毒チンでドンドンあの世へ行く、、、、、、
金子恵美氏「最近呂律がまわらなかったり、視野が狭まったり」体調の異変
元衆院議員の金子恵美氏(46)が15日、ブログを更新。最近、体調に異変を感じ、14日に脳のMRI検査を受けたことを明かした。
大阪で生放送に出演後、東京に戻り、「家族に付き添ってもらい、脳のMRI検査をしました」と夫の宮崎謙介氏と息子と一緒に埼玉の病院に行ったそうで、「最近呂律がまわらなかったり、言葉がでなかったり、視野が狭まったりと、カラダの異変を感じてたので」と明かし、「結果は、、、異常なし! 安心しましたー」と報告した。
この投稿には読者から「異常なしでよかった」「異常がなくてよかったですね でもあまりムリしないでくださいね」などの声が届いている。
歌手・タレントの中川翔子さんが自身のXを更新。
胃腸炎になったことを明かしました。
中川翔子さんは「とても胃が痛い 胃腸炎です」と、15日の午前に投稿。
この投稿にファンからは「しょこたんお大事に」・「疲れがどっと出ちゃったのですね 休める時はゆっくり休んで温かいもの食べて回復してくださいませ 早く良くなりますように…お大事にです」・「無理はしないでね!休めるときゆっくり休んでね」・「胃腸炎辛いですね 忙しい日々と寒い時期 お大事にしてくださいね」など、中川翔子さんの体調を気遣う投稿が寄せられています。
【担当:芸能情報ステーション】
フードコーディネーターとして活躍する長藤由理花さん(32)は、27歳のときに卵巣がんが発覚。抗がん剤治療の影響で妊娠も難しいと言われたが、奇跡的に妊娠。そして現在、3歳のお子さんの子育て中の長藤さんに、がん発覚から闘病生活について、また当時の仕事や恋愛についても話を聞いた。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)
© 文春オンライン
◆◆◆
元リクルート勤務で、バリバリ働いていた
――現在、お体の方はいかがですか。
長藤由理花さん(以降、長藤) 今年の5月で卵巣がんの手術から丸4年を迎えたんですけど、寛解期間の4年の間は治療も通院もほとんどせずに過ごせています。私の場合、あと1年の丸5年で完治になります。
――病気を忘れるくらい、普通の生活を送れている?
長藤 そうですね。もう思い出すことはあんまりなくなりましたね。
――27歳のときに卵巣がんがわかるまではどんな生活を?
長藤 当時はリクルートという会社に勤めていまして。
――忙しいイメージがあります。
長藤 数字やノルマに厳しい会社ではあるのでご想像通りだと思うんですけど(笑)、ただ当時は30代後半までに自分の好きな料理の仕事をやりたいと思っていて、そのために裁量権の大きいリクルートに入って修行しようと思って、25歳の時に転職したんです。
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それで、平日は営業職の会社員として働きつつ、土日はフードコーディネーターの資格を活かして個人で仕事を受けるような生活をしていて。
――ほとんど休みなく働いていたんですね。
長藤 今思うと、体的にはかなり無理をしていましたね。間借りでカレー屋さんをやったりとか、料理に関しては仕事というかほとんど趣味でしたし、仕事も楽しくやっていたのでストレスではなかったんです。
健康的な生活を送っていて、体も強かったが…
――平日も夜遅くまで仕事をされていたんですか。
長藤 朝9時に出て夜8時に帰って来るような感じですね。
――ご飯もそれからご自分で用意して?
長藤 そうですね。都内で一人暮らしをしていたので。ただ、食に関しては好きな部分でもあったので、休みの日に作り置きしてそれを平日に食べる感じで、外食はほとんどしなかったです。
ランチも、コンビニのご飯はなんとなく避けていて、自分でお弁当を作っていたので、20代後半の食生活としては悪くなかったんじゃないかなって。
――かなり健康的な生活を送られていたんですね。
長藤 そう思います。毎日、朝ご飯も野菜のお味噌汁と焼き魚をしっかり食べて出勤していましたし、お酒も週末に飲む程度で、人よりも健康意識は高いと思っていました。
――実際、体も強かった?
