ピエール=オーギュスト・ルノワール
本日は「幸福の画家」と呼ばれたルノワールの特集です。
ルノワール自身が幸せに満ちた人生を送っていたわけではありません。
画家人生60年の中で、「暗い絵」をただの1枚も書かなかったから「幸福の画家」なのです。
絵の力で世界をバラ色にできると信じた画家ルノワールの世界にあなたをナビゲートします。
よろしければ、最後までお付き合いください
1841年、フランス中部のリモージュに生まれ、父は仕立て屋、母はお針子という職人階級出身。 五人兄弟の四男坊として生まれ、家は貧しく、ルノワールは13歳のころから陶磁器の寝付け職人として働く苦労人でした。
ルノワールは、のちに印象はの中心人物となるのですが、実は印象派として活躍した画家たちは経済的に恵まれた家庭のご子息、ご息女が多く、職人階級出身はルノワール1人だったんです。
同時期に活躍したドガやマネなど特権階級から見たシニカルな視点で絵を描いていきましたが、ルノワールは人生の暗い部分はあえて描かず、楽しく明るい絵だけを描き続きました。
ルノアール自身が「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?」「楽しい絵しか描きたくない」と語ったように、幼いころから世の中の「暗」の部分を見てきたルノアールはあえて暗い部分に目を背けていたのでしょう(((uдu*)ゥンゥン
ー略ー
画風に限界を感じていたルノワールは旅行先のイタリアで今までバカにしていた古典派の画家たちの女性像に感銘を受け、人物が浮かび上がるようにはっきり描く画風へと変化していったんです。
旅先のイタリアの地に、のちに結婚することになる恋人のアリーヌ・シャリゴを呼び寄せて描いたのがこちらの裸婦です。
私、これほど柔らかそうなおっぱいを他に知りません。さすがエロ巨匠です(((uдu*)ゥンゥン
本当に触ったら柔らかいんじゃないかと思えるような・・少々太り過ぎでは?って思えるけど、ふんわりと包み込んでくれそうな女性らいしい美しい絵です。
まだ結婚前でしたが、アリーヌの左手薬指には結婚指輪が光ります。
この辺りからルノワールの描く人物像はフォルムが明確になっていくんですよね・・・
一眼レフで撮った写真みたいです!もちろんフォーカスは裸婦にしっかり合わせてます( ✧Д✧) カッ!!
ー略ー
■印象派時代の絵
モンマルトルの庶民的なダウンスホールでダンスに興じる人々。
当時のダンスホールは廃退的な雰囲気が漂う場所でしたが、ルノアールはあえて暗部は避けていたようで、全体にとても明るい雰囲気です。手前のテーブルで談笑するのは当時のルノアールの友人たち。
■印象派以降
印象派から離れて、人物を好んで描くようになった頃に描かれた代表作です。
人物の姿が以前よりも明確に描かれるようになりました。
ちなみに!
手間で犬と戯れているのはアリーヌです。
ー略ー
■晩年のルノワール
ルノワールは50歳をすぎた頃から持病のリュウマチに悩まされました、それでも手に絵筆を紐でくくりつけながら絵を描き続けました。
毎日ルノワールの手に筆をくくりつけるのはアリーヌの勤め、画材を整え、アトリエを花で飾り、夫の近くで静かに編み物をしているような女性だったそうです。
ルノワールに尽くしながら、アリーヌは夫に心配かけましと隠していた糖尿病が悪化してルノワールよりも先に亡くなります(18歳も年下だったのに)。
ルノワールが生前片時も離さなかったアリーヌの肖像です。
ぼっちゃりして素朴で・・・洗練された女性とは程遠いけど、美しい絵だなと思います。
きっと、女優やモデルの誰よりもルノワールが愛した女性だったのでしょう。
ルノワールは自分が愛した女性を本当に可愛く描きますから・・
病気と戦いながらも「幸福」を描き続けられたのは。愛するアリーヌあってのことだと思います。
この肖像を見ると、なぜか自分の母親とダブって少々泣けます。(母は元気ですがw)
だけど、そんな人は多いんじゃないかな・・アリーヌは女性というよりも、よき母のイメージです。
恋多き男性は理想母親像を女性に求めたりしますから、ルノワールよりも18歳も年下でしたが、アリーヌはルノワールの母のような存在でもあったのかもしれませんね(´-ω-`)
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