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識者が改めて分析、SNSパワーで勝利した斎藤元彦知事、貢献したのはPR会社ではなくやはり立花孝志氏# 2024.11.28(木)# 米重 克洋

2024-12-24 15:47:33 | 連絡
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米重 克洋(よねしげ・かつひろ)
JX通信社 代表取締役。
1988年(昭和63年)山口県生まれ。
聖光学院(横浜市)卒業後、学習院大学経済学部在学中の2008年に報道ベンチャーのJX通信社を創業。
「報道の機械化」をミッションに、国内の大半のテレビ局や新聞社、政府・自治体に対してAIを活用した事件・災害速報を配信するFASTALERT、600万DL超のニュース速報アプリNewsDigestを開発。
他にも、選挙情勢調査の自動化ソリューションの開発や独自の予測、分析を提供するなど、テクノロジーを通じて「ビジネスとジャーナリズムの両立」を目指している。AI防災協議会理事。
 X(Twitter) アカウント(@kyoneshige)
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衝撃の選挙結果からおよそ10日が過ぎた。
そして選挙結果が確定してからも、選挙運動のあり方などについてさまざまな問題が提起されている今回の兵庫知事選挙だが、猛烈な逆風の中、斎藤元彦氏が一気に有権者の支持を取り付け、当選をもぎ取った手法は改めて評価すべきだろう。
斎藤陣営はどのようにして有権者の心をつかんだのか。
今回の知事選でも世論調査を実施したJX通信の米重克洋代表に選挙戦の分析を聞いた。(聞き手:JBpress編集部)
 
■「斎藤元彦」より検索数で上回った「立花孝志」
??
公示直後の時点では、斎藤元彦さん
斎藤 元彦(さいとう もとひこ、1977年〈昭和52年〉11月15日 - 47歳)は、日本の政治家、元総務官僚。第53・54代兵庫県知事。本名は齋藤 元彦(読み同じ)。
総務省時代
2002年(平成14年)春、東京大学経済学部を卒業して総務省へ入省[4]。
同年10月、三重県に出向[1]。
2003年(平成15年)9月、同省に戻り大臣官房総務課、2005年(平成17年)4月、同自治財政局公営企業課地域企業経営企画室、2006年(平成18年)4月、内閣官房副長官補付(内政)[1]。
2018年(平成30年)4月、大阪府に出向し、同府財務部財政課長を担当。
維新府政の「身を切る改革」を財政課長として3年間にわたり支える。
2021年(令和3年)3月22日、同年7月に行われる2021年兵庫県知事選挙の立候補者として取り沙汰され[6]、同月25日、兵庫県議会の自民党会派有志が斎藤に立候補要請を手渡し[5]、同月末付にて総務省を退職。
同日、兵庫県知事選挙への立候補会見を開いた[7]
自民党県連所属議員の多数が、井戸県政時代の副知事だった金沢和夫を推し、自民党の分裂選挙となった。
2021年3月24日に、兵庫県議会の自民党議員団へ退団届を提出した11名の自民党議員は、翌25日に原哲明議長へ新会派「自民党兵庫議員団」の届出を行い、同日午後3時からの記者会見を終えた午後6時、兵庫県民会館で斎藤に知事選への出馬要請書を手渡した[8]。
その後、松井の方針表明を受け、28日に兵庫維新の会も斎藤に立候補を要請。31日に斎藤は正式に立候補を表明。そして4月6日に日本維新の会が斎藤の推薦を決定。
自民党本部は、4月12日に斎藤の推薦を正式に決定した。~