長藤 大きな病気をしたこともなかったですし、会社の健康診断は毎年、有料のオプション検査も含めてやっていて、すべての項目でA判定でした。
「卵巣が腫れている感じがします」卵巣がんが発覚したきっかけ
――婦人科系の悩みもなかったですか。
長藤 それもまったくなかったんです。周りの女の子たちが生理痛に悩んでいたり、生理不順で大変みたいな話を聞く中で、自分は本当に予定日ピッタリにきて、生理痛もほとんど感じたことがなかったです。
――病気の予兆をまったく感じさせませんが、どのようにして卵巣がんが発覚したのでしょうか。
長藤 たまたま会社からインセンティブをいただいたので、ちょっといいお宿をとって温泉で年越しをしようとしてたんです。そうしたら、直前に生理がかぶってしまうことがわかって。
せっかく背伸びしていいお宿を予約したのに温泉に入れないのはもったいないと思って、生理の日をずらすためにピル使おうと思ったのが、診断のきっかけになるんです。
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――温泉のために婦人科に行ってピルを処方してもらおうということで。
長藤 ピルってネットでも買えるんですけど、毎日20時まで仕事していると再配達も面倒だなと思って、クリニックに行こうと思ったんです。
ただ、婦人科って待ち時間が長いし、初診だと初診料もかかるじゃないですか。だからその婦人科の待合室でも、「診察無しでいいから薬だけサッとくれればいいのに」ってずっと思ってて(笑)。
でも、その内診で、「卵巣が腫れている感じがします」と言われたんです。
都内の大きな病院で検査したらMRIまで撮ることに…
――長藤さん自身には違和感とか、なにか症状はあったんですか。
長藤 まったくなかったので、「卵巣が腫れている」と言われても全然ピンとこなくて。ただ先生も、「いずれ心配になったら一度大きな病院で診てもらってもいいかもね」くらいな感じで終わったんです。
――危機が迫っているような感じではなかったと。
長藤 まったくなくて。女性って、生理周期によって排卵日があるような感じで、卵巣が腫れやすいタイミングもあるのかな、くらいに受け止めていました。
で、温泉も行って、年が明けて初詣に行ったとき、「今年一年、健康で過ごせますように」と手を合わせながらお願いした瞬間、ふと、年末に言われた先生の言葉が蘇ってきてモヤモヤしてきたんです。
――健康をお願いするときに卵巣のことを思い出して。
長藤 大きな病院で「大丈夫」と太鼓判をもらえば安心できるかなと、会社から歩いてすぐの慈恵医大病院にかかったんです。
――都内の有名病院ですよね。
長藤 朝いちで行ったので、ちょっと検査してもらってすぐ営業に戻ろうと思っていたんですけど、電車に乗って別の場所でMRIまで撮ることになってしまって。
看護師から突然「今から親御さんは呼べますか」と…
――その時点で、がんといった病気が頭によぎりましたか。
長藤 全部の検査が終わったのが夕方の4時頃で、さすがに大げさじゃないかなとは思いつつも、重い病気とかはまったく考えず、ただひたすら、「大きな病院って手厚いんだなぁ」「軽い気持ちで来てしまって申し訳なかったな」と思っていました(笑)。
そうしたら個室に呼ばれて、看護師の方から、「今から親御さんは呼べますか」と言われたんです。そこではじめて、ことの重大さに気がつきました。
――検査を受けた当日にそのまま告知があった?
長藤 そうです。30分くらいで慌てて飛んできた母と一緒に、「残念ですが、卵巣がんの可能性が高いです」と言われました。
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「私の人生、終わったな」「思い描いていた未来がなくなった」
――最初の検査で、今思えばそのときの先生の様子が変だったとか、そういうことはありますか。
長藤 最初の検査は経膣エコーだったんですけど、婦人科の診察って、お互いの顔が見えないように間にカーテンがあるじゃないですか。だから先生の表情もわからなくて。
そもそも、卵巣がんは病理にかけないと正確な診断が難しいそうです。ただ、そんな中でも明らかに卵巣が腫れていたことと、通常の人なら腫瘍マーカーの値が4とか5のところ、私は14万という高い数値が出ていたので、「卵巣がんの可能性が高い」という言葉になったそうです。
――告知をどのように受け止めましたか。
長藤 ズーンと悲しいわけでもなく、驚くわけでもなく、何も考えられないというか……たぶん、自分のこととして受け入れられなかったんでしょうね。ただただ、「夢かな?」みたいな、一回時間止まったような感覚でした。
――一緒に告知を聞いたお母さまの反応は?
長藤 私より動揺していましたね。そういう母を前にすると、余計に自分は冷静というか、とにかく状況を把握しなくちゃと思っていました。母に「あなたは本当に強いのね」と帰り道に言われたことを覚えています。
――告知された後は、一人でお家に帰ったのでしょうか。
長藤 当時つき合っていた彼が今の夫なんですけど、その彼に電話をして会いに行って、事実を伝えました。
その時って、付き合ってまだ2週間だったんですよ。だからこの先どうなるかわからない以上、お別れしたほうがいいなと思ったし、「私の人生、終わったな」という思いがすごく強くて。
――がんになったら、仕事も恋愛も難しいと思った?
長藤 その時は、そうでしたね。仕事も一番楽しい時期だったし、フードコーディネーターとしての夢もあったけどそれも失ったと思いました。当時27歳で、あと数年の間に結婚して、近い将来子どもも持つのかなってぼんやり思い描いていた未来も、「あ、今、全部なくなった」と思ったんです。
撮影=細田忠/文藝春秋
〈 「卵巣が5倍に腫れている」「破裂するかもしれない」27歳で“がん”発覚→卵巣摘出…大企業出身の女性(32)が語る、壮絶な闘病生活 〉へ続く
(小泉 なつみ)