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弧状列島,共助,「みんなからの勇気、忘れない」孤児となった兄弟の震災9年岩手・陸前高田

2020-03-09 19:36:38 | 連絡
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2011年3月11日、震災による津波で家が流され、父徳久さん(当時39歳)と母昇子さん(同)が亡くなった。佳紀さんが小学3年、弟の晴翔(はると)さんが小学1年の時だった。地震直後に避難所で暮らしていた頃、祖母の村上五百子(いよこ)さん(76)の携帯電話が鳴る度、兄弟は両親からの着信だと願った。しかし、それはかなわなかった。その年の6月、自宅跡で家族の思い出の品を探した。「これ、家のタイルじゃない?」。見つかったのはがれきだけだった。その後、祖父母と市内の仮設住宅に移ったが、7年前に祖父の公雄(きみお)さん(当時76歳)が亡くなり、16年からは高台の災害公営住宅に入った。 
「みんなに支えられて勇気をもらったことを忘れない」。岩手県陸前高田市の県立高田高校3年、及川佳紀さん(18)は3月1日、卒業式後にクラスメートや一緒に汗を流した柔道部の仲間と笑顔で写真に納まり、学びやを巣立っていった。今年も「あの日」が巡ってくるが、「悲しいと思うことはない」。それは「小学校でも中学校でも周りの仲間が(両親がいない自分を)特別視せず、普通に付き合ってくれたから」だ。 
母昇子さんが高齢者施設で働いていた影響もあり、佳紀さんは4月から仙台市の専門学校に進学してリハビリの作業療法士を目指す。
これまで3年間、毎日弁当を作ってきた五百子さんは「さみしいね」と本音をもらすが、「孫の成長はうれしいし、いつかは出さないといけないから。素直に育ってくれたことが一番」と喜ぶ。
 「いつかは陸前高田に戻り、街が元気になっていく姿を見ていくつもり」と話す佳紀さんの顔が大人びて見えた。震災で過酷な経験をした子どもたちが、たくましく前を向いていた。【大西岳彦】



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