には厳しい予想が出ていました。
しかし選挙期間に突入すると、あっという間に多くの支持を得て当選しました。
その裏にはネットの力があったと言われていますが、そこはどう分析されていますか。
>>
米重克洋氏(以下、米重) 選挙期間に入ると、公選法・放送法に基づく自主規制により抑制的な報道にならざるを得ない新聞・テレビが発信する情報量より、ネット上でのインフルエンサー的な人々からのネットでの発信が上回りました。
2020年に行われたNHK放送文化研究所の調査では、既に人々のメディア接触の行為者率は、30代以下の世代はテレビよりもネットの方が高かったのですが、同じ現象が現在ではもっと上の年代まで来ているでしょう。
長い時間、頻繁に接している伝送経路上に、斎藤さんを擁護するような大量の情報が発信された。
それが世論の斎藤さんに対する評価を変える力になったと見ています。
??
新聞社やテレビ局もネットでニュースは配信していますが、むしろSNSの情報を有権者は重視したような印象です。
>>
米重 
特に今回の斎藤元彦さんの当選に大きく影響したのは、同じく選挙で立候補していた立花孝志さん
立花 孝志(たちばな たかし、1967年〈昭和42年〉8月15日[1] - 57歳)は、日本の政治家、YouTuber、タレント。
政治団体・NHKから国民を守る党(現在のみんなでつくる党とは別の団体)の党首[2]。
タレント業においては渡邉エージェンシー所属[3][4]。
日本放送協会職員、パチプロ[5][6][7][8]、フリージャーナリストを経て政界入りし、千葉県船橋市議会議員(任期途中辞任、在任期間約15か月)、東京都葛飾区議会議員(任期途中辞任、在任期間約29か月)、参議院議員(任期途中辞任、在任期間約3か月)、NHK党(国政政党)党首(初代)[9][10]を務めた。
大阪府泉大津市出身[11]。
助松団地36号棟で生まれ育つ[12]。
5歳くらいまで両親がいたが、離婚したため父と姉と3人で助松団地に暮らす[12]。
立花が小学校5年生の時に栄養失調になったため母親が戻ってきた[12]。
泉大津市立条東小学校、泉大津市立小津中学校を経て[12]、大阪府立信太高等学校卒業。
 1986年4月、教師の勧めで日本放送協会(NHK)に入局し、和歌山放送局庶務部に配属される[6]。1
991年7月、NHK大阪放送局経理部に異動[9]。
1998年7月、当時のスポーツ報道センターのセンター長兼担当局長の要請で、NHK本部報道局スポーツ報道センター(企画・制作)に異動。

