、舞台も続々オファーがきているそうです。今、再びブームがきているのを感じますよ」(芸能関係者)
デビュー40年を超えた今なお、名取は第一線で活躍を続けている。その理由は現場のスタッフに愛されるチャーミングな性格にありそうだ。
「彼女はさっぱりとした裏表のない性格で、日常のドジ話も包み隠さず自分から話す気さくな人です。ロケ先で出されるお弁当にも目を配っていて、“安くておいしいお弁当屋さんを見つけたのよ”とスタッフに声をかけたり、“あのお店のコロッケいいわよ。差し入れにしたら?”と後輩の面倒を見たりしています。
この前、“楽してやせたいの。糖質制限ダイエットなんて、ストレスでおかしくなっちゃうわ(笑い)”と豪快に笑っていました。通販広告に目がなかったり、健康食品に興味津々だったり、いい意味で普通のおばちゃんっぽい、親しみやすい人です」(別の芸能関係者)
■14才で実母を、20年前に父を亡くし
そんな彼女のインタビュー記事が話題だ。9月15日付の朝日新聞朝刊に掲載された、著名人が自分の父親について語る『おやじのせなか』という毎週金曜の連載コーナー。
名取は14才で実母をがんで亡くし、その翌年に再婚した父の後妻と実母を比べ、思春期に複雑な思いを抱いていたと明かした。
『後妻さんは、母と違って家事が全然できない人。つゆが少ないうどんとか、たくあんが入ったすき焼きとか』
父が継母をかばうことで、名取との関係が険悪になったこともあるという。
『父が73歳で亡くなる少し前、「この結婚は失敗だったなあ」とつぶやきました。弱さを見せる父が、とてもいとおしく思えた瞬間です。ダメダメな同級生みたい。最後にそんな親しみを感じ、父をみとりました』
名取が過去をそう語るまでには、2時間ドラマ以上に波乱万丈な半生があった。
■ネグリジェ姿で父に甘えていた継母
神奈川県横須賀市、海が一望できる山の上に名取の家はあった。3世代、13人の大家族で育った名取は、家事で忙しく働く料理上手な母を見て育った。
母の直腸がんが発覚したのは、名取が中学生の時。多少体調が悪くても、主婦は我慢をしていた時代。病院へ行ったときにはすでに手の施しようのない状態だった。
母を亡くしてから、名取が炊事、父が掃除と家事を分担していたが、1年後、父は再婚。48才の継母を迎え入れた。初婚だった継母は、「私はお嫁さんになったのであって、あなたたちの母親になるつもりはない」と名取と兄に言い放ったという。実母の写真を処分するように命じ、お弁当のおかずも父には豪華なチキンを、名取と兄には白米の上にコロッケを載せて新聞紙に包んで渡してきた。ネグリジェ姿で父に甘える継母を疎ましく思い、一刻も早く自宅を出たいと思っていた。
名取の心境に変化が訪れたのは30才手前、女優としてブレークした後だった。
■父の死後、継母に認知症の症状が出て
「家を出て、身の回りのことをすべて自分でやらなくてはならなくなったときに、名取さんは継母も継母なりに面倒を見てくれていたことに気づいたそうです。それからは、両親のために家を建てたり、旅行にも連れて行ったり、少しずつ雪解けしていったようです」(名取の知人)
「同級生」みたいな最愛の父は1996年に亡くなった。継母との関係を思い悩むさなか、継母がアルツハイマー型認知症を発症。20年近い介護生活が始まる。
「夫の死に、継母は人が変わったようにふさぎ込むようになり、徐々に認知症の症状が表れたようです。そんな継母を見て、名取さんは父を本当に愛してくれていたんだと感じ、継母の面倒を見ようと覚悟を決めたそうです」(前出・知人)
多忙な女優業と介護生活。兄は結婚して実家を離れていたため、独身の名取はひとりきりで継母を看続けた。次第にストレスが募っていき、自律神経失調症で倒れたこともあった。それでも名取は、継母が寂しがらないように、継母が入居する老人ホームへ通った。
「すっかり幼女に戻ったようなお義母さんに対して、名取さんは髪を洗ってあげたり、一緒に散歩をしたりしていました。名取さん、とにかく面倒見がいいですからね。“病気は進んだけど、かわいくなって“と話すまでになっていました」(前出・知人)
継母が亡くなったのは2015年3月。体調が急変したと連絡を受けた名取が駆けつけてすぐのことだった。
「亡くなったことはごく親しい人にしか伝えていませんでした。わだかまりがなくなっていたとはいえ、名取さんの中で継母との関係と、その死を消化するのには、時間が必要だったのではないでしょうか。その話題を自然に口にするようになったのは、ごく最近のことです」(前出・知人)
■「大丈夫だよ、もう頑張らなくていいよ」
今年6月、『サワコの朝』(TBS系)に出演した名取は、介護生活には触れながらも継母の死については明かしていない。本誌・女性セブンは名取に直接話を聞いた。
──朝日新聞の記事が話題です。お義母さんの介護が大変だったそうですね。
「いえいえ、私は何もしていないので。施設に入ってよく看ていただけただけなのでね。何もしてなくて申し訳なかったぐらい。でも、最後は本当に、(亡くなったのが)私と会ってすぐだったので…」
──看取ることができたんですね。
「そうですね、本当に最後のところで。それで(継母に)“大丈夫だよ、もう頑張らなくていいよ”って言ってあげたらすぐに召されたので。そう声をかけてあげられたのがよかったなと思っています」
──大人になってから、お義母さんとの関係性が変わったそうですね。
「あんまりもうお答えするのは…でも、90才で天寿を全うした感じで、本当にみなさんによくしていただけました」
愛する3人の肉親の死を乗り越えた彼女は今、愛犬とメダカの世話を焼きながら、忙しい毎日を過ごしている。
※女性セブン2017年10月5日号
〇長 寿 の 心 得
還暦 六十歳で お迎えが来た時は、ただいま留守と云え。 古希 七十歳で お迎えが来た時は、まだまだ早いと云え。 喜寿 七十七歳でお迎えが来た時は、せくな老楽これからよと云え。 傘寿 八十歳で お迎えが来た時は、なんのまだまだ役に立つと云え。 米寿 八十八歳でお迎えが来た時は、もう少しお米を食べてからと云え。 卒寿 九十歳で お迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え。 白寿 九十九歳でお迎えが来た時は、頃を見てこちらからボチボチ行くと云え。
http://irumagakuen9ki.sakura.ne.jp/file/hiroba/hiroba-170622-choujyunokokoroe.pdf
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