による情報発信です。
 立花さんは、「斎藤さんの応援をする、自分の当選を目指さない」ということを公言して立候補するという異例の選挙戦を展開し、特にYouTubeを効果的に使いました。
 都知事選の際もYouTubeでの検索ボリュームを急激に増やしていった石丸さんが選挙戦終盤にかけて支持を伸ばして得票に結びつけたように、兵庫県知事選でも斎藤さんが終盤にかけて急速にYouTubeの検索ボリュームを伸ばしたのですが、それを大きく上回る検索ボリュームの伸びを示したのが立花さんでした。
その立花さんは、斎藤さんが自分で言えないようなことや「不信任に至るまでの真相はこうだ」みたいな情報――現時点では真偽不明のものも含めて――を選挙期間中も発信していった。
街頭演説でも、斎藤さんの後をついていくように、同じ場所ですぐやったりしている。
 その演説シーンやYouTubeの発信を、また別のネットユーザーがSNSで拡散していきました。
そこでは立花さんは一種の、ネタ製造装置のような機能を果たしたと言えます。
インフルエンサーたる立花さん自身は、自身による発信だけでなく、その言動をまた拡散する人々もいる。
こうして立花さんの主張は一気に拡散してきました。
 それが選挙について有権者の関心がもっとも高まる時期に、「実は斎藤さんってこういう人だったんだ」「斎藤県政ってこういうことだったんだ」と再評価するきっかけになったんだと思います。
斎藤さん本人の発信というより、斎藤さんを支援する立花さんらの存在によって、斎藤さんが支持を伸ばすという現象が起きました。 
■斎藤陣営自体のSNS発信は「最低限」のことだけ
??
斎藤さん陣営と立花さんは、双方とも「連携」についてはなかったとしています。
とすると候補者本人ではなく、立花さんのような勝手連的な人々のSNS発信により大きなうねりが出来るというのは、従来の選挙のネット戦略には見られなかった現象です。 
>>
米重 
斎藤さん陣営がSNS戦略が特別長けていたとか、特にSNSの使い方が格段にうまかったということではありません。
斎藤さんは、それこそ百条委員会の設置から失職に至る過程でも、カウンター的にSNSで情報を発信したり自分の立場を主張するという使い方はほとんどしていませんし、それ以前に『県産品のお土産をもらったのになぜそれをSNSで宣伝しないのか』と批判されていたくらいなので、本人もSNSが得意ではないのだと思います。
斎藤さん自身「SNSはあまり好きではなかった」と吐露しているくらいです。
 目下、知事選の最中に斎藤陣営の広報を担ったとされるPR会社が話題になっていますが、実は斎藤陣営のSNS活動自体には、有権者の争点認識を変えるような大きな効果があったとは言えません。
ネット選挙の鉄板戦術――ショート動画をたくさんつくって、ターゲットごとにメッセージを変えて――みたいなことはしておらず本当にオーソドックスな最低限のことだけをやっていたという印象です。
 ただ斎藤さん側にアドバンテージがあったとしたら、選挙前に、マスコミによる大量の批判的報道により、知名度が極めて高かったということです。
そこに、「実は既得権益と戦ってきた知事」といったような情報が立花さんをはじめとする人々のSNSから大量に発信され、人々の印象を大きく変えていった。
本人が積極的に仕掛けたという感じではなかったと思いますが、
そうして一気にオセロがひっくり返るような現象が起きたのではないかと思います。
 ??
内部告発した元県民局長が亡くなって以降、失職に至るまで、県議会やマスコミから猛烈な批判を浴びていた斎藤氏ですが、失職してすぐ、YouTubeチャンネル「ReHacQ」で長いインタビューを受けています。
そこでインタビュアーの質問にひとつひとつ丁寧に自らの言葉で説明し、これまでの経緯について斎藤氏側からの見解を示しました。これも潮目が変わるきっかけになったようにも思いますが。 
>>
米重
世論調査やデータの観察をしている中では、そのReHacQのインタビューのタイミングで検索ボリュームなどのデータに目立った変化があったということはありませんが、その後、斎藤さん擁護に回るインフルエンサーやネットユーザーが斎藤さんという素材に注目するきっかけにはなった可能性はあったかも知れません。
 
亡くなった県民局長の「プライバシー暴露」は有権者の投票行動に影響を与えたか
??
立花さんは、亡くなった県民局長の内部告発は内部告発と呼べるようなものではなかった、自殺の原因は知事によるパワハラではない、また女性職員と不倫関係にあった――などといった情報を発信していました。
新聞やテレビは選挙期間中は候補者の公平性に配慮するため各候補者に関する新たなネタの報道に関して抑制的になりがちになる中で、これは一般の有権者にとってインパクトがある情報だったように思います
>> 
米重 
われわれの世論調査では、何が原因で斎藤さんへの支持が増えたのかまではとらえきれない部分もありますが、立花さんに関して言えば10月の24日に出馬表明し、10月31日に告示があったわけですが、すでに10月の27〜29日あたりに検索ボリュームの大きなスパイクがあり、その後、どんどん右肩上がりで上がっていきました。
 一方、われわれが神戸新聞と合同で実施した世論調査などの結果を見てみると、失職直後には斎藤県政を評価するとしていた人が2割程度だったのですが、選挙期間中には4割以上が「評価する」に変わりました。
さらに時間が経過した投開票日当日の出口調査を見ると、7割以上の人が斎藤県政を評価しているという結果が出た。
 投票に当たって重視するテーマについても、当初は「知事の資質」や、今回の文書問題に関係する話の比重が高かったのが、選挙戦中盤からは政策とか斎藤県政の継続か否かという争点に変わっていったのです。
つまり選挙期間の序盤に、有権者の中で、スキャンダルが相対的に重要ではなくなった瞬間があった。
 おそらく斎藤県政の実績――県立大学の無償化や県庁舎建て替えを縮小し浮いた資金を利用して県立高校へのエアコン設置を進める――といった若者支援・Z世代支援の政策への評価も改めて高まったのだと思います。
そういう「改革」をやっていた斎藤さんは既得権益を守りたい人々に潰されたんだ、というストーリーがちょうどはまって、若い世代のなかに腰を上げて投票所に行く理由が出来た。
そういう側面もあったと思います。
??
序盤では稲村和美さん
稲村 和美(いなむら かずみ、1972年〈昭和47年〉11月10日[1] - 52歳)は、
日本の政治家。
兵庫県議会議員(2期)、兵庫県尼崎市長(3期)を歴任した。
学位は法学修士(神戸大学大学院・1998年)。


が優勢との見方がマスコミではされていた。
 >>
米重 
稲村さんは、今回は投票率が高くなったために落選という結果になりましたが、得票数で見ると、斎藤さんが前回の知事選で当選した時の票よりも多く獲得していますから、得票数が少ないとは言えません。
そして今回の選挙戦でも、少なくとも中盤くらいまでは稲村さんがリードしていたと思われます。 
実は、あまり指摘されないことですが、選挙結果に大きな影響を及ぼしたのは、3位になった清水貴之さん
清水 貴之(しみず たかゆき、1974年6月29日 - 50歳)は、日本の政治家、元アナウンサー。
元参議院議員(2期)。
日本維新の会広報局長、兵庫維新の会代表を歴任。
ニックネームは「シミタカ」。
 ~
福岡県筑紫野市生まれで、千葉県松戸市で育つ。
芝浦工業大学柏高等学校、早稲田大学教育学部卒業。
1999年、朝日放送(現:朝日放送テレビ)に入社した。
入社同期に加藤明子がいる。
朝日放送では、朝日放送テレビの早朝番組『おはようコールABC』でメインキャスターを務める。
また、朝日放送ラジオの『上沼恵美子のこころ晴天』では、2010年3月に火曜日の放送が終了するまで、3年半にわたりメインパーソナリティである上沼恵美子のパートナーを務めた。
朝日放送に勤務する傍ら、関西学院大学大学院商学研究科の博士前期課程に入学し、2004年に修了した。


の動向です。
清水さんはもともと維新の参議院議員で、10月の衆院選で兵庫8区からの出馬を予定して準備を進めていた。
 そのさなかに兵庫県では斎藤さん問題が持ち上がり、最初の知事選で斎藤氏を推薦していた維新の会も、ある意味、斎藤さんを見切って不信任案に同意しました。
その結果、出直し知事選で維新からも誰か候補者を立てないといけないということから清水さんに白羽の矢が立った、という経緯がありました。
ただ清水さんは、幅広い層から支持を集めたいということで、維新を離れ、無所属での立候補となりました。
選挙の構図としては、結果的にはそれがミスジャッジであり、清水さんにとってはマイナスに作用してしまったと思います。
自ら維新の政党ラベルを脱ぎ捨てた結果、維新支持層を固めることもできなかった。
出口調査でも、維新支持層の支持に関して、清水さんは稲村さんにも後れを取っているという結果が出ていました。
 もし清水さんが維新支持層を固められていたら、斎藤さんが埋めるべき票差はもっと増えていました。
その場合、もしかしたら当選したのは斎藤さんではなく稲村さんだった可能性もあったのではないかと思います。 
■偶然も味方につけての勝利
??
ということは今回の斎藤さんの選挙戦略を、他の政治家の人が真似しようと思っても、なかなか難しいと? 
>>
米重 
はい。今回の選挙結果に関しては、斎藤さん自身が戦略的に仕掛けた部分よりも、ここまで述べてきたような周囲の環境などさまざまな条件が偶然揃ってあのような結果が出たという面もかなり大きいのではないかと思います。
事前にマスコミにさんざん叩かれていたというマイナスイメージ、それに伴う絶大な知名度などの条件があって、そこに本人以外のSNSでの大きなアシストがあって一気に支持を増やしていった。
と考えると、別の候補者がそのまま真似しようといっても、再現性はありません。
偶然には再現性がないからです。
ただ、立花さんが実践したような、
当選を目指さず選挙に出馬し、
別の候補をSNS等でアシストするという応援の仕方は再現ができうる方法なので、
こちらは今後の選挙にも影響があるのではないかと思います。
そこに、公選法上の規制を強めるべきだとして焦点が当たる可能性もあるでしょう。

 